踊りと映画の比較が経験談から一般論に

『ヌレエフ』P.237:
映画の俳優たちはそういう状況に充分慣れてないかもしれませんが、私から見れば映画を作るのは踊るより一〇〇〇倍簡単に思えます。バレエでは精神的より肉体的にものすごい緊張に耐えることを要求されますから。
Meyer-Stabley原本:
Je crois que les acteurs de cinéma ne sont pas suffisamment habitués à ce type de difficulté. Pour ma part, en tout cas, faire ce film m'a semblé mille fois plus facile que de danser, que de supporter cette formidable tension, tant physique que morale, que la danse exige.
Telperion訳:
映画の俳優はこの種の困難に十分慣れていないのだと思います。私としてはいずれにせよ、踊るよりも、踊りが要求する肉体的にも精神的にもとてつもないこの緊張に耐えるよりも、この映画を撮るのは一千倍も簡単に思えました。

ヌレエフが「監督が怒鳴ることがあったが、印象には残っていない」と語った後に続けた談話。

ヌレエフが語る経験談

  • ヌレエフが簡単だと言ったのは、"faire ce film"(この映画を撮る)こと。
  • 「思えました」(a semblé)の時制は直説法複合過去。つまり過去に思ったことを語っている。

このことから、ヌレエフが「踊るより簡単に思えた」というのは、自分が参加した「ヴァレンティノ」について撮影当時考えたことだと分かる。

「この映画を撮るのは簡単に思えた」という言葉自体は、もしかしたら「簡単だったとか言うわりには出来は良くないけどね」といった反感を買うかも知れない。しかし、「この種の困難」(ce type de difficulté)とは監督に怒鳴られることなので、ヌレエフが言う「この映画を撮るのは簡単だった」とは、「怒鳴られてもストレスを感じずに撮影できた」という程度の意味に思える。

新倉真由美が語る一般論

新倉真由美の訳は「この映画」が「映画」になり、「思えました」が「思えます」になったというそれだけのことで、ヌレエフの語りが一般論になっている。つまり、「ヴァレンティノ」に限らずどの映画の制作も、踊るより簡単という主張になる。私には映画制作に伴う苦労を過小評価、ひいては愚弄しているように聞こえる。

その他の小さなこと

  1. croireは「信じる、思う」。「かもしれない」よりは確信の度合いが強い。
  2. "tant A que B"は「AもBも」。Aに当たるphysique(肉体的な)とBに当たるmorale(精神的な)は同格。
2014/3/3
原文についての記述と訳本についての記述を分ける
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