人物ヌレエフよりダンサー、ヌレエフを評価

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』P.240:
思い切って言おう。時どき私をいら立たせていたダンサー、ヌレエフと言う人物の前に私は降参したのだ。実に賞賛すべきこの作品の中には、
Telperion訳:
私は皆と同じようにこのダンサーの前にひれ伏すが、ヌレエフという人物には何度もいら立った。このことを打ち明けたうえで、私はやすやすと表明しよう。「ヴァレンティノ」で彼は実に素晴らしい。
原本『Noureev』:
Si je m'incline, comme tout le monde, devant le danseur, le personnage Noureev m'a souvent agacée : cette confidence faite, me voici à l'aise pour le déclarer, dans Valentino, tout à fait admirable.

舞踏批評家シルヴィ・ド・ニュサック(Sylvie de Nussac)による映画「ヴァレンティノ」のヌレエフ評。

二つの面

コロンまでの最初の文で、ド・ニュサックはヌレエフの2つの面を分けている。

従属節ではダンサーについて
Si je m'incline, comme tout le monde, devant le danseur, (私は皆と同じようにこのダンサーの前にひれ伏すが)
主文では人物について
le personnage Noureev m'a souvent agacée (人物ヌレエフはしばしば私を苛立たせた)

新倉真由美は2つをごちゃ混ぜにしているので、「私を苛立たせていたダンサー」とか「ヌレエフと言う人物の前に降参」という、ド・ニュサックと反対な訳になっている。

実に賞賛すべきなのはヌレエフ

"le déclarer ~"は「彼/それが~であると表明する」。ここでのleは(そしてこの文の後で賞賛されるのも)ヌレエフ。leが映画だとすると、映画を「『ヴァレンティノ』の」が修飾するというおかしなことになる。

仮定・譲歩の意味がある接続詞の見落とし

新倉真由美は原文の構成をまるで無視しているが、その一つとして譲歩の接続詞si(~であるが)をまったく訳していないことが挙げられる。新倉真由美が仮定や譲歩の接続詞を無視するのはそれほど珍しいことではない。

主な更新

2014/1/19
主に問題点を分ける
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