グレン・テトリー振付「~ピエロ」

ええと、『ヌレエフ』や『密なる時』とは何の関係もないし、私に糾弾の意志はないのですが、それでも口に出さないと落ち着かないもので。

今ごろになって、『バレリーナへの道』No.95のヌレエフ特集第2弾の話です。その中にある多くの談話のなかでも、佐々木三重子のはとりわけ面白いひとつでした。そこでヌレエフのドキュメンタリー「芸術と孤高のダンサー ルドルフ・ヌレエフ」について説明した中で、こんな一文が。

さらに、バランシンの『アポロ』での野性的な踊りや、グレン・テトリーの『月のピエロ』、ポール・テイラーの『オーリオール』には目を見張った。

あの、「月のピエロ」じゃなくて「月に憑かれたピエロ」です。シェーンベルク作曲「月に憑かれたピエロ」を音楽に使っているのが名前の由来ですから。googleで「シェーンベルク 月のピエロ」とか「グレン・テトリー 月のピエロ」とかを検索すると、「月に憑かれたピエロ」表記の検索結果が大量に出てくるほどの定訳です!

定訳の素晴らしさ

シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」は連作歌曲集。私が唯一好きな無調音楽です。ためしに含まれる歌曲のいくつかを要約してみます。

第1曲 月に酔い
目で飲むワインが月から注ぎ、詩人は飲んで酔いしれる
第13曲 打ち首
月はトルコの半月刀。ピエロは月が自らの首を打ち落とすのを想像し、恐怖のあまり気絶する
第20曲 帰郷
月の光は船の舵、睡蓮は舟、ピエロは故郷に漕いでゆく

「月に憑かれた」は実に楽曲にかなった詩的な表現だと分かります。この邦題を考えたのが誰かは存じませんが、心底尊敬します。

翻訳の難しさ

「月のピエロ」はドキュメンタリー「芸術と孤高のダンサー」の字幕表記なのでしょう。この訳になっても仕方ないと思える要素がいろいろあります。

  1. 原題は"Pierrot Lunaire"で、素直に訳すと「月のピエロ」。lunaireの訳語としては「月の、月のような」の他にはせいぜい「突拍子もない」があるくらい。「月に憑かれた」はあの歌詞あってこその訳語で、何も知らずに生み出すのは無理です。
  2. オリジナルのドキュメンタリーで、テトリー振付"Pierrot Lunaire"の音楽がシェーンベルク作の同名の曲だと示していないかも知れません。だとしたら、バレエ名の由来があの曲だと気づくのは困難でしょう。
  3. 今では、googleに適当にキーワードを打ち込めば、的確な答えが返ることが多くなりました。しかし「芸術と孤高のダンサー」が発売された1991年は、googleは存在しないし、インターネットそのものが黎明期。調べ物の手間が今とは比較になりません。

オリジナルのドキュメンタリーにシェーンベルクの名がなかったという断定もできません。しかし、定訳調べの面倒くささは私自身が実感しています。google前の時代については、調査が行き届かなくてもとやかく言いにくいですね。「月に憑かれたピエロ」という邦題は大好きなので、ここでぶつくさ言っていますが。

関連記事

コメント

非公開コメント