王室は任命の実権を持たない

『バッキンガム宮殿の日常生活』P.73:
王室の遠隔操作による首相や知事など高級官僚の任命には、女王の手にキスをするという特別な計らいが伴っている。
Telperion訳:
総理大臣からはるか遠くの英連邦加盟国の総督に至るまで、上級公務員の任命には、女王の手にキスをするという好意が伴う。
原本『Buckingham Palace au temps d'Elisabeth II』:
La nomination d'un haut fonctionnaire, depuis le Premier ministre jusqu'au gouverneur général d'un des lointains dominions de la couronne, s'accampagne d'une faveur, celle de baiser la main de la reine.

女王の公務とイギリス政府がどうかかわるかについての説明から。

新倉真由美の文の不自然な点

1. 王室が任命を操作?

イギリスは「君臨すれども統治せず」の元祖。現在、女王は行政機関が下した決定を追認することが多く、行政に自ら指図はしない。そのことは原本に散々書かれているし、王室本を読むほどイギリスに興味がない人でも耳にしたことは多いはず。しかし新倉本の「操作による」からは、誰が任命されるべきかまで王室が指図している印象を受ける。現状にそぐわない。

2. 女王が任命現場にいるのに「遠隔」?

「任命には、女王の手にキスをするという好意が伴う」という文から、任命の場で官僚が女王の手にキスをすると分かる。任命を宣言する文を読み上げるのも、恐らく女王なのだろう。これを「遠隔」と呼ぶのは解せない。

dominionは操作でなく加盟国

新倉訳の「遠隔操作による」に相当する原文の語句は"d'un des lointains dominions"。ラルース仏語辞典にあるdominionの定義は次のとおり。

Nom donné aux États indépendants membres du Commonwealth.
英連邦に加盟する独立国に与えられた名前。(Telperion訳)

原文にあるCommonwealthは英語で、日本語訳は「英連邦」。その加盟国とは、オーストラリアやニュージーランドといった国々。"d'un des lointains dominions"は「最も遠くの英連邦加盟国の」となる。

dominionは学習用の仏和辞典に載るような単語ではないだろう。でも、ラルース仏語辞典の他に仏語wikipediaにもdominionの項はある。決して調べが付かない単語ではないと思う。

gouverneur généralは知事でなく総督

先ほどの「最も遠くの英連邦加盟国の」が修飾しているのは"gouverneur général"。ラルース仏語辞典や仏語wikipediaに項がない分、難易度はdominionより高い。でも調べる手段はある。

出典1. 英和辞典

イギリスの役職と予想されることから、仏単語を英単語に直した"governor general"を英和辞典で引いてみる。「ジーニアス英和大辞典」にはこうあった。

  1. 《主に英》(英連邦・英国植民地の)総督
  2. (副知事・副長官など補佐役のいる大地域の)知事、長官

Meyer-Stableyの原文ラルース仏語辞典によるdominionの定義にはCommonwealth(英連邦)という英単語もあるのだから、"gouverneur général"は1番目の意味だと簡単に推測できる。

出典2. イギリス王室サイト

Meyer-Stabley原本に参考資料としてURLが載っているイギリス王室サイトは、実に情報豊富。このサイトで"governor general"を検索すると、あちこちで見つかる。たとえば、オーストラリアの"Governor-General"の説明はこう始まる。

The Governor-General is The Queen's representative in Australia. As such, he or she performs the same constitutional role in Australia as The Queen does in the United Kingdom.

総督とはオーストラリアにおける女王の代理人である。女王が連合王国で果たすのと同じ制度上の役割を果たす。(Telperion訳)

オーストラリアだけでなく、多く(すべてかも)の英連邦加盟国に一人のGovernor-Generalがいる。イギリスの行政に関する日本語の文献を漁れば、日本語でこの役職が「総督」と呼ばれていることが分かる。

総督職は実権こそないが高位

たとえばオーストラリアの政治や外交について語るとき、総督の言動は話題にならない。総督とは女王と同じく、実権のない名誉職なのだろう。とはいえ、「知事」から想像できるよりずっと高い役職だと思う。任命時に女王の手に接吻することを許されるのも納得できる。

更新履歴

2014/6/12
英単語Commonwealthは引用したMeyer-Stableyの原文にはなかったので修正
2017/9/4
オーストラリアのGovernor-Generalの説明文URLを公開当時のドメインroyal.gov.ukから現行ドメインroyal.ukに変更
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