伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

新倉本が招くヌレエフの誤解(1) - 犯罪行為まがい

前置き

Meyer-Stabley著『Noureev』の訳本『ヌレエフ』に私が抱いている不満は、次の2つに集約されます。

  • 原本『Noureev』は『ヌレエフ』のように不正確で論理的でない文を書き散らした本ではない。
  • 『Noureev』で書かれるヌレエフは、『ヌレエフ』で書かれているほどパターン化されたわがままセレブではない。

しかしなにぶん記事が増えたので、上の主張の裏付けに適した記事が見つかりにくい状態です。1番目の不満の原因である不正確さについては、「三日月クラシック」のミナモトさんの手による怪しい部分まとめ記事で、原文を見ずともあからさまに間違った部分が列挙されており、いい紹介になっています。そこで私は今回、2番目の不満の原因である、ヌレエフ像をゆがめる方向に原文から逸脱した訳文の例をピックアップしたくなりました。

簡潔にまとめた記事は必要だと思います。しかし、いきなり完成品を出すのは困難です。というのも、選んでいると「どうして何度もこういうことをやるのかね」とイラついてくるからです。そこでガス抜き代わりに感想も混ぜつつ、少しずつ記事を選んでいき、記事数次第で最後にまとめ一覧にしようかと思います。作業場公開みたいで冗長かと思いますが、ご容赦ください。

記事一覧

  1. 逃れたという事実が思い込みのような扱い
  2. ジェラルド・リヴェラの夢想が実体験のような扱い
  3. P.294 スポットライトの陰で麻薬を服用しているのではないか(「三日月クラシック」の原文比較1より)

ミック・ジャガーと組んで性的行為を強要?

第1、2項は、「自邸に招いたヌレエフとジャガーに怪しげな素振りをされた。冗談扱いして切り抜けたが、2人は本気だったと信じている」というジェラルド・リヴェラの回顧談。ヌレエフとジャガーはリヴェラに逃げられて引き下がったわけです。ところが訳本『ヌレエフ』を読むと、断るリヴェラに2人が性的関係を強要したように見えます。

第2項は、現実と反する仮定を指す条件法の見逃しであり、単なるフランス語文法の知識不足と呼んでもいいでしょう。新倉真由美が条件法の訳を間違えるのはここだけではないので、ケアレスミスとは呼びませんが。しかし第1項で原文を素直に訳さなかったのは、ケアレスミスと言うよりは、第2項で生まれた「リヴェラに関係を強要したヌレエフとジャガー」というイメージに合わせた書き換えなのではと疑っています。

ミック・ジャガーの内心に関わる原文逸脱

ヌレエフの名誉棄損ではないので別扱いにしますが、ジャガーの扱いも雑です。

1番目の事態になったのは、原文のあちこちを省略した結果。翻訳ミスとは呼びません。改ざんの意図なくしてこういう省略ができるとは、私にはとても信じられないからです。新倉真由美と文園社のどちらの所業かは分かりませんが、ヌレエフとミック・ジャガーの関係をよほど強調したかったようです。

2番目の項は、chaussons(シューズ)とcollants(タイツ)の見間違え(リンク先に書いたとおり、新倉真由美は別な個所でもこの見間違いをしています)と代名動詞の理解不足が組み合わったもので、悪気はないミスだろうと思います。それにしても、「タイツの中を想像」という訳文、インパクトあり過ぎです。

テレビ番組で麻薬常用を公言?

第3項に該当する個所は過去2回に分けて書いているので、まとめて引用します。

『ヌレエフ』P.294:
テレビ番組のインタビューで、スポットライトの陰で麻薬を服用しているのではないかとの指摘に対し、彼は驚くほど誠実に答えている。
「ええ、それなしで私はこれ以上何もできなくなってしまうでしょう。朝起きたときになんの目的もなくなるのは恐ろしいことです。
Telperion訳:
フランス・ソワール紙のための驚くほど率直なインタビューで、自分がスポットライトの中毒者であると気づかされたとき、ルドルフは告白した。
「ええ、もう何もしないことにしてもいいでしょう。その一方、目的もなく朝に目を覚ますのは恐ろしいことでしょう。

Meyer-Stableyの説明文は「三日月クラシック」の原文比較1で、ヌレエフの言葉は原文比較5で取り上げられています。

「~の、~から」という意味が圧倒的に多い前置詞deを「~の陰で」と言い換えるのは非常に無理があります。ヌレエフの言葉だって、仕事がない生活への恐れについてです。まとめ記事でミナモトさんが書いていた「いくらなんでも麻薬の使用を公言するだろうか」という疑問ももっともです。

ヌレエフの言葉には、代名動詞と条件法という新倉真由美が苦手な文法があるので、原文からかけ離れても無理はないかも知れません。でも原文にない「それなしで」の加筆のせいで、ヌレエフの言葉がさらに麻薬常用の自白に見えるのには、いい気分でありません。

2013/7/8
第3項(麻薬関連)を追加。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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