観客が踊りに立ち入らないのは当たり前

『ヌレエフ』P.170:
観客は私が行っていることに立ち入れないのです。舞台上では感情を内面化し自分自身に集中しなくてはなりません。
Telperion訳:
私が感じることは内面化され、私自身の中に凝集され、観客はそこに入ってこないのです。
原本『Noureev』:
le public ne pénètre pas dans ce que j'éprouve, qui est intériorisé, ramassé en moi-même.

1978年11月27日のパリ・マッチ誌に載ったヌレエフのインタビューより。この発言を含むインタビューをMeyer-Stableyは"Aveu pathétique de la solitude du génie et de l'égocentrisme de l'artiste"(天才の孤独と芸術家の自己中心主義の悲壮な告白)と呼んでいる。

éprouverは「行う」でなく「感じる」

自分の感情を観客が共有しないのは、確かに孤独を感じても無理のない状況だろう。しかし新倉真由美の訳では「感じること」が「行っていること」になったため、まるでヌレエフが舞台で行う踊りに観客が介入しないのを孤独に思っているように見える。しかし、観客が踊りに立ち入ってきたら、ダンサーにとってはむしろ迷惑だろう。単語ひとつの間違いに過ぎないとはいえ、新倉真由美の文には微妙な違和感がある。

「しなくてはならない」に相当する言葉は原文にない

「私が感じること」(ce que j'éprouve)を修飾する関係節"qui est intériorisé, ramassé en moi-même"の意味は、「内面化され、私自身の中に集まる」。ヌレエフの感情が外から見えなくなるのは、ヌレエフが義務感をもってしているのでなく、自然になるのかも知れない。

2014/2/12
発言の文脈をより詳しく説明
関連記事

コメント

非公開コメント