プティの原文と『ヌレエフ』原著者の引用の違い

前に記事「性欲を持て余したとは限らない」で、『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』原著者メイエ=スタブレ(Meyer-Stabley)がプティと違う意見を言うためにプティの文を借用することへの疑問について書きました。今回はその続きです。

聴衆が彼に喝采するために来た

メイエ=スタブレはダンサーとして舞台に立つのをやめる直前のヌレエフについて、「観客は自分たちのアイドルに恐らく最後の喝采を浴びせに来た」と書いています。この表現がプティの『Temps Liés avec Noureev』からパクったものだということは、上記の記事で書いたとおり。

プティが元の文で描写しているのは、1983年のヌレエフ。観客がヌレエフに喝采しに来るのは1983年が恐らく最後というのは、手厳しい言い方です。この年の「ノートルダム・ド・パリ」で多くの観客を集めたとはいえ、ヌレエフの出来はプティにとっては不満だらけ。それに1970年代すでに、ヌレエフの公演が名声や人気に見合う質でなくなり始めているとプティは思い、展示されたクジラにたとえています。1983年以降、男性ダンサーとしては高年齢のヌレエフが観客を満足させるのが難しくなっていくことを、執筆時のプティはもう知っているし、1983年当時でも予想できたことでしょう。

メイエ=スタブレは、たとえ晩年だろうと、公演に来る観客たちはヌレエフに熱狂したと書いています。実際にはいつもその通りとは決して言えませんが、熱狂的な観客がまるっきりいないわけでもないでしょうから、その正誤は問いません。しかし、1983年のヌレエフについての文を使って1990~1年のヌレエフが描写されるのは、プティが見たらびっくりするかも知れません。プティは後のヌレエフが観客からブーイングを浴びることもあったと書いているから(『ヌレエフとの密なる時』P.94)、なおさらです。「プティは1990年のヌレエフについてこう言った」ではないので、プティの迷惑にはならないのかも知れませんが、何もまるで違う文脈の表現を持ってこなくてもよいのに、と思います。

チューリッヒの湖畔についてのヌレエフの談話

「三日月クラシック」のコメントで書いたとおり、メイエ=スタブレはプティがヌレエフから聞いた「ホテルの外でタイプの相手を見つけ、湖畔の茂みで愛し合った」という話を取り上げ、プティが自著に書いたフランス語訳をまるごと引用しています。ところが、引用はそこで終わり、プティが続けて書いた「後でヌレエフが言うような場所を探したけれど、そんな場所はなかった。私は彼の話の信憑性を強く疑った」というくだりはありません。だからメイエ=スタブレ本を読むと、ヌレエフが茂みでやったことは確定事項。表現だけをパクった先ほどの例と違い、こちらは「プティがこう証言している」という内容だからたちが悪い。

幸い『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』ではこのくだりがばっさり省略されています。その代わり『ヌレエフとの密なる時』では、ヌレエフの話が疑わしいという正当な理由がまったく分からないのですが。

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