庭園の贅沢さは広さにある

『バッキンガム宮殿の日常生活』P.53:
それは、ロンドンの中心にある、贅を尽くした約二〇ヘクタールの巨大な私有公園とも言える。
Telperion訳:
要するに、20ヘクタール近い、非常に大きな私有公園である。ロンドンの真ん中では、このことはすでに非常な贅沢となる。
原本『Buckingham Palace au temps d'Elisabeth II』:
Il s'agit somme tout d'un très grand parc privé sur presque vingt hectares – ce qui constitue déjà un grand luxe en plein cœur de Londres.

バッキンガム宮殿の庭園について。直前の文の趣旨は、「バッキンガム宮殿の庭園は、王家の庭園のうち最も壮麗な構成ではない」。新倉本では「バッキンガム宮殿より壮麗な王家の庭園は他に存在する」という意味が抜け落ちたため、私は記事「最高級の庭園と比べた上での少しの失望」で取り上げた。

前の文を論評する構文

原文のダッシュ後の直訳は、「ロンドンの真ん中ですでに非常な贅沢となること」。「~であること」の原文は"Ce ~(関係詞)"という形をしている。

フランス語である文の後に「~であること」(Ce + 関係詞)が続く場合、「前の文の内容は~なことである」という意味になる。ここでの文に当てはめると、「非常に大きな私有公園である。ロンドンの真ん中ですでに非常な贅沢となること」は、「非常に大きな私有公園だということは、ロンドンの真ん中ですでに非常な贅沢となることである」と言い換えられる。

「Ce + 関係詞」を用いて前の文の内容を論評するという用法は、仏和辞書でceを引くと載っている。私の『プログレッシブ仏和辞典 第2版』では、「II «関係代名詞の先行詞として»」の下の「2«前の文全体を受けて»そのこと、その点」という形で説明してある。

庭園のデザインをあまりほめない前の文からのつながり

デザインの代わりに広さをほめた原著者

原著者メイエ=スタブレ(Meyer-Stabley)が宮殿の庭の贅沢な点として挙げているのは、立地と広さ。メイエ=スタブレが庭園内部の造りをあまり買っていないことは、前の文から分かる。でも「ロンドンの真ん中にこんなに広い庭園を持つということ自体が贅沢なのだ」という論理で、メイエ=スタブレは庭園が贅沢だと認めている。

一転してデザインをほめたような新倉真由美

新倉真由美の「贅を尽くした約二〇ヘクタールの巨大な私有公園」だと、公園内部にさまざまな豪華なデザインが詰め込まれているという印象を持つ。「贅を尽くす」とは創意工夫や創作努力をつぎ込んだものに似合うからだろう。しかし土地が広いこと自体は工夫とは無関係なので、「贅を尽くす」という表現に合わない。このため、新倉真由美の文では、土地の広さは贅沢だと言われていないように受け取れる。

新倉本でも、直前の文は「宮殿のいくつかの庭園には見事なデザインが見当たらない」であり、やはりデザインをあまりほめていない。その直後に「贅を尽くした」が続くのは、気が変わったかのようで、私には奇妙に感じられる。もっとも、金をつぎ込んだわりには冴えないデザインという解釈もできるので、「この訳文はありえない」というほどではないが。

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