ヴァレンティノの低身長を皮肉る原著者

『ヌレエフ』P.238:
彼は小柄だったがそのビロードのような瞳や後光はそれを忘れさせ、何十万ものラテン人の愛人として君臨していた。
Telperion訳:
そのビロードのような目、ラテンの恋人のオーラは、何百万人もの女に自分たちの神が小男に過ぎないということを忘れさせていた。
原本『Noureev』:
Son œil de velours, son auréole d'amant latin avaient fait oublier à des millions de femmes que leur dieu n'était qu'un nabot.

ヌレエフが映画『ヴァレンティノ』で演じた俳優ルドルフ・ヴァレンティノの説明の1つ。

ラテン人なのはファンでなくヴァレンティノ

原文の"amant latin"とは、ヴァレンティノの通称"latin lover"(ラテンの恋人)のフランス語訳。意外なことに、この通称が生まれた理由のはっきりした説明を見つけることは私にはできなかった。しかし、ヴァレンティノがイタリアからの移民であること、闘牛士(「血と砂」)やアラブの族長(「シーク」)などエキゾチックな役が有名なことを考えると、「ラテン人である恋人」という意味だと思われる。

Meyer-Stableyの文から確実に言えるのは、latin(ラテンの)が形容するのはヴァレンティノである"amant"(恋人)であり、ヴァレンティノのファンである"des millions de femmes"(何百万人もの女性)ではないということ。しかし新倉真由美の「何十万ものラテン人の愛人」という言い方では、ヴァレンティノの大勢のファンがラテン人だったように見える。

ヴァレンティノの背の低さへの言及

悪意が見えるMeyer-Stabley

文の最後の"n'était qu'un nabot"は「ちびでしかなかった」。

  1. 仏和辞書を見る限り、nabotは露骨な言い方。
  2. "était un nabot"(ちびだった)でなく"n'était qu'un nabot"(ちびでしかなかった)という表現なのも、嫌味が増していると思う。
  3. そしてこの語句が文の最後。初めのほうでヴァレンティノの顔をほめたのが色あせるくらいのインパクトを感じる。

新倉本P.233でもMeyer-Stableyはヴァレンティノを「背を高く見せるためにヒールのある靴を履き」と書き、他にも容姿をこき下ろしている(原文はこちら)。Meyer-Stableyはヴァレンティノを好いていないように見える。

賛辞に書き換えた新倉真由美

新倉真由美は"n'était qu'un nabot"を「小柄だった」とした。新倉真由美は『密なる時』P.15で"les laides"(醜い者たち)を「美しいとは言い難かった者たち」と訳しており、あからさまな悪口を好まないのではないかと思う。クレーム除けのためにも、悪口をマイルドに言い換えるのが仕方ない面もあるだろうから、これだけなら私は取り上げなかったかも知れない。

しかし新倉真由美はヴァレンティノの低身長への言及を文の最初に移動し、その後にヴァレンティノの容姿の良さや人気についての文を持ってきた。おかげでMeyer-Stableyが込めた皮肉は雲散霧消してしまった。新倉真由美は普段、原文の構成要素の順番を訳文でも同じにすることにとてもこだわっている。それに原文を直訳すると私の上の訳のようになり、「ちびに過ぎない」は最初にならない。なのに順番をこれほど変えるとは、とても強い意思が働いていると思う。私にとっては、嫌味がこもった文をほめ言葉として訳すのはやり過ぎ。

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