蜜月時代が終わったヌレエフとロイヤル・バレエ

『ヌレエフ』P.218:
ルドルフはロイヤル・バレエ団には特別待遇で受け入れられたが、マーゴット・フォンテーン同様少しずつキャスティングから離れていくように見えた。
Telperion訳:
かつてはロイヤル・バレエを特権的に歓迎してくれる自分の一座にしていたルドルフは、マーゴ・フォンテーンと同様、少しずつキャスティングから遠ざけられた。
原本『Noureev』:
Rudolf, qui a fait du Royal Ballet sa troupe d'accueil privilégiée, se voit peu à peu écarté des distributions, ainsi que Margot Fonteyn.

1970年にケネス・マクミランがロイヤル・バレエの監督に就任したことの影響。

異なる2つの時期

ヌレエフの説明である関係節"qui a fait du Royal Ballet sa troupe d'accueil privilégiée"の直訳は、「ロイヤル・バレエを恵まれた歓迎の彼の一座にしていた」といったところ。これを新倉真由美が「ロイヤルバレエに特別待遇で受け入れられた」と言い換えたのは上手いと思う。問題はその時制。

  • 関係節の述語"a fait"の時制は直説法複合過去
  • 主文の「少しずつ遠ざけられるように見える」(se voit peu à peu écarté)の述語voitの時制は直説法現在

つまり、ヌレエフとロイヤル・バレエが蜜月関係にあったのは、キャスティングが段々減っていく現在より過去の出来事。ヌレエフを優遇したのは、ロイヤル・バレエの創立者ニネット・ド・ヴァロワや前監督フレデリック・アシュトンであり、新監督マクミランではない。

"se voir"の注釈

"se voir ~"は「自分が~だと思う」「~される」両方の意味で使われる。1970年代にヌレエフとロイヤル・バレエの間に溝ができたのは、どうやら思い過ごしではなく事実なので、私は「遠ざけられた」を採用した。もっとも、「遠ざけられるように思えた」でも間違いではないだろう。

1970年代のヌレエフとロイヤル・バレエに関する他の資料

訳本を読むと、「特別待遇で受け入れられた」と「キャスティングから離れていくように見えた」は同時期に見える。このため、ヌレエフはロイヤル・バレエの舞台から引退した一方、運営に参加するようにでもなったのかと想像したくなる。しかし、ヌレエフの伝記『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)や『Nureyev: The Life』(Julie Kavanagh著)を読む限り、1970年代のヌレエフとロイヤル・バレエは結びつきが弱まっただけように見える。

また、テレグラフ紙に載った舞踏評論家ジョン・パーシヴァルの訃報によると、1970年代のパーシヴァルはロイヤル・バレエにはなはだ批判的で、ロイヤル・バレエ経営陣の1人が「マクミランの足場を揺るがせ、代わりにヌレエフを据えようとする企てと見なしたもの」(what he saw as a plot to destabilise MacMillan and replace him with Nureyev)への不満をタイムズ紙で述べたほどだという。ヌレエフが1970年代に特別待遇されていたら、大のヌレエフびいきなパーシヴァルはそういう態度を取らなかったのではないだろうか。

ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」初演からほのみえるロイヤル・バレエとの距離

訳本の後の方で、ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」が1977年に初演されたことが触れられているが、Meyer-Stableyと新倉真由美の表現にはわずかな差がある。

『ヌレエフ』P.246:
ロンドンコロシアムで
Meyer-Stabley原本:
à Londres (mais au Coliseum)
Telperion訳:
ロンドンで(しかしコロシアムで)

この部分はヌレエフが1977年にマクミラン退任後のロイヤル・バレエの監督になれなかったことにからめての記述。だから、「しかしコロシアムで」は「しかしコヴェント・ガーデンでなく」と同じことであり、ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」を初演したのがロイヤル・バレエでなくロンドン・フェスティバル・バレエだったことを惜しんでいるのだと想像できる。

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