ソ連警察の敵意を原著者の見解と混同

『ヌレエフ』P.69:
しかし公演のたびにヌレエフと外国人たちとの深い交友関係を記録している警察にエスコートされるのを渋々認めなければならなかった。
Telperion訳:
だがこのような公演の一つに行くたびに、「ヌレエフが外国人との間で交わすこの異常な友好関係のすべて」を記録する警官に自分が護衛されていることに気づいた。
原本『Noureev』:
Mais chaque fois qu'il se rend à l'une ces représentations, il constate qu'il est escorté de policiers qui enregistrent « toutes ces amitiés anormales que Noureev entretient avec des étrangers ».

キーロフ時代のヌレエフと警察のあつれき。外国のバレエ団が公演に来るたびにヌレエフはダンサーと接触していた。

原著者が描写したのは当時の警察の心境

警察が監視していたというヌレエフと外国人の"amitiés anormales"(異常な友好)について、次の点に注意がいく。

  1. 「異常」とはずいぶんな言われよう。ヌレエフがソ連当局に抑圧されるのを同情的に書いているMeyer-Stableyが、ヌレエフと外国人の接触を本気でそう思うとは信じがたい。
  2. 警察の記録対象は括弧«と»に囲まれており、"amitiés anormales"はその一部。語句を括弧で囲むことで、その語句に著者が別な意味を込めるのは、日本語でもよくある。

この2点を考えると、「異常な友好」とは警官たちなどのソ連当局による見解であり、Meyer-Stabley自身の意見ではないと推測できる。「当時の警察にとっては異常行為だったのだ、嘆かわしい」というのがMeyer-Stableyの言いたいことなのだろう。

単なる事実の記述にしか見えない新倉訳

ところが対応する新倉訳には、警察がヌレエフに抱いていたに違いない不快感がまったく現れない。

好意的な形容に一転

"amitiés anormales"の新倉真由美訳は「深い交友関係」。いかにもMeyer-Stableyが客観的描写として普通に使いそうな言葉になっている。

anormalは英語のabnormalに当たるありふれた単語。仮にも仏文科卒の新倉真由美が本気で「深い」と勘違いするとは信じがたい。「anormalという形容はヌレエフの交友を描くのにふさわしくないから添削してやろう」と意図的に捻じ曲げたのではないかという、嫌な想像をしてしまう。

意味ありげな括弧が消失

新倉訳からは、警察の記録対象を囲む括弧が抜けている。これではどう見ても単なる叙述で、Meyer-Stableyがほのめかす異議を感じ取りようがない。

Meyer-Stableyが使う括弧を新倉真由美がろくに見ない例はいくつもある。目立つのはこのあたり。

本当に深い交友関係だったか疑わしい

新倉本だと、ヌレエフと外人芸術家の間に深い交友関係があったというのは客観的な事実に見える。しかし「深い交流関係」は原文から離れているのみならず、大げさすぎて実情に合わないと思う。

  • 『ヌレエフ』でこの周囲を読んでも、ソ連に来た芸術家が出国した後まで交流が続いたというエピソードはない。交流はその場限りの出来事だったように読める。
  • 『ヌレエフとの密なる時』によると、プティはウィーンでヌレエフと初めて会ったが、その後はヌレエフの亡命が報道されるまで、すっかりヌレエフを忘れていた。

多分エスコートとは尾行の婉曲表現

新倉真由美が「渋々認めなければならなかった」と訳した動詞constaterは、仏和辞書によると「~を確認する、~に気づく」といった意味。新倉訳はずいぶん原意から離れていると思う。

新倉真由美は警官が文字通りにヌレエフをエスコートしている、つまりヌレエフのそばに控えて警備しているのを想像したのではないだろうか。原文を尊重して「エスコートされるのを確認した」と訳すと、ヌレエフが警官の同伴を認めているようになる。ヌレエフが実際にやりそうにないので、自分が納得いくような文に「添削」したと私は想像している。

しかし私の考えでは、「警察に護衛される」とは尾行のこと。「エスコートされているのを確認する」とは、尾行警官の姿に気づくことなのだろう。だから私は、辞書にあるconstaterの意味も、Meyer-Stableyがその言葉を選んだのが妥当なのも、少しも疑っていない。

2014/1/20
「訳文が現実を反映しているかの疑わしさ」を独立、リンクした記事の説明を追記
2016/5/13
文のグループ分けを見直し
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