検討すべきは入学後に学校のレベルに届くかどうか

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』P.44:
どんなに巧みにこなしても、入学するには二、三年練習が必要だったかもしれない。
Telperion訳:
どんなに天分があっても、2~3年の授業でまだ学校の型に収まれるだろうか?
原本『Noureev』:
Si doué soit-il, peut-il encore en deux, trois ans de cours entrer dans le moule de l'école ?

1955年、ワガノワ・アカデミーの入学試験を受けるまでこぎつけたヌレエフ。専門的な訓練が足りないまま、一般的な入学年齢を過ぎたヌレエフの前に立ちはだかる困難。

2、3年の練習が入学前ではつじつまが合わない

原文で提起された疑問とは、"peut-il encore en deux, trois ans de cours entrer dans le moule de l'école ?"(彼はまだ授業の2、3年で学校の型に入ることができるだろうか?)。ごく平易な疑問文で、構文解釈自体は難しくない。

新倉真由美は「学校の型に入る(entrer dans le moule de l'école)」を「入学する」、「授業の2、3年(deux, trois ans de cours)」を入学するための練習だと解釈したらしい。しかし当時のヌレエフの状況を考えると、どうもこの解釈は納得がいかない。

  • ヌレエフは1949年以降、バレエ教師に師事したり、地元のバレエ団の公演に出たりしてきた。練習期間はとっくに2、3年を超えている。
  • それとも、受験時からさらに2、3年の練習が必要という意味なのだろうか。しかし17歳のヌレエフは、原本で書かれたとおり、すでに一般的なワガノワ入学の年齢を大幅に超えている。さらに2~3年練習してから入学するのは、不可能なのがあまりに明白。

2、3年とはワガノワ入学後の授業

ここで原文の細部をもう一度見てみる。

  • 原文は「学校に入る」でなく「学校の型に入る」。
  • cours(授業、課程)は自分1人でできる練習ではなく、誰かに教わることを指している。「練習」という訳語は適切とは思えない。
  • "peut-il entrer dans le moule ?"(彼は型に入れるのか)は直説法の疑問文。「あれをしていれば学校の型に入れたのだろうか」という、現実に反した状況についての疑問文なら、条件法で書くはず。直接法だということは、「学校の型に入れるのか」は可能性の有無を真剣に検討する疑問文なのだ。

これらを考え合わせると、「学校の型に収まる」とは、「学校独自のスタイル、方法論を身に付ける」だという解釈が浮かんでくる。そしてcoursとは、学校の授業。「今から学校で2~3年授業を受けて、教わったことを身に付けることができるのか?」なら、実現可能性を検討することは十分に可能。実際、ヌレエフがワガノワに入学を許可される前に、まさにこの点が教師たちの間で議論されたはず。

なお、"Si doué soit-il"(どんなに天分があっても)の述語以降は"être doué"(天分がある)。入学試験での出来にとどまらない、ヌレエフの持つ資質について言っている。

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