新倉本が招くヌレエフの誤解(10) - 完璧な踊り

  1. P.55 簡単にこなせてしまうために(「三日月クラシック」の原文比較3より)
  2. P.56 後に続くのは若きヌレエフ(「三日月クラシック」の原文比較4より)
  3. P.58 どんなに優秀なダンサーよりも傑出し(「三日月クラシック」の原文比較5より)
  4. P.219 姿勢を評価(「三日月クラシック」の原文比較4より)
  5. P.220 新たな挑戦(「三日月クラシック」の原文比較4より)
  6. P.210 皆はなんとかして彼と踊りたがりました(「三日月クラシック」の原文比較2より)

「ヌレエフのダンサーとしての力量が過大に書かれても、悪いことはない」という考えもあるかも知れません。しかし、ヌレエフの映像はいくつも購入可能だし、YouTubeで試聴するのも簡単です。余計な祭り上げは、不必要な幻滅を生みかねません。

キャリア最初の頃

第1、2項はワガノワ学校時代のヌレエフについて。本格的にバレエを学び始めた年齢が遅いというハンデを背負ったヌレエフは、スターの座に駆け上がってからも技術の不完全さをよく指摘されました。まして同級生に追いつくのに懸命だった学校時代なら、むしろ技術的には見劣りしていた時期の方が長いでしょう。

第1項の"peine à réussir"(成功するのに苦労する)が「簡単にこなせてしまう」に、第2項の"totalement étranger"(完全に無縁な)が「後に続く」に、第2項の"il n'est pas un danseur 'impeccable'"(「完璧な」ダンサーではない)が「完全無欠なダンサー」に。ここまで何度も逆に間違えるのも至難の業に思え、「天才ヌレエフに欠点があるなんてありえない」という思い込みに基づく意図的な書き換えを疑いたくなります。

第3項はヌレエフのキーロフ入団に関連する文。まだドゥジンスカヤとの「ローレンシア」デビューもしていないのに「革命以降のどんなに優秀なダンサーよりも傑出し」とは過剰な賛辞だと思って原文を見たら、ヌレエフではなくキーロフ初演バレエの話でした。balletsを「ダンサー」と訳すのは、バレエ本を読み慣れていればありえないミスだと思うのですが。

キャリアが花開いた後

古典ダンサーがコンテンポラリーに取り組む、あるいはその逆は、当時は極めて異例だったようです。ヌレエフのチャレンジ精神は賞賛されるべきものですが、試行錯誤の成果が必ずしも素晴らしい踊りばかりだったとは限りません。第4、5項で述べているのは恐らくそのこと。もっとも、「ヌレエフのコンテがどれだけ素晴らしくても、古典でしか見たくない」というファンがいても不思議はありませんが。

第4項でファンの一部が評価している(述語estimentの目的語)のは、古典レパートリーのヌレエフだけ。確かに"A à tel point que B"(あまりにAなのでBである)はいささか難しい構文ですが、「嘆く」(déplorent)に当たる語句を訳文に入れないのは、原文を正しく日本語に置き換える努力を放棄したように見えます。第5項で原文直訳「この議論を支えることになる」が「 彼の新たな挑戦へ弾みをつけた」になったのは、第4項である前の文でヌレエフが絶賛されているという思い込みを突き進めた結果でしょうか。

第6項は、ウィルフリード・ピオレの抑えた論評が絶賛になるという激変。"il y avait d'aussi bons danseurs à l'Opéra."(オペラ座には同じくらい優れた男性ダンサーたちがいました)というごく簡単な文を消すようでは、私には単なる不注意に見えません。

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