伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

間違いとまでは言わないが分かりにくい個所

記事「ヌレエフがプティの了解を得ずに決めたこと」でも書いたのですが、私は今まで伝記『ヌレエフ』の原文と訳文の照合記事を書くとき、訳本がおかしいと確信できるものに絞るように心がけてきました。つまり、原文と明らかに違う訳文か、原文の意味を覆すような省略(一番目立つ例は「戦前は順調に暮らしていた父」や「お騒がせスターの称号 - カラスからヌレエフへ」でしょうか)です。かなり神経質な私が伝記『ヌレエフ』のひっかかる個所をいちいち書いていくと、よほどのヌレエフもしくは翻訳のマニアでないとどうでもいいような記事を量産しかねないので、自重しながら書いてきたつもりです。しかし最近、「間違いとまでは言わないけれど、これでは原文の意味が伝わらないのでは…?」と考え込んでしまう個所についても書きたくなってきました。

そういう個所を主題にしたのは「ヌレエフがプティの了解を得ずに決めたこと」が初めてです。しかし以前の記事にも少しばかり紛れ込んでいます。

  1. 記事「ennui(困ったこと)とennemi(敵)」の「振り返って彼の言葉を伝えた」

    彼とはラコットかヌレエフか、訳本を何度見ても私にはやっぱり分かりません。原本を読めば一回でヌレエフだと分かるのに。

  2. 記事「ヌレエフとトレイシーの共演は続いていない」の「その関係は死に至るまで続いた」

    死に至るのはヌレエフとロバート・トレイシーのどちらなのか。原文では"du danseur"(ダンサーの)、つまりヌレエフとしっかり書いてあります。もっとも、読み進めるとトレイシーがヌレエフの葬儀に出席したと書いてあるので、この省略は実際には問題になりませんが。

無名の目撃者の証言がミック・ジャガーの発言に化けた「第三者の感想がミック・ジャガー本人の告白に化ける」と異なり、ちょっと舌足らずなだけだとは思います。しかし私はノンフィクションを読むときは「いつ、誰が、何を」といったことは特に気にしながら読みたくなります。そこが見るからに不明だったり、誤解を招く可能性がかなり高かったりするのは、どうも放っておけない気分です。日本語では主語と目的語をフランス語より区別しづらい、というような言語自体の性質なら仕方ないのですが、対応する訳語をちょっと追加するだけで防げることですから。

ただ、どうやってそういう誤解を招く個所を取り上げるかは、いまだに迷っています。いくら問題だとは思っても、明らかな誤訳や改変と並べるのは、やはりためらいます。厳密には原文の省略は誤訳の一種かも知れませんが、原文省略自体は邦訳出版ではありふれたことらしいので、出版界の慣習すべてを弾劾するのは私の手に余ります。いくら賛同したくない慣習だとしても。

今のところ、「分かりにくい個所」みたいなカテゴリを作ろうかと思っています。そこに書くのは『ヌレエフ』のものだけで、合計が少ない『密なる時』記事は分けなくても構わないでしょうが。タグでもいいかも知れません。まだはっきり決めたわけではないので、しばらくの間は記事の分類が不安定になるかも知れません。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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