推し測っているのはヌレエフの容体でなく心中

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』P.305:
ルドルフが今にも息絶えてしまうのか、もしくはタタール人の偉大な魂が彼を助けて希望をつなぎ、そのバイタリティが彼を蘇えらせるか判断ができなかった。
Telperion訳:
ルドルフはまさに諦めようとしているのか、「それともタタールの偉大な魂に真に助けられ、ついに生命力が戻ってくるという希望にしがみついているのか」、言えなかった。
原本『Noureev』:
il est incapable de dire si Rudolf est sur le point de renoncer « ou si sa grand âme tartare l'aidait véritablement à s'accrocher à l'espoir que sa vitalité lui serait finalement rendue. »

ヌレエフが死去する1か月前に、イタリアの新聞Corriere della Seraに掲載するインタビューを取りに来たエットーレ・モー(Ettore Mo)の感想。

モーが考えた2つめの可能性

モーが「一体どちらなのだろうか」と考えたことのうち2つめは、«と»で囲まれた部分。この括弧で囲まれているのは、モーが書き上げた記事からの引用だからだろう。長いので、前半と後半に分けて考える。

前半
ou si sa grand âme tartare l'aidait véritablement à s'accrocher(それとも彼のタタールの偉大な魂が、彼がしがみつくのを本当に助けているのかどうか)
後半
à l'espoir que sa vitalité lui serait finalement rendue(彼の生命力がついに彼に戻されるという希望に)

"s'accrocher à ~"(~にしがみつく)という表現のうち、s'accrocherが前半に、à以降が後半にある。後半で述べているのは、前半でヌレエフがしがみつく対象。

後半にある"que sa vitalité lui serait finalement rendue"(彼の生命力がついに彼に戻される)は、直前にあるl'espoir(希望)の説明。

これらを再構成すると、「彼の生命力がついに彼に戻されるという希望に彼がしがみつくのを彼のタタールの偉大な魂が助けているかどうか」となる。回復するというのは、ヌレエフが持っているかも知れない希望であり、モーの考えではない。

モーが考えた1つめの可能性

"Rudolf est sur le point de renoncer"は「ルドルフがまさにあきらめようとしている」。新倉真由美は「あきらめる」を「息絶える」と同一視している。しかし私はそれが妥当とは思わない。

  1. モーが考える2つめの可能性は、「回復するという希望にしがみつく」。希望を抱きながら息絶えてしまうことは可能なので、2つの可能性は二者択一にならず、「どちらが正しいのか」と考える意味がない。
  2. 仏和辞書を見る限り、renoncerは死ぬという意味では使わないらしい。

主な更新

2014/2/16
大幅に書き直し
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