母の眼病がソ連当局のせいとまで言えるのか

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』P.280:
その悲惨な戦いの結果一九七九年に視力を失ってしまった。
Telperion訳:
1979年に彼女が視力を失っただけに、戦いはなおさら痛ましい。
原本『Noureev』:
Une lutte d'autant plus pathétique qu'en 1979 elle perd la vue.

ソ連にいるヌレエフの母ファリダが、息子との再会を当局に空しく嘆願し続けたことについて。

"d'autant plus A(形容詞) que B(節)"は「BであるだけますますAである」。

  1. Aに当たるのは pathétique(痛ましい)。
  2. Bに当たるのは"en 1979"以降文末まで。ファリダが視力を失ったことに触れた部分。

ファリダの戦いと視力の間に因果関係があるかはこの文で触れていない。私個人としては、ファリダが拘束されたとか、苛烈な取り調べを受けたとかいうわけでもないのに、ファリダが視力を失ったのはソ連当局のせいだとまで言うのはためらわれる。

主な更新

2012/9/24
「失明」を「視力を失う」にすべて書き換えました。ファリダは完全に視力を失ったわけではないし(この文の後で書類に記入しているし、『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』P.283では「半分盲目」とある)、"perdre la vue"が失明のみを指すという確証もないためです。
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