自分への絶賛を一人による発言だと明記する節度

『ヌレエフ』P.85:
初日を観たフランスの批評家たちは大挙して劇場に舞い戻って来ました。団員の一人がスプートニクにも値する出来栄えだったからです」
Telperion訳:
初日に出席したフランスの批評家は全員大挙してまた現れ、このとき批評家の1人が私をスプートニクと呼んだ」
原本『Noureev』:
Les critiques français qui assistaient à la première étaient tous revenues en force et c'est alors que l'un d'eux me qualifia de Spoutnik. »

1961年にキーロフ・バレエのツアーでパリ・デビューしたときを振り返るヌレエフ。恐らくヌレエフが亡命して数年後に出した自伝『Nureyev: An Autobiography』からの引用。

ヌレエフはパリ公演の初日には出なかった。複数回の公演のうち、最も注目されるのは初日であり、後のほうの公演への関心は薄くなるのが普通。しかしヌレエフが自分の出番で脚光を浴びたため、批評家たちがヌレエフを見に来たことを述べている。

構文解析

強調構文の使用

批評家が劇場にまた来たことに関する最初の文については、特に言うことはない。私が取り上げたいのは、最初の文とet(そして)で結ばれた次の文。この文で使われている強調構文の形を見やすくするため、英語訳も並べて書く。

フランス語
c'est alors que l'un d'eux me qualifia de Spoutnik.
英語
it is then that one of them called me Sputnik.
直訳
彼らの一人が私をスプートニクと呼んだのはその時だ。

構文"c'est A(強調したい語句) que B(文からAを除いた部分)"は、文中のAを強調するために使われる。英語の"it is A that B"に似ているので理解しやすい。ここではalors(その時)を強調している。

主語は団員の一人でなく批評家の一人

queの後にある文の主語は"l'un d'eux"(彼らの一人)。eux(彼ら)とは、前の文にある複数形の名詞、つまりフランスの批評家たち。新倉真由美は団員としているが、キーロフ・バレエの団員たちは前の文はもちろん、その前もしばらく話題になっていない。それを既出であるかのようにいきなり「彼ら」呼ばわりはしないだろう。

スプートニクと呼ぶ

文の述部は"me qualifia de Spoutnik"。"qualifier A de B"(AをBと呼ぶ)という表現が使われている。Aに当たるのはme(私を)で、代名詞なので述語qualifiaの前に来ている。

新倉真由美は文の主語をヌレエフだと思っているので、述部も別の解釈をしていそう。qualifierには「資格を与える」という意味もあるので、それをもとに何か想像したのかも知れない。

鼻息が荒い新倉本のヌレエフ

Meyer-Stabley本でも新倉本でも、ヌレエフをスプートニクにたとえて絶賛しているのは同じ。しかし新倉本では、「スプートニクのようなヌレエフ」がある批評家の感想ではなく、誰もが認める事実のように扱われている。それをヌレエフ本人が言うのは、とても図々しい話。当時のスプートニクはソ連の国威を大いに高揚させた存在だろうから、東側の人間が気安く自分をなぞらえられないと思う。プライベートな場での軽口ならまだしも、出版された本で。

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