内心屈服しないソ連の芸術家の多さ

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』P.77:
仮にルドルフがソヴィエトの芸術家らしく振舞ったとしても、その精神は屈服せず忠誠心も見せかけにしか映らないからだ。
Telperion訳:
ソ連の芸術家になじみの慣習、すなわち「屈すれど譲らず」をルドルフがどうにかこうにか守っても、その忠誠心はあまりに見せかけのように見えたからだ。
原本『Noureev』:
Car si Rudolf joue tant bien que mal le jeu habituel des artistes soviétiques ― plier mais ne pas céder ―, sa loyauté semble trop fictive.

キーロフの西欧ツアーに参加するヌレエフに向けられた懸念。

精神が屈服しないのはソ連の芸術家の行動

文中の"plier mais ne pas céder"は、「屈服する」という意味の動詞2つを用いた「plierするがcéderしない」という形をしている。恐らくplierは目で見える形の屈服、céderは内心の屈服を指すのだろうと思う。「その精神は屈服せず」と訳した新倉真由美も、同じような解釈なのだろう。

さて、原文はカンマによって2つの部分に分けられる。

  1. カンマの前は、「ルドルフがどうにかソ連の芸術家のルールに従って行動しても」という従属節。
  2. カンマの後は、「彼の忠誠心はあまりに見せかけのようだった」という主文。

「精神は屈服せず」を新倉真由美は主文につなげている。しかし次の理由から、原文の"plier mais ne pas céder"は従属節の一部。

  1. "plier mais ne pas céder"はカンマの前にある。
  2. "plier mais ne pas céder"は長ダッシュのペアに囲まれている。長ダッシュのペアは括弧と同じような意味を持ち、前に書かれたことを補足するために使われる。

"plier mais ne pas céder"の前にあるのは、"le jeu habituel des artistes soviétiques"(ソ連の芸術家のおなじみのルールや慣習)。つまり、「屈するが従わない」とは、ソ連の芸術家一般の行動の説明。

心からは屈服しなかったソ連の芸術家たちの例

新倉真由美の訳を読むと、内心屈服しなかったのはヌレエフ一人で、ソ連の芸術家は精神まで屈服していたとしか読めない。しかし、ソ連の芸術家たちのことをいろいろ考えてみると、ソ連にとどまったまま当局からの圧力に耐えた芸術家たちがいかに多いかに思い至る。

スヴャトラフ・リヒテル
私が真っ先に思い浮かべる名前。父がドイツ人だったために国外での演奏をなかなか許可されなかったピアニスト。
マイヤ・プリセツカヤ
バレエ・ファンが真っ先に思い浮かべるのはこの名前かもしれない。やはり出自が原因で国外になかなか出られなかった。
セルゲイ・プロコフィエフ
迫害されたとは言わなくても、当局と蜜月だったわけでもなさそう。

「体制に順応していた」(訳本P.76)と書かれているコンスタンティン・セルゲイエフですら、パリでセンセーションを起こしたヌレエフのソ連送還に不賛成で、送還命令の実行を可能な限り先延ばしした(Diane Solway著『Nureyev: His Life』やJulie Kavanagh著『Nureyev: The Life』での記述)。当局に心底従っていた芸術家もいたのだろうが、西側で広く知られるソ連の芸術家は、むしろ当局からの圧力に何らかの形で苦しんだほうが多いかも知れない。

2014/2/11
大幅に書き直し
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