議会が開会式で王権に蹴散らされる新倉本

『バッキンガム宮殿の日常生活』P.127:
チャールズ一世時代から続く不思議なしきたりで、執行官が五十mほど廊下を通りドアをぱたんと閉める。王だけが兵士を伴い議場に入ることができ、五人の議員は入場を遮られ拒絶される。
Telperion訳:
驚くべき儀式により、執行官(黒い棒と呼ばれる)が50メートルの廊下を通り抜け、鼻先で扉をばたんと閉められる。この伝統はチャールズ一世までさかのぼる。5人の議員を逮捕するために、兵とともにこの集会に押し入った唯一の国王であり、断固として拒否されたのだ。
原本『Buckingham Palace au temps d'Elisabeth II』:
Par un étonnant rituel, l'huissier - dit le la Verge noire - parcourt cinquante mètres de couloir et se fait claquer la porte au nez, selon une tradition qui remonte à Charles Ier : seul roi à avoir osé pénétrer dans cette assemblée avec ses soldats pour y arrêter cinq députés, il essuya un refus énergique.

イギリス議会開会式で、貴族院から女王の使者が庶民院(下院)の議員を呼びに行く儀式について。

原本が新倉本と違う個所

1. 使者は庶民院前で締め出される

執行官が廊下を通り抜けた後の行動は、新倉真由美によると「ドアをぱたんと閉める」。しかし対応する原文は"se fait claquer la porte au nez"。述語の原形である"se faire ~(動詞の原形)"は「~してもらう、~される」という受け身の使役文。つまり、執行官は自分がドアを閉めるのでなく、誰かにドアを閉められる。

YouTubeで"parliament opening"で検索すると、開会式の動画がいろいろ出てくる。そのなかにはこの場面が映っているものもある。たとえば"State Opening of Parliament by Her Majesty Queen Elizabeth, including Black Rod"。

ついでに書くと、"claquer la porte"は扉を乱暴に閉めること。動画を見ても、「来るな!」と言わんばかりの勢いで扉が閉まっている。この動作の発祥については後で書くが、ここは「ぱたんと閉まる」では意義が薄れる。

2. 庶民院に入った王はチャールズ一世だけ

チャールズ一世の名が出た後、原文では"seul roi à avoir osé pénétrer"(入り込んでのけた唯一の王)と続く。この語句には注意すべき点がいくつかある。

  1. 「入ってのけた唯一の王」とは、「数ある王たちのうち、入ってのけたのはこの王ただ一人」」というニュアンスであり、比較対象は他の王だけ。新倉真由美の「数ある人々のうち、入れるのは王一人」というニュアンスとは違う。
  2. 国王の動作を示す不定詞"avoir osé"の時制は直説法複合過去。つまりこの動作は過去行われたものであり、現在のものではない。

これらをまとめると、王が庶民院に入ったのは、過去一度の出来事だと分かる。それを行ったのがチャールズ一世で、他の王は庶民院には入らなかった。

3. チャールズ一世の目的は議員の逮捕

チャールズ一世の行動として、"avoir osé pénétrer dans cette assemblée avec ses soldats"(兵士とともにこの集会に入ってのけた)の後に、"pour y arrêter cinq députés"(そこで5人の議員をarrêterしに)と続く。pourは目的を示す前置詞で、チャールズ一世が庶民院に殴り込んだ目的を説明している。

動詞arrêterを仏和辞書を引くと、「止める」とか「阻止する」とかいう意味が最初に出る。でも王が兵士を引き連れ議場に入ってきた目的なのだから、最もふさわしそうな単語は「逮捕する」だろう。

原文だけを読むなら、「そこで5人の議員を止める」という解釈もありえるかも知れない。でも原文は目的を書いただけなのに、新倉真由美はその目的が成就したかのように書いているのは、やはり原文からの逸脱。

4. 拒絶されたのは議員でなくチャールズ一世

最後の文"il essuya un refus énergique."は「彼は断固とした拒絶にあった」。

  • 主語ilは三人称単数の男性名詞の代名詞なので、男性一人。この場合はむろんチャールズ一世。
  • 述語essuyaの時制は直説法単純過去。過去のある時点で行われたことを指す。

新倉真由美は「五人の議員が拒絶される」としているが、それなら主語は「彼」(il)でなく「彼ら」(ils)でなければならない。それに新倉真由美の言い方では、議員が拒絶されるのも儀式の一部のようだが、それなら述語の時制は直説法現在のはず。

使者の儀式は議会が王権に従属しないという象徴

Meyer-Stableyの文を読むだけでも、女王の使者が鼻先で扉を閉められることの意味は推測できる。武力をもって議会に押し入ったチャールズ一世が締め出されたことを記念しているのだろう。

英国王室サイトにある議会開会式の説明ページにも、このしきたりが書いてある。おかげでarrêterを心置きなく「逮捕する」と訳すことができる。

By tradition, the door of the House of Commons is slammed in Black Rod's face. It is then reopened to enable Black Rod to convey the Sovereign's summons to the Speaker.
伝統にのっとり、庶民院の扉はブラック・ロッドの眼前でぴしゃりと閉められる。その後扉が再び開くので、ブラック・ロッドは君主の召集を議長に伝えることができる。

This tradition is a reminder of the right of the Commons to exclude everyone but the Sovereign's messengers.
この伝統は、庶民院が君主の使者以外のいかなる者も締め出す権利を思い出させるものである。

No monarch has set foot in the Commons since Charles I entered the Commons and tried to arrest five Members of Parliament in 1642.
1642年にチャールズ一世が庶民院に入り、5名の議員を逮捕しようとして以来、庶民院に足を踏み入れた君主はいない。(Telperion訳)

"Black Rod"は庶民院への使者の職名。文字通りには「黒い棒」なので、Meyer-Stableyは"la Verge noire"と訳している。

ブラック・ロッドの儀式の由来を知った後で新倉真由美の文を読むと、笑いがこみあげてくる。庶民院に入れるのが兵士を伴う王だけだとか、議員が入場を拒否されるとか。庶民院は王の権力の前にはなすすべもないという降伏宣言か、はたまたかつて王に敗れた屈辱を忘れないための再現儀式か。

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