マカロワやバリシニコフはヌレエフより先に帰国

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』P.284:
オレグ・ビノグラフ(原文ママ)が提案した招待公演は、後年バリシニコフやマカロワが帰国した際にも同様に行われた。
Telperion訳:
そういうわけで、キーロフの招待がオレグ・ヴィノグラドフから発信された。ヴィノグラドフはバリシニコフとマカロワの帰還後、同じ流儀でタタール人を招いた。
原本『Noureev』:
Ainsi, l'invitation du Kirov émane d'Oleg Vinogradov qui, après le retour de Barichnikov et Makarova, convie de la même façon le Tartare.

1989年11月にヌレエフがレニングラードでキーロフ・バレエのゲストとして「ラ・シルフィード」を踊ったことについて。

仏文解釈

Oleg Vinogradovを関係詞"qui convie de la même façon le Tartare"(同じ流儀でタタール人を招いた)が修飾し、この関係詞を"après le retour de Barichnikov et Makarova"(バリシニコフとマカロワの帰還後)が修飾している。つまり、ヌレエフが招待されたのはバリシニコフとマカロワより後。

マカロワとバリシニコフの帰国時期に関する新聞記事

  • 1989年2月1日のLos Angels Times紙の記事には、レニングラードでキーロフ・バレエとの共演を控えたマカロワのインタビューが載っている。記事にはこうある。

    Makarova is the first defecting Soviet artist to accept an invitation to perform in her motherland.

    亡命したソ連の芸術家のうち、祖国での公演の招待を承諾したのはマカロワが初めてである。(Telperion訳)

  • 1989年7月2日のNew York Times紙の記事には、ヴィノグラドフがバリシニコフとABTをレニングラードに呼ぶ計画が進んでいることが記されている。

主な更新

2014/1/21
引用文の文脈を追加、小見出しや箇条書きを導入
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