伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

新倉本が招くヌレエフの誤解(4) - 高慢

  1. あなた方よりよく知っているので学ぶべきことはないという感じ
  2. P.208 それを聞いたルドルフの顔色はみるみる青ざめていった(「三日月クラシック」の原文比較4より)
  3. P.81 攻撃的な批判を試みた(「三日月クラシック」の原文比較3より)
  4. 映画を作るのは踊るより一〇〇〇倍簡単に思えます
  5. ハイタワーが臆せず堂々と私のテクニックを吸収

強引さが目立つもの

第1項は、「彼に教えない」が「私が学ぶべきことはない」になったり、どこからともなく「~という感じでした」が飛び出したり、結構な飛躍が見られます。おかげで、プロのバレエ・ダンサーであるレスリー・キャロンだけならまだしも、もともとバレエと縁遠い撮影現場の人々にまでバレエの知識を鼻にかけているかのよう。何とも大人げない。

第2項は、訳本のヌレエフが威張ったのではありませんが、マリア・カラスに鼻をへし折られたような言われようなので、ここに入れました。実際に書かれているのは、後に2本の映画に主演するヌレエフに対する、カラスの見込み違いなのに。「カラスはルドルフのほおが青白いと思った」は前の文「その言葉は~をほのめかすものだった」の一部ですが、それを示す"au fait qu'"を新倉真由美は無視しています。「それを聞いて」「みるみる(青ざめて)いった」に至っては完全な創作。

比較的普通のミスに見えるもの

第3項は、純粋に単語の見間違いでしょう。それにしても、クレール・モットに「あなたが踊るのを見ました」と話しかけたり、ピエール・ラコットに「一緒に外に出たいのですが」と持ちかけたりするヌレエフが、「攻撃的な批判を試みた」とはあまりに変。この後モットやラコットがこき下ろされ、なのにパリのダンサーたちは寛大にもヌレエフと交友を続けたと新倉真由美や文園社は思ったのでしょうか。

第4項も、単語を細かく見ていないのだと思います。でもその結果、新倉真由美がヌレエフに言わせた言葉はとても感じが悪い。私は映画ファンではありませんが、それでもこれを読むと「映画1本に出たくらいで、何を偉そうに映画を下げてバレエを特別視しているんだ」と思います。

第5項は、最初は違和感なく読んでしまうかも知れません…私はそうでした。しかし新倉真由美のヌレエフが「ハイタワーは私に臆せず」と語ったのは、西側のバレエ団と初めて踊った時の回想だということを念頭に置くと、この発言がどれだけ身の程知らずかが分かります。プロになって3年の若手が、ベテラン・スターを相手に「私に臆さない」って。そういう言葉は、格下の相手について言うことですね。実際のヌレエフは謙虚に若輩者を自認しているのに。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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