夫に従う誓いを強制されるダイアナというイメージ

『バッキンガム宮殿の日常生活』P.191:
近年〈ペチコートの反乱〉と書いたビラがばらまかれ、イギリスのMLF(女性解放運動)も罵声をあげたが、〈従う〉という言葉は現在でも残されている。レディダイアナはカンタベリー大司教にこの言葉を削除するよう懇願した。
Telperion訳:
最近の「ペチコートを履いた蜂起」(マスコミいわく)の結果、イギリスの女性解放運動がビラや怒号を連発したものの、彼女は「従う」という言葉をしっかり残した。レディ・ダイアナはカンタベリーの大主教に、この言葉を除くように求めた。
原本『Buckingham Palace au temps d'Elisabeth II』:
malgré une récente « insurrection en jupon » (dixit la presse) menée à coups de tracts et de vociférations par le MLF anglais, elle maintint bien le terme « obéir ». Lady Diana, elle, demanda à l'archevêque de Canterbury de le supprimer.

アン王女とマーク・フィリップスの結婚式での「夫を愛し、敬い、従う」という誓いの言葉について。

アンだけの描写が王室ウェディング新婦に共通のような扱い

新倉真由美の「〈従う〉という言葉は現在でも残されている」は、現在の結婚式一般についての説明という印象を与える。しかし対応する原文は"elle maintint bien le terme « obéir »."。

  • 文の主語はelle(彼女)。
  • 文の述語maintint(維持した)の時制は直説法単純過去(ちなみに動詞の原形はmaintenir)。つまり過去のある時点の出来事を指している。

つまりこの文は、アンが最初の結婚式で行ったことだけを指している。もし新倉真由美の唱えるような現在の一般論なら、主語は不特定多数を指すonだろうし、述語の時制は直説法現在maintientになる。

ダイアナの願いが困難だったという印象を生む「懇願」

新倉真由美によると、ダイアナは「従う」という言葉を削除するよう「懇願した」。「懇願」には、なかなか承諾しない相手に何度も必死に頼むというイメージがある。まるでダイアナが大主教に「誓いの言葉を削るなどとんでもない」と強硬に反対されたかのよう。哀願むなしく、式では嫌々ながら夫への服従を誓わされたという結果すら想像できる。

ところが、原文の動詞はdemander。英語のaskのように、頼みが困難かどうかの先入観を持たせない、中立的な「求める、頼む」という意味。

ちなみに、『危機の女王 エリザベスII世』(黒岩徹著、新潮選書)には、エリザベス二世の結婚式に絡めて次のような記述がある。困難を伴ったかどうかは知らないが、少なくともダイアナは「夫に従う」とは言わずに済んだらしい。

エリザベスは、慣例にしたがい、カンタベリー大主教の前で「夫を愛し、夫を大事にし、夫に従う」と誓った。この「従う」という言葉に対し、後に男女同権に反するとの抗議の声が広がり、一般の結婚式でも、この言葉を削る例が続出した。その三四年後、チャールズ皇太子とダイアナとの結婚式では、社会通念の変化を反映して、ダイアナ妃は「従う」という言葉を口にしなかった。(P.58)

小さな逸脱の相乗効果

昔行われた1つの結婚式の様子が現在の一般的な情勢のように書かれるのは、新倉真由美が代名詞にも述語の時制にも無関心なせいかも知れない。ダイアナの要求が「懇願」になるのは、新倉真由美が大げさな言葉を使いたがるせいかも知れない。しかしこの2つが組み合わさると、英国全体、もしくは英国王室の結婚式が今に至るまで古い因習に支配されており、その中でダイアナがもがいているというイメージが浮かんでくる。これは偶然の産物だろうか、それとも新倉真由美がもとから抱いているイメージだろうか。

ビラの印刷内容ではない「ペチコートの反乱」

原文の« insurrection en jupon »(ペチコートを履いた蜂起)には、説明が2つある。

『Buckingham Palace au temps d'Elisabeth II』:
(dixit la presse)
Telperion訳:
(マスコミいわく)
『Buckingham Palace au temps d'Elisabeth II』:
menée à coups de tracts et de vociférations par le MLF anglais,
Telperion訳:
イギリスの女性解放運動によるビラや怒号の発射に至った

1番目の説明にあるdixitは手持ちの仏和辞典にないので、ラルース仏語辞典から説明を引く。

Mot latin signifiant il a dit, employé auprès du nom de quelqu'un pour le désigner comme l'auteur des propos rapportés.
「彼は言った」という意味のラテン語。伝えられた言葉の作者だと示すために、誰かの名前に対して使う。

「ペチコートを履いた蜂起」はマスコミによる呼び名。そして蜂起が原因となってビラがばらまかれた。でもマスコミが使う言葉が当然のようにビラに書かれているとは言えない。ビラを書くのはマスコミではないのだから。

新倉真由美の文では理解できなかった「ペチコートの反乱」

私がこの部分の原文を読みたくなったのは、「〈ペチコートの反乱〉と書いたビラがばらまかれ」とはどういう運動なのか、納得が行く答えが見つからなかったから。

「イギリスのMLF(女性解放運動)も罵声をあげた」と並んでいるのだから、ビラのばらまきは女性解放運動と親和性があるのだろう。しかし私個人の感想では、「ペチコートの反乱」は胸を張って名乗れるかっこいい名前ではない。むしろ、相手を小馬鹿にするためのレッテルかも知れない。だからビラの作成者が自らの運動を「ペチコートの反乱」と呼ぶとは、ぴんと来なかった。

では「ペチコートの反乱」とは、ビラのやり玉に挙がったもの、この場合は「夫に従う」という誓いの言葉だろうか。でもどういう思考回路に従えば、夫に従うという誓約を「ペチコートの反乱」と呼んで非難したくなるのか、私にはとても想像できない。

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