伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

亡命時のヌレエフをロゼラ・ハイタワーは見なかった

『ヌレエフ』P.97:
一方ブルジェでは、バレエ団の団員たちがロンドンに向けて旅立とうとしていました。その時突然、二人の男たちにはさまれているヌレエフの姿が見えました。彼らはモスクワに向かう飛行機に彼を乗せようと誘導しているところでした。
Meyer-Stabley原本:
Mais au Bourget la troup allant s'envoler pour Londres, brusquement, il s'est vu s'encadrer par deux hommes voulant le diriger sur l'avion qui repartait pour Moscou...
Telperion訳:
しかしブルジェでバレエ団がロンドンに飛び立とうとしており、突然彼はモスクワに引き返す飛行機に自分を送り込もうとする2人の男に挟まれていたのです...

ロゼラ・ハイタワーがヌレエフの亡命について語った談話で、「彼には何の準備も予想もありませんでした」に続く部分。

文法解説

新倉真由美訳の「ヌレエフの姿が見えました」に相当する原文"il s'est vu ~"の文字通りの意味は、「彼が自分が~なのを見た」。ヌレエフを見たのはハイタワーでなくヌレエフ自身。

ここでの述語の代名動詞"se voir"は、「自分が~なのを見る」から転じて「~になる、~に陥る」などという意味にもなる。この場合はそちらの意味だろう。

ハイタワーはその場にいない

ヌレエフがハイタワーと知り合ったのは、亡命後にクエヴァス・バレエで踊ったとき。その前に面識があったという話は、Meyer-Stabley本でも、『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)でも、現在ネットで読めるTelegraph紙やGuardian紙のハイタワー訃報記事でも聞かない。ハイタワーはヌレエフが亡命に追い込まれる様子を推測し、描いてみせているのだろう。

新倉真由美の文の不自然な点 - 突然現れた二人の男

私が訳本を読んだ当時、ヌレエフとハイタワーがいつ知り合ったのかは知らなかった。だからハイタワーが亡命現場に居合わせたことは不審に思わなかった。

しかし、ハイタワーの談話が挿入された部分で、ヌレエフはピエール・ラコットに付き添われている。この後通訳がラコットに別れを急かしたとあるので、まだKGBはヌレエフのそばに来ていない。だから新倉真由美の訳で「二人の男に挟まれたヌレエフ」とか「彼らは彼を誘導している」とかいう記述がここに来るのは、ひどく奇妙に見えた。

更新履歴

2014/1/30
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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