伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

目覚しいチームワークが今一つな人間関係に

『ヌレエフ』P.265:
ヌレエフは団員たちとも打ち解けていたのだろうか。
「フランスのダンサーたちは実に個性的です」
牽引しながら彼は実感していた。“ジゼル”は数え切れないほど踊ってきたが、団員たちと会話を交わしたことは一度もなかった。
Meyer-Stabley原本:
Noureev s'épanouissant dans le travail d'équipe ? « Les danseurs français ont vraiment du caractère », a-t-il découvert en les dirigeant, lui qui avait dansé dans Giselle plus de mille fois sans jamais établir de dialogue avec eux.
Telperion訳:
チームワークの中で花開いたヌレエフだろうか。「フランスのダンサーは本当に気骨がある」。率いながら彼は悟った。かつて「ジゼル」で千回以上踊りながら、決して会話を交わさなかった彼がである。

ヌレエフがパリ・オペラ座バレエの監督として確かな業績を挙げたことを書き連ねる長文の一部。

原著者が問うたのはチームワークによる業績

第1文の直訳は「チームワークの中で花開くヌレエフ?」。原文中のtravailは「仕事」、équipeは「チーム」。組み合わせた"le travail d'équipe"は英語のteamworkに相当する。

チームワークとは、グループが共同作業を上手にこなす力を指す。単に皆が和気あいあいとするのでなく、各自が助け合って何らかの成果を上げてこそ、チームワークを評価される。ではヌレエフが「チームワークの中で花開く」とはどういうことか。この部分の前後を読めば、ヌレエフがダンサーたちを率いてバレエ団の地位を高めたことだと簡単に想像が付く。

Meyer-Stableyはこの部分の少し前で、ヌレエフがパリ・オペラ座バレエの監督として認められたことを「さらなる成功、しかし異なる性質の成功」と呼んでいる。Meyer-Stableyにとって、ダンサーとしての成功は個人プレー、監督としての成功は共同プレーなのだろう。

原著者はチームワークによる業績を肯定

Meyer-Stableyが上の疑問に用意した答えはイエスだということは、前後でパリ・オペラ座バレエの躍進ぶりをこまごまと書くことから分かる。しかしここでは、直後の第2文がイエスとノーのどちらをにおわせているかについて書く。

第2文には、ヌレエフに関する文が2つある。

  • フランスのダンサーたちについて発見した。述語(a découvert)の時制は直説法複合過去
  • ダンサーたちと会話せずにジゼルを踊った。述語(avait dansé)の時制は直説法大過去

時制の違いから、口もきかずに踊っていたのは、ダンサーたちの性格を把握するより前のことで、今のことではないと分かる。多分Meyer-Stableyが言いたいのは、「昔のヌレエフは他のダンサーにちっとも関わらなかった。それが今ではダンサーたちと真剣に向かい合うようになった」なのだろう。

新倉真由美が問うたのは人間関係の良好さ

一方、新倉真由美はMeyer-Stableyが提起した疑問を次のように扱った。

  • 「チームワークの中で花開く」を「団員たちとも打ち解ける」と言い換える
  • ヌレエフが監督として成功したことを書いた前の部分と段落を分ける

このため、実績の話をひとまず終えて、チーム内の人間関係が良かったかどうかを問いかけているように見える。

新倉真由美は人間関係の良好さに否定的

新倉真由美による第2文(訳本では第2・3文)は、私にはこう読める。

  • 前半の「彼は実感していた」からは、ヌレエフが団員たちと打ち解けていたかどうかは分からない。
  • 後半の「会話を交わさずジゼルを踊ってきた」の文からは、今は昔と違うということが分かりにくい。日本語では時制の差がフランス語のようにはっきりしないので、仕方ないかも知れないが。

このため、「ヌレエフは相変わらず団員とは打ち解けていなかった」と言いたげに見える。

Meyer-Stableyは「ヌレエフはもめごとを起こさないようになった」と書いた後(訳本ではP.265最初)、ヌレエフとパリ・オペラ座がどれほど成功したかを熱烈に書く。訳本だとそのさなかにこの部分だけ、業績でなく人間関係が話題になる。しかもあまりほめているように感じられない。私にはとても浮いて見える。

更新履歴

2016/5/5
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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