恐怖の対象は変質者でなくソ連の追っ手

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』P.114:
また神出鬼没な変質者たちを警戒して、リハーサルのとき、ヌレエフとパートナーたちはプラザホテルのキッチンを通り抜け
Telperion訳:
偏執症があまりに高じたため、稽古のためにヌレエフとそのパートナーたちはホテル「プラザ」から入り、密かに厨房を抜け、
原本『Noureev』:
La paranoïa devient telle que pour les répétitions Noureev et ses partenaires entrent par l'hôtel Plaza, traversent en secret les cuisines

亡命後初めて出演の契約を交わしたクエヴァス・バレエでの稽古のとき、KGBに尾行されないために手を尽くしたことについて。

"La paranoïa devient telle que ~(節)"は「偏執狂があまりにも激しくなったため、~である」。偏執症(paranoïa)とは、特定の妄想にとりつかれた状態を指す精神的疾患らしい。新倉真由美は最初の部分を「神出鬼没な変質者たちを警戒して」と訳しているが、この訳は次の点がおかしい。

  1. 疾患が重いことと「神出鬼没」の間には何の関係もない
  2. 患者を指すなら病名paranoïaではなく、paranoïaqueを使うはず

paranoïaという言葉は13章でも出てくる。1つは"La paranoïa du danseur"(訳本ではP.227「彼に精神的に不安定な兆候が見られた」)で、全文は記事「衣装係が邸宅の監視を依頼されるのは不自然」にある。もう1つは次のとおり。

『Noureev』:
déjà paranoïaque quant à la surveillance exercée par les Soviétiques,
『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』P.229:
ソ連が行っていた監視により既に精神に支障をきたしていた
Telperion訳:
ソ連が行う監視のことになるとすでに偏執的だった

どちらも、ヌレエフがKGBに対して抱く恐怖心を指している。問題の部分の前でも、ヌレエフやラランがソ連からとおぼしき圧力に苦しんでいたことが語られている(直前の文は「私立探偵をどこでも同行させなければならなかった」)。だからここでいうparanoïaも、病的なまでに高まったKGBへの恐怖心や警戒心を指すと推測できる。

関連記事

コメント

非公開コメント