追及したのはプライベートの楽しみ

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』P.85:
成功が大きくなっていくにつれ、ヌレエフはフランスの首都で彼独自のやり方で観客を扇動していけるように感じていた。
Telperion訳:
成功が大きくなるにつれ、ますますヌレエフは自分独自の好みをフランスの首都で自由に追及できるように感じた。
原本『Noureev』:
Plus le succès va crescendo, plus Noureev se sent libre de suivre ses propres inclinations dans la capitale française.

キーロフ・バレエの一員としてパリに来たときのこと。前の段落ではヌレエフがパリの公演で人気者になる様子が書かれており、新しい段落の先頭がこの文。

「好みを追及」を「観客を扇動」と言い換えるのは苦しい

"suivre ses propres inclinations"の直訳は「彼自身の好みを追う」。この直訳だけを見たときに私が想像する意味は、「欲しいものを手に入れようとする」とか「やりたいことをやる」とかいったところ。

"suivre ses propres inclinations"に対応する新倉真由美訳は「彼独自のやり方で観客を扇動する」。「彼自身の好み」(ses propres inclinations)を「彼独自のやり方」と言い換えるのは可能だろう。だが「好みを追う」が「観客を扇動する」になるのは、私から見ると拡大解釈が過ぎる。

この文はヌレエフのオフタイムを書いた段落に含まれる

初めに書いたとおり、この文は新しい段落の先頭にある。その段落でこの後書かれるのは、ヌレエフがフランス人の友人たちと夜に集ったこと、西側の映画やバレエを鑑賞したこと。この文脈を念頭に置くと、「彼自身の好みを追う」とは、同じ段落で描写されているように、プライベートの時間を好きな人々と一緒に好きなことをして過ごすことだと分かる。ダンサーとして成功したという話は、前の段落でひとまず終わっている。

新倉本だけを読むと、「でも原著者メイエ=スタブレ(Meyer-Stabley)の段落分けってもともと滅茶苦茶だよ。前の段落に来るべき内容を次の段落に押し込むなんて、珍しくもない」という感想を持つかも知れない。しかしそれは、新倉真由美がよその個所でメイエ=スタブレの段落分けをまるで尊重しないから。たくさん引用する手間が煩わしくて今までほとんど取り上げていないが、それでも原本の段落が終わらないうちに小見出しが割り込むという例は取り上げた。新倉真由美は『密なる時』でも1つの文の途中で段落を代えるという荒業をやっている。

更新履歴

2016/5/11
主に諸見出しを変更
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