プティと和解するためヌレエフは自尊心を抑えた

『密なる時』P.79-80:
電話の切り際に私は「私は君が好きだ、わかっていると思うけれど」と言った。多分彼は自尊心を保とうとしたのだろう。とまどいながらくぐもった声で答えた。「僕もあなたを愛している」
プティ原本:
J'ai raccroché en lui déclarant « je t'aime bien tu sais » et lui de répondre avec une voix pâle et hésitante, car il lui fallait mettre un mouchoir sur son amour-propre, « I love you too ».
Telperion訳:
私は電話を切り、そのときはっきりと言った。「好きだよ、知ってるだろう」。そして彼は答え、その声は力がなく、ためらいがちだった。自分のプライドにハンカチをかける必要があったからだ。「私も好きだ」

1983年の「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演がきっかけで数年間絶交していたプティに、ヌレエフが訪問を告げる電話をかけた。その切り際の会話。

ハンカチをかけるのは保つのではなく隠すためでは?

上では文脈紹介のために1つの文をすべて引用したが、私が取り上げたいのは、ヌレエフが弱い声で答えた理由としてプティが書いたこと。

プティ原本:
car il lui fallait mettre un mouchoir sur son amour-propre,
直訳:
なぜなら彼は彼の自尊心の上にハンカチを置く必要があったからだ。
新倉訳:
多分彼は自尊心を保とうとしたのだろう。

「~の上にハンカチを置く」(mettre un mouchoir sur ~)とはどういう意味か。プログレッシブ仏和辞典第2版やラルース仏語辞典を探しても、そういうイディオムは見かけなかった。新倉真由美が出した答えは「自尊心を保つ」。しかし私は次の理由で、この解釈が妥当だと思えない。

直訳から離れ過ぎ
ハンカチをかぶせたくらいで物を守れはしないだろう。だから「保つ」を「上にハンカチをかける」に言い換えるのは理にかなうように思えない。すでに定着している慣用句なら、奇妙な表現でも受け入れるしかない。しかしこの場合は、新たな慣用句を考案するようなもの。文字通りの表現を尊重しないと、やりたい放題になりそうで危険。
ヌレエフの言動との整合性がない
和解を拒絶し続けてきた相手に自ら電話をかけ、相手の「好きだよ」に「私もだ」と返す。果たして自尊心を保ちながらできる行為だろうか。「そこまで言うなら過去のことは水に流してもいい」くらいの返答のほうが、自尊心は満たされるだろう。

私の考えでは、「自尊心の上にハンカチを置く」とは、「自尊心を見ないようにする、隠す」の言い換え。「ここまで頭を下げて悔しくないのか」という自尊心の声を黙らせる必要があったから、声から力が失われたのだろう。

原著者の表現を変えるときは慎重に

「自尊心にハンカチをかける」が「自尊心をわきに押しやる」だという私の解釈は、文脈と直訳から独自に編み出したものなので、絶対に正しいとは言い切れない。その場合、私は下手に言い換えて元の意味が失われる危険を冒すよりは、原著者の言い方をそのまま使うことにしている。

解釈に迷う表現に出会ったとき、新倉真由美はその表現をそのまま使うより、自分の解釈に言い換え、読者にその解釈だけを信じさせる傾向がある。しかし私は、新倉真由美の不確かな言い換えより、たとえ分かりにくくても原著者の表現を読みたい。

更新履歴

2016/12/9
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