伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ゴーリンスキー逝去はヌレエフより前

『ヌレエフ』P.191:
一九六二年、ヌレエフは有名なサンドル・ゴリンスキーというエージェンシーに入り、最期までスケジュールの管理を任せた。
Meyer-Stabley原本:
En 1962, Noureev entre dans la célèbre agence de Sandor Gorlinsky, qui gérera de main de maître sa carrière jusqu'à sa mort en 1990,
Telperion訳:
1962年、ヌレエフはサンドル・ゴーリンスキーの名高い代理店に入り、ゴーリンスキーは1990年に死去するまで、名人の腕をふるって彼のキャリアを管理する。

1990年の"sa mort"(彼の死)とはヌレエフとゴーリンスキーのどちらなのか、文法的には区別できないと思う。しかも直前の"sa carrière"(彼のキャリア)は文脈的にヌレエフのキャリアを指すので、なおさら惑わされる。しかしこの『Noureev』で、ヌレエフの逝去は1993年だと明記されているので、1990年の逝去はゴーリンスキーの方だと分かる。

訳本ではなぜか「1990年の」が省略されたため、「最期まで」がどちらのことか分からない。文の主語が一貫してヌレエフである分、むしろヌレエフの最期だと思われる可能性のほうが高いかも知れない。

『Noureev』だけを読む分には、どちらの逝去が先なのか分からなくても、読んでいてすっきりしないだけですむ(あまり望ましくないが)。しかし、ゴーリンスキーが先に世を去ると新倉真由美が『Noureev』で把握していれば、プティの『Temps Liés avec Noureev』を翻訳する時に"la disparition de Gorlinsky"(ゴーリンスキーの逝去)を「ゴーリンスキーから亡命」と訳さずにすんだかも知れない。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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