伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

批評家の価値観、批評家が推測したヌレエフの価値観

『ヌレエフ』P.220:
バレエの神髄には完璧な五番ポジションこそ芸術作品であり、それを見事にやってのけている。例の歌姫同様、彼は間違いなく完璧主義者で、その偉大さはがむしゃらな探求心による。ジャンプの高さや回転の記録などは眼中になく、それは追随するものが越していくだろう。
Meyer-Stabley原本:
Pour Noureev, la moindre cinquième position doit être une œuvre d'art, et il la rend telle. Comme la cantatrice, il est avant tout un insatiable perfectionniste. Et c'est en cette quête acharnée que réside sa grandeur, davantage qu'en des records de saut en hauteur ou de girations qui n'ont rien à voir avec l'âme de la danse, et qu'il peut laisser à d'autres.
Telperion訳:
ヌレエフにとって、最も劣った5番ポジションは芸術作品に違いなく、芸術作品たらしめている。あの歌姫のように、彼は第一に飽くことのない完璧主義者である。そして、この執拗な探求にこそ彼の偉大さが存在する。それに比べれば、バレエの本質と何ら関係がないジャンプの高さやターンの記録は軽いものであり、彼が他者に委ねることもある。

フランスのジャーナリストであるシルヴィ・ド・ニュサック(Sylvie de Nussac)による評論。

5番ポジションを重視するのはド・ニュサックの目に映るヌレエフ

最初の文(Pour Noureev ~une œuvre d'art)の先頭には"Pour Noureev"(ヌレエフにとって)とあるので、5番ポジションについての記述はド・ニュサックが推測したヌレエフの考えだと分かる。

この文に限って述語でdoit(~に違いない)を使っていることも、確信こそあっても他人の考えの推測であることと無縁ではないと思う。その他の「芸術作品たらしめている」や「彼は完璧主義者」や「彼の偉大さが存在するのはこの飽くなき探求にである」といった文にはdoitは使われていない。ド・ニュサックにとってこれらの文は、確信を通り越して事実なのだろう。

ジャンプやターンを重視しないのはド・ニュサック

「5番ポジションは芸術作品」より後の文には、ヌレエフの考えだと示す表現はないので、すべてド・ニュサックの見解。「バレエの本質と何ら関係ないジャンプやターン」もそのひとつ。しかし新倉真由美が「バレエの本質と関係ない」を「眼中にない」と言い換えたため、ジャンプやターンに重きを置かないのがヌレエフのように見える。

原文と訳文で使い方が違う「バレエの神髄」

第3文で「ジャンプの高さや回転の記録」を修飾する関係詞の1つである"qui n'ont rien à voir avec l'âme de la danse"は、イディオム"n'avoir rien voir avec ~"(~と何の関係もない)を使っており、「バレエの本質と何の関係もない」。この中の"l'âme de la danse"に当たる「バレエの神髄」を、なぜか新倉真由美は5番ポジション云々の第1文に移動している。

完璧とは言われていない5番ポジション

5番ポジションを修飾する"la moindre"(最も劣った)の意味合いはよく分からない。ヌレエフが踊る間に繰り出す華麗なテクニックに比べると、最後の静止ポーズである5番ポジションは地味だということではないかと私は想像している。

少し前に「完璧な5番ポジション」と書かれているとはいえ、moindreはparfaite(完璧な)の書き間違いだと信じるほどMeyer-Stableyの文を軽視するのは、怖すぎて私にはできない。

2014/2/16
小見出しの導入、項目の順序入れ替えを中心に書き換え

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

カテゴリ
タグ

マーゴ・フォンテーン エリック・ブルーン ノートルダム・ド・パリ パトリック・デュポン マリア・トールチーフ ミック・ジャガー 

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

検索フォーム