伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

新倉本が招くヌレエフの誤解(3) - 馬耳東風

訳本だけに書かれていること、実際にあるにはあるが訳本では誇張されていることは、できれば分けて扱いたいのですが、区別するのが面倒なので、どちらも見出しでは誤解と呼ぶことにしました。

  1. P.255 態度を変えようとせず、耳に入ってくる批判も聞き流していた(「三日月クラシック」の原文比較3より)
  2. P.262 決してベジャールに謝罪しなかった(「三日月クラシック」の原文比較5より)
  3. 辞退が受諾に化ける
  4. 内輪の皮肉が公言のように書かれる
  5. ヌレエフの敵対者への原著者の批判的発言が消滅
  6. 完全撤回が一部撤回のように書かれる

デュポン→ヌレエフ

1番目の項は、抗議ストを匂わせるデュポンが、デュポンらの批判に耳を貸さないヌレエフに化けました。発端は次の2つでしょう。

  • 使役文「~させる」は新倉真由美の不得意分野の一つ
  • 「もし~なら」という意味のs'を新倉真由美が読み落とした

このため、正確な構文解析が不可能となれば、文に散らばった次のような断片を想像だけでつなぎ合わせるしかありません。

  • il laisse entendre(ここでは「彼が理解させる」だと思うが、一番メジャーな意味は「彼が聞かせる」)
  • il ne change pas de comportement(彼が態度を変えない)
  • il risque une grève"(彼がストライキの危険を冒す)

その結果がああなるのも、しかも文冒頭のEt(そして)が反対の訳語「しかし」になるのも、新倉真由美の脳内にいる、他人の言うことを聞かないヌレエフ像のなせるわざでしょう。

ちなみに、デュポンが反発した理由は、ヌレエフが全幕初日に出演する意欲を見せたから。しかしルドルフ・ヌレエフ財団サイトを見る限り、少なくともヌレエフは監督任期中に「ライモンダ」「ロミオとジュリエット」「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「シンデレラ」のオペラ座初演に出ていません(「シンデレラ」はVHS版に自身がプロデューサー役で出ていますが、あの役の初演はミカエル・ドナール)。現実のヌレエフは態度を変えざるを得なかったようです。

許さない→謝罪しない

2番目の項で動詞pardonner(許す)が「謝罪する」になるのは、次の理由で私には非常に不可解です。

  • pardonnerは英語pardon(許す)に似た単語なので、むしろ違う意味だったとしても「許す」と訳したくなる単語に思える。
  • そもそも、承認を得たと勘違いしたせいとはいえ、勝手にダンサーをエトワールに任命した上、テレビでヌレエフ追放を訴えたらしいベジャールこそ、先に謝る立場ではないだろうか。

それが「決してベジャールに謝罪しなかった」という、ヌレエフが謝罪すべきだったような言い方になる理由として、「周囲をひっかきまわして平気なヌレエフ」という新倉真由美の先入観をどうしても私は思い浮かべます。

3番目以降の項について

3~5番目の項は訳抜けの連発。「周囲が何と言おうと気にしない」という印象を植え付ける方向の訳抜けの続出にはもやもやします。3番目で否定文を肯定文として訳すのは、故意を疑いたくなるくらい派手なミス。もっとも、新倉真由美はよそで「否定した」を「否定しなかった」としており、意図的にこうする理由は見えないので、本当にこの手の見間違えをするようです。

6番目の項は挙げたなかで唯一、先入観とは無関係なミスだろうと思います。この文を読むのは私も苦労したし、先入観で突っ走るならもっとあからさまな訳文になったのではないかと思うので。

2013/6/28
ヌレエフ財団サイトに「くるみ割り人形」オペラ座初演キャストの記載がなかったので、言及を削除

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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