伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

共演要求とHIV診断は無関係

『ヌレエフ』P.286:
ルドルフは感染を知ってから
Meyer-Stabley原本:
alors qu'il se savait déjà malade,
Telperion訳:
すでに病の身だと知りながら、

パトリック・デュポンの述懐「ルドルフがオペラ座で『さすらう若人の歌』でパートナーになるように要求してきた」の前置きとなる部分で、出典は自伝『Étoile』。

仏文和訳の解説

  1. maladeは「感染した」でなく「病気の」
  2. "alors que ~(節)"は「~なのに」または「~のとき」。ここでは「すでに(déjà)自分が病気だと知っていた」と「共演を強く要求した」をつなぐので、「~なのに」のほうが適切と思われる。

ヌレエフの病歴との不整合

ヌレエフの病についてはこの本にも書いてあるわけだが、その記述を頭に入れた上で新倉真由美の問題の訳文を読むと、不自然な点がある。

1. HIV陽性が判明したのは共演よりだいぶ前

いずれにせよ、「感染を知ってから共演を要求した」と書くには、2つの出来事は離れ過ぎている。

なお、『Étoile』の邦訳本『パリのエトワール』(林修訳、新書館)によると、デュポンがナンシー・バレエの監督だったときにも2人は「さすらう若人の歌」を踊った。しかしそれですら、ルモンド紙の記事によると1988年6月2~12日に行われたナンシー・バレエのパレ・デ・スポール公演の後なので、離れ過ぎているのは変わらない。

2. もう感染という段階ではない

HIVの潜伏期間が長いエイズでは、HIV陽性でも直ちに病気にはならない。それを端的に表しているのがヌレエフの主治医カヌシの発言「感染者の一〇%が発病すると思われていました」(訳本P.276)。「感染」はséropositif、「発病」はmaladeと呼んで区別している。1990年ならヌレエフはとうに発病していた。「感染」という言葉はそぐわない。

もっとも、カヌシと違って一般人のデュポンは、感染と発病を厳密に区別しないかも知れない。でも私の感覚では、亡くなる数年前で闘病中だった人物を回想するときは、「感染していた」より「病だった」のほうが自然な表現かなと思う。

2014/2/5
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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