伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

『ヌレエフ』第10章最後のプティ引用をどう解釈するか

『ヌレエフ』第10章最後のプティ『密なる時』引用について、だいぶ前に記事「プティはヌレエフの性への情熱を否定したのか」を書きました。最近、その記事の内容に疑問を持つようになりました。自分の記事に間違いを見つけたことは何度かありますが、そういう間違いは記事の主題ではなかったので、訂正するのは比較的楽でした。今度の疑問は、記事の存在理由をゆるがしかねないので、どう処理するかまだ考えあぐねています。その間ずっと記事がそのままなのも気が引けるので、問題の整理を兼ねて書いてみることにします。

プティが見たヌレエフが性欲にかけたエネルギー

まず、引用の最後の文を見てみます。

『ヌレエフ』P.186: 彼は命を踊るために保持していたのです」

Meyer-Stabley原本: Il gardait son énergie pour travailler en dansant sa vie. »

Telperion訳: 彼がエネルギーを保っていたのは、人生を踊り、働くためだった」

ヌレエフが保持しているのは原文では"son énergie"(彼のエネルギー)ですが、訳文では命に見えるというのは確かです。しかし、文意がそう違わないなら、単語1つの訳抜けくらいで記事を書く気にはなりません。私があの記事を書いたのは、こう思っていたからです。

プティはヌレエフの激しい私生活も含めて「人生を踊る」と表現しているのだ。
(新倉真由美の訳文は)まるでプティが「ヌレエフが性行為に明け暮れていたというのは偽りで、彼は踊ることだけに人生を費やした」と反論しているかのよう。

ところが、去年の終わりごろから『ヌレエフとの密なる時』を読み、『Temps Liés avec Noureev』に目を通しているうちに、プティの主張は「ヌレエフが性行為に明け暮れていたというのは偽りで、彼は踊ることだけに人生を費やした」であり、新倉真由美の訳文からそう感じても何の問題もないと思うようになりました。理由をざっと並べます。

  • 記事「命を燃やすのと情熱の奴隷になるのとの対比」の原文は私には「性行為に明け暮れているという見かけの下で、彼は踊りへの情熱の奴隷だった」という意味に見えます。
  • プティはその少し前にも、「性欲には情熱的な人生のうちわずかな時間しかかけなかった」と書いており、ヌレエフの情熱は他のことに燃やされていたとほのめかしています。
  • 他を読んでも、ヌレエフの踊りへの情熱についての文に比べ、ヌレエフの性交渉についての文からは「たくさんやっていた」以上のものは伝わってこないような気がします。

そういうわけで、上記の私の文は撤回すべきと思うようになりました。しかしそうすると、この部分の指摘はかなりどうでもいいことになります。

「しかし」の追加の是非

『密なる時』のプティの文は『ヌレエフ』では「しかしローラン・プティは~と語っている」という形で引用されていますが、原文に「しかし」に当たる言葉はありません。新倉真由美が原文によらずに「しかし」を削除または追加すると、だいたいは原文の意味が壊れるので、私はここでも「しかし」の追加を取り上げました。

しかしこの文の直前は、記事「ヌレエフが性欲を持て余していた?」にある文です。Meyer-Stableyは最後にプティの文を持ち出すことで、その前に書いた「肉欲の勢いを決して抑制しようとせず、ヌレエフは放埓に過ごすのをやめず、先祖の官能すべてを放蕩に捧げ、性欲を健康的な行為とし」への反論を提出しているのかも知れません。唐突なので私は当初そう思えず、その記事で愚痴っていますが、可能性はあります。Meyer-Stableyは片方が持論に反することでも、両論を併記することが何度かありますから。(記事「堕落から生まれたのでなく、堕落を生んだ羞恥心」の部分もそう)。

プティの引用が反論の意味を持つなら、「しかし」が加わってもプティの文が引用された意味は変わらないということになります。原文どおりでないとはいえ、結果的に意味が変わらないなら、指摘する意味がありません。

どうすべきか

とりあえず、記事タイトルとプティのスタンスの説明は、このままにはしておけませんね。その後の記事は、誤りはなくても細かすぎる指摘記事になると思われます。間違い一覧に他のと並べるほどのものかどうか。直前の文に関する記事からだけリンクするとか?

プティの引用の直前にある「性欲を健康の行為とし、わずかな時間しか許さないと決めていた」の意味は、『Temps Liés avec Noureev』で元の文を読むまで私には想像できなかったのでした。だからそれを考慮しないでプティの引用を解釈したのが、つまづきの原因です。取り上げる文自体は読めても、近くに分からない文があるときは注意が必要ですね。残念です。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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