新倉本が招くヌレエフの誤解(12) - いろいろ

  1. 夫人は彼を取り巻きにした
  2. P.203 遊べる相手を物色(「三日月クラシック」の原文比較2より)
  3. P.306 病気、熱とだるさに打ち勝てず(中略)運命の流れを変えられないことにうろたえていた。(「三日月クラシック」の原文比較3より)
  4. 指揮者への転職を考えて

マリー=エレーヌがヌレエフを取り巻きに?

第1項は、マリー=エレーヌ・ド・ロスチャイルドとヌレエフの関係が一気に寒々しくなりました。intimeの意味として仏和辞書に「親友、腹心、側近」などとありますが、その中の「側近」を思い切り打算的な意味にふくらませた感じですね。プティが『密なる時』原書でマリー=エレーヌをヌレエフの特別な女友達として挙げたことを知っている新倉真由美がここで「取り巻き」という言葉を選んだことが、私には解せません。

ナンパしていないのにナンパしていることに

第2項は、ヌレエフが探す対象が「買える海岸」から「遊べる相手」に。多分同性のことだと思ったので、女性関係の記事には入れませんでした。新倉真由美が「ヌレエフ、探す」から連想したのが「遊べる相手」らしいというのが、いつもの先入観の先行に見えます。

Meyer-StableyやDiane SolwayやJulie Kavanagh著の伝記をのぞく限り、当時西側にゲイの相手探しの場はあちこちにあり、ヌレエフはそこで大手を振って歩いていたようです。人気のない海岸でこっそり探すなんて、らしくもない。しかもその海岸はトルコのボドルム。ただでさえゲイの肩身が狭そうな国で、しかも人がほとんどいない場所に、いい相手がいる可能性はほとんどないのではないでしょうか。もっとも、訳本ではこの海岸がボドルムだか(フランスの)サントロペだか、判別できないのですが(「三日月クラシック」の原文比較2より「P.203 サントロペに所有していたボドラムの邸宅」を参照)。

エットーレ・モーのインタビュー記事

第3項は、リンク先で書いたように、私には原文の意味をはっきりつかむことができません。しかし、「病気が運命の感覚を消さない」という直訳が「彼は病気に打ち勝てない」「運命の流れを変えられないことにうろたえる」と言い換えられるとは、今でもやはり思えません。そもそも、この文の出典であるエットーレ・モーによる記事を読むと、訳本でも「彼のおごそかな言葉に心を打たれた」とか、「今僕はかつてなかったほど成長しました」(ヌレエフの言葉)とか、ヌレエフがうろたえているように見えません。逝去2か月近く前のインタビューという感傷を誘う状況を考えても、モーはむしろヌレエフを美化することはあっても、くさすようなことは書かないのではないでしょうか。

ちなみに、エットーレ・モーのオリジナルの文は、掲載されたコリエーレ・デラ・セーラ紙(訳本では「コリエール・デラ・セーラとありますが、イタリアの新聞だそうです)のサイトで読めます。イタリア語は機械翻訳に頼り切らざるを得ず、私には立ち入ったことは書けません。しかしタイトル" sto morendo, ma sono il piu' grande"(死に瀕しても、私は最も大きくなった)から、モーがヌレエフを称賛する気十分なのが察せられます。

指揮者を目指す動機の変化

第4項は、最初の代名詞celaが何を指すかで少し考える必要はあるし、"état de fait"(現状)の意味は私には仏和辞典で見つけられなかったので、新倉真由美の訳が無茶とは思いません。しかし、Meyer-Stableyが「バレエ音楽が軽視される状況を変えるため指揮者になろうとした」と肯定的に書いていることが、訳本では「バレエ音楽の幅が狭いことに乗じて指揮者になろうとした」という姑息な動機に成り下がったのは悲しい。

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