誤訳を守るために原文を書き換えた疑惑 (2)

原本を信頼するということ

私は外国語の文を読解するとき、次のことを心がけています。

  1. 個々の単語に辞書から外れていない意味を当てる
  2. すべての単語の役割を説明できるように原文の構文を解析する
  3. その上で、前後の文脈から外れない、筋の通った意味を探す

このすべてに成功した解釈がきっと存在すると信じるのが大前提です。Meyer-Stableyはこの手の本を何冊も出してきたライター。それなりに読みやすく首尾一貫した文を書けるのだろうと思います。これは間違った記述だと思わざるを得ないこともありますが、まずは原文を手直ししないで可能な限り妥当な内容の訳文を考えるようにしています。

新倉真由美は『ヌレエフ』の訳者あとがきで、原本を褒めたたえてみせます。

それは疑問点の解決にとどまらず、ヌレエフについて知らなかったこと、知りたかったことがぎっしり詰まった宝箱のようでした。
著者はジャーナリストならではの客観的で冷静な切り口で、膨大なデータに裏付けられた事実を淡々と綴っています
それはバレエ界にとり貴重な記録になるばかりでなく、ジャンルや世代を超え(原文ママ)多くの人びとにインパクトを与えると確信したからです。

でも実際には「これは原著者の間違いに違いない」と原文を変えまくっているとしたら、それは私にとって余計に腹立たしいことです。語学力不足と不注意だけでも大問題なのに、そこに「自分の考えは原文より優先される」という傲慢さが加わったら目も当てられません。

原本の間違いを疑ったとき

もっとも、Meyer-Stableyは実際に間違えます。Meyer-Stableyの間違いを新倉真由美が妥当に修正した例として、今までに私が気づいたのは次のとおりです。

P.57 バレエの演目
  • 原文はGaeney
  • 訳文は“ガヤーネ”(フランス語のスペルはGayaneなど)
P.205 イタリアの島
  • 原文は« I Galli »
  • 訳文は「リ・ガリ」
P.282 1961年から1987年までの年数
  • 原文は"Vingt-neuf ans"(29年)
  • 訳文は「二六年間」
P.284 ジェームズ役があるバレエの演目
  • 原文は"Les Sylphides"
  • 訳文は“ラ・シルフィード”

でも、Meyer-Stableyの書くことが参考文献に沿っていたり、筋道立った説明だったりするのに、新倉真由美に顧みられなかった例のほうがはるかに多いのです。前の記事に書いた「ヌレエフの亡命を援護した検査官」や「エトワールを任命する芸術監督」に至っては、訳本しか知らない読者にはMeyer-Stableyがいい加減なジャーナリストに見える結果になっています。Meyer-Stableyはバレエの門外漢とはいえ、文献をいろいろ読んだうえで本を書いています。仏和辞書でinspecteurの意味として「刑事」より「検査官」が先に載っていたという程度の理由で、否定するべきではありません。

もし原本がどうしても間違いだらけに見えるなら、訳者が間違いを尻拭いして回るより、訳本出版を取りやめるほうが有意義でしょうね。新倉真由美は文園社に翻訳を依頼されたのではなく、自らが出版を文園社に承諾させたのです。「バレリーナへの道」94・95号でコラムや取材に活躍していることからも、文園社での新倉真由美の立場の強さがうかがえます。

新倉真由美は本当にMeyer-Stableyを「膨大なデータに裏付けられた事実を綴るジャーナリスト」と思っているのでしょうか。貴重な情報の集積体を日本に紹介する使命に駆られながら、故意を疑うレベルの読み落としや読み間違いの数々って。新倉真由美の思い込みをもっともらしく見せるための大義名分として、体よくMeyer-Stableyの名が使われているほうが、実情に近く見えますが。

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