ありとあらゆる踊りが好きとは限らない

『ヌレエフとの密なる時』P.68:
ヌレエフ氏は考える。クラシックバレエであれコンテンポラリーダンスであれ、また一般大衆が好きな祖国を称賛し愛国心を高める民族舞踊であれ、自分はありとあらゆる踊りを愛しているのだと。
Telperion訳:
ヌレエフ氏は批評する。古典またはコンテンポラリーのダンスが好きで、皆と同じく、踊る国を熱狂させる民族舞踊が好きだ。
原本『Temps Liés avec Noureev』:
Monsieur Noureev critique. Il aime la danse classique ou contemporaine et comme tout le monde les danses folkloriques qui exaltent les pays qui les dansent,

第1文のcritiqueは動詞critiquer(批評する)の直説法現在・三人称単数の活用と思われるが、名詞critique(批評家)という可能性も捨てきれない。いずれにせよ、批評について語っているのは確か。批評は自分の下した評価を他者に知らせる行為であり、「考える」と言い換えるのが適切とは思えない。また、第1文と第2文は独立しており、文法的に第2文が批評の対象だと示す要素はどこにもない。

ヌレエフが好きな踊りとしてローラン・プティが挙げたのは、古典、コンテンポラリー、民族舞踊の3つだけ。これら以外にも踊りの種類は無数にあるし、原文で「ありとあらゆる踊り」に当たる表現はない。もしかすると、一見「世界すべて」と見えなくもない"tout le monde"の訳なのかも知れないが、"tout le monde"は「すべての人」というイディオム。

"comme tout le monde"(すべての人のように)は「ヌレエフが民族舞踊を好きだ」という文を修飾している。すべての人とはもちろん一般大衆に限らない。誰もが民族舞踊を好きだというのは強い断定だが、誰でも自分の国の踊りは好きだとプティは信じているのかも知れない。

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