未完のフーガはヌレエフの人生を象徴するのか

先日は「フーガの技法」のContrapunctus 14自体について結構語ったので、今日はもう少しヌレエフを絡めます。

選曲者の心境

葬儀で演奏される曲を選んだのが誰か、Solway本やKavanagh本を丁寧に読めば見つかるのかも知れませんが、今のところ私は知りません。しかしヌレエフは自分の埋葬場所を手配しておいたのだし、葬儀で朗読された詩もニューヨークタイムズ紙の記事によると"reportedly chosen by Nureyev"(聞くところではヌレエフが選んだ)なのだから、曲を選んだのも恐らくヌレエフなのでしょう。

あれほど壮大に展開しながら、「フーガの技法」の主題という中核を得ることなく中断されたContrapunctus 14。自分が成し遂げたことに誇りを持ち、そしてまだまだやり残したことがあるという気がなければ、自分の葬儀にこの曲は選べないのではないかと思います。ヌレエフはダンサーとしては舞台に立たなくなっていたとはいえ、新作バレエやら指揮やら、やりたいことをたくさん抱えていました。この曲を選んだ時にどれほど現世に後ろ髪を引かれていたのだろうと思うと、やるせなさを感じます。

ヌレエフの人生は完成しなかったのか

ところがその一方、今の私はKavanaghやMeyer-Stableyとは違い、Contrapunctus 14が未完であるほどにヌレエフの人生が未完だとは思わないのです。ヌレエフがもっと長生きしたらやはり密度の濃い時を過ごし続け、何十年たってもやりたいことを見つけ続けていたのではないか。そういう人の場合、人生が終わるのが54歳でも74歳でも、その完成度は変わらないのではないかと。

それと、あれほど自分の意思を通し続け、いろいろな障害をはねのけてきたヌレエフに、最後は病に倒されたという幕切れは何だか似合わないという思い込みがあります。我田引水かも知れませんが、その思い込みと関連して思い出すのが、プティの『Temps Liés avec Noureev』の結びとなる文です。

Dans ses orages, ses éclairs de génie, ses triomphes, le danseur arrêtait le temps.

嵐と稲妻のような才能と数々の輝かしい成功の中で、そのダンサーは時を止めてしまった。(『ヌレエフとの密なる時』P.102)

プティがヌレエフと共に踊った夢幻のような時が終わった後の文ですが、ヌレエフの人生そのものでもあるでしょう。プティはヌレエフがHIV陽性なのを知った時にショックを受けたに違いないと想像しているし、死が早過ぎるとも書いているのですが(『密なる時』ではP.97)、「時を止めた」と能動的な行為のようにヌレエフの死を書いているのですね。フランス語では普通な表現だという可能性がゼロではありませんが(とりあえずプログレッシブ仏和やラルース仏語では見つけていません)、興味を引かれます。プティとの踊りも、ヌレエフが自ら途中で切り上げたらしいのでした。

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