伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

原本のほうが理があるヌレエフの憤激

『ヌレエフ』P.59:
その電報によれば彼はもはやキーロフの一員ではなく、返金のためバシキール共和国のウーファオペラ座にダンサーとして入団しなければならなかった。オペラ座は彼の研修中経済的な援助を行っていたからだ。
Meyer-Stabley原本:
Il n'appartient déjà plus à la troupe du Kirov et doit entrer comme danseur à l'Opéra d'Oufa afin de rembourser la république de Bachkirie pour l'aide financière qu'elle lui a apportée durant ses études.
Telperion訳:
彼はもはやキーロフのバレエ団の一員ではなく、ウーファのオペラ座にダンサーとして入団しなければならない。学業中に受けた金銭的援助をバシキール共和国に返済するためである。

キーロフ入団が決まったヌレエフのもとに来た、入団禁止を宣告する電報の内容。ヌレエフはこれに猛反発し、何とかキーロフにとどまろうとする。

奨学金を出したのはオペラ座でなくバシキール政府

ヌレエフの学業に金銭的援助をしたのは、原文では女性名詞を指す代名詞elleで表されている。Opéraは男性名詞なので、elleが指すのはオペラ座ではない。elleが指すのは女性名詞république(共和国)だということは、次の2点から分かる。

  • 文中の動詞rembourser(返済する)の目的語はバシキール共和国(la république de Bachkirie)。この動詞の目的語は返済すべきもの(奨学金など)のこともあるが、返済相手のこともある。共和国は貸借の対象でないのだから、返済相手。
  • この本の前のほうに(新倉本だとP.39)、ワガノワへの入学試験を受ける前、ヌレエフがバシキール共和国からの奨学金を待ち望んでいたという記載がある。

奨学金出資者による束縛力の違い

出資者がオペラ座の場合

ウーファのオペラ座に属するウーファ・バレエは、すでにヌレエフを非正規として雇ったことがあり、正式入団を希望したこともある。そこからの金でワガノワ・アカデミーに通い、入団先は別なバレエ団というのは、いわばバイトがバイト先企業の金で研修を受けた後、別な企業に入社するのに似ている。何の障害もなくキーロフに入れると思うほうがうかつに見える。

出資者がバシキール政府の場合

バシキール政府への借りを返すには、奨学金の返済で事足りるだろう。「キーロフに入団しても奨学金の返済はできる、キャリアを台無しにしてまでウーファに戻る理由はない」とヌレエフが憤っても不思議はない。

更新履歴

2013/11/15
ウーファのオペラ座とバレエ団の関係に触れる
2016/5/6
諸見出し変更

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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