伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.10.31
公式のパーティにふさわしい色と本数の花
2014.10.27
弓の間に展示された食器がテーブルに化ける
2014.10.24
自分への絶賛を一人による発言だと明記する節度
2014.10.20
1844の間という名の由来はロシア皇帝の滞在
2014.10.16
プティと和解するためヌレエフは自尊心を抑えた

公式のパーティにふさわしい色と本数の花

『バッキンガム』P.56:
反対にバッキンガム宮殿の舞踏会の間用には、自身の温室で栽培した目に鮮やかな赤や黄色の花をふんだんに使うように命じ、天蓋が付き、金色の装飾のある王座のそばのトレイの上に置かれる。
Meyer-Stabley原本:
En revanche, dans la salle de bal de Buckingham, pour un banquet officiel, elle demande une avalanche de gerbes d'œillets rouges et jaunes, cueillis dans ses propres serres, qui s'assortissent à l'or des assiettes, à l'incarnat des chaises et au pourpre et or du baldaquin surplombant les deux trônes.
Telperion訳:
その反対に、バッキンガムの舞踏会の間における公式の晩餐会用には、自分の温室で摘んだあふれんばかりの赤と黄のカーネーションの花束を求める。皿の金、椅子の鮮やかな紅、そして2つの王座の上に張り出す天蓋の真紅と金に、この花々はよく似合う。

宮殿で飾られる花の傾向を述べた文。直前には、女王が自分の客間ではユリやアイリスやカーネーションを好むと書かれている。ここでの引用と同じく、新倉真由美はカーネーションの名を出さなかったが。

構文解析

文末にある次の関係節は、カーネーションの花束(gerbes d'œillets)を修飾する。

qui s'assortissent à l'or des assiettes, à l'incarnat des chaises et au pourpre et or du baldaquin surplombant les deux trônes.

先頭の関係詞quiは、先行詞である花束が関係節の文の主語だということを表す。だからquiをカーネーションに置き換えて読めば、関係節が花束についてどう説明しているかが分かる。

この文の述語s'assortissentは、イディオム"s'assortir à ~(名詞句)"(~に似合う)の一部。àとそれに続く名詞句は3つある。

  1. à l'or des assiettes (皿の金に)
  2. à l'incarnat des chaises (椅子の鮮やかな紅に)
  3. au pourpre et or du baldaquin surplombant les deux trônes (2つの王座の上に張り出す天蓋の真紅と金に)

どれも部屋にあるものの色。そして述語が「似合う」なのだから、カーネーションと部屋の色の相性を述べていると分かる。

皿、椅子、天蓋の3つは、主語である花束に同じように結び付いている。それを押さえていれば、「トレイに置かれ」「天蓋のそばの」などとばらばらに扱うことはないはず。

花があまり多くなさそうな新倉真由美の文

Meyer-Stableyの文と新倉真由美の文の違いのうち、私から見て一番困った結果は「トレイの上に置かれる」。なんだか、水盆に活けた花のよう。西洋でそういう活け方があるとしても、トレイにきれいに活けられる花の数はそれほど多くならないはず。トレイの場所が王座のそばに限定されていてはなおさら。

Meyer-Stableyは花の量の多さを"une avalanche de gerbes"(花束のなだれ)と表現している。数々の大きな花瓶でなければ収まりきらない量なのだろうと想像できる。椅子や皿との色合わせが話題になるのだから、数々のダイニングテーブルにも置かれているだろう。新倉真由美も「ふんだんに」と書いてはいるのだが、原文から推測できる花のほうがはるかに多い。

弓の間に展示された食器がテーブルに化ける

『バッキンガム』P.45:
隅には一七六三年と刻印されたチェルシーのアトリエ、メクレンブルグ・ストリッツ(原文ママ)のテーブルが置かれている。
Meyer-Stabley原本:
Dans des niches aux quatre coins figure le service de table Mecklenbourg-Strelitz, typique de l'atelier de Chelsea et datant de 1763.
Telperion訳:
四隅のニッチには、メクレンブルク=シュトレーリッツの食器セットがある。チェルシーの工房に典型的なもので、1763年にさかのぼる。

バッキンガム宮殿1階の弓の間(英名は"The Bow Room"、Meyer-Stableyによる表記は"la bow-room")の説明から。

仏文和訳で分かること

1. 話題の品はニッチの中にある

新倉真由美が単に「隅には」とした部分に当たる原文は、"Dans des niches aux quatre coins"(四隅にあるニッチの中には)。日本語でニッチといえば、「ニッチな産業」などのように、メジャーでない分野を指して使われることが多い。しかしニッチの本来の意味は、物を飾るために壁に掘られたくぼみ。「壁龕」というものものしい訳語もある。

2. 話題の品はテーブルで使う品

新倉真由美が単に「テーブル」とした部分に当たる原文は、"le service de table"。ニッチの中にある以上、テーブルではない。ミニチュアのテーブルならニッチに入るが、それならそうと説明するだろう。

フランス語でもserviceの主要な意味は「サービス、奉仕」だが、ここでのserviceはニッチに置ける物でなければならない。この条件を満たす意味は、プログレッシブ仏和辞典第2版にはこうある。

(食器、茶器などの)セット; (ナプキン、テーブルクロスなどの)一そろい.

いくら高級品でもナプキンを飾るとは考えにくいので、食器だろうと想像はできる。でもそれを確認するのは仏和辞書の範囲外なので、後に回す。

3. 制作年が刻印されたとは限らない

新倉真由美が「一七六三年と刻印された」と訳した"datant de 1763"は、「1763年にさかのぼる、1973年に始まる」。datantは現在分詞で、動詞の原形はdater。単に誕生した時を述べている。

英国王室コレクションサイトから分かること

1. 話題の品は食器セット

英国王室が所有する高級品は、英国王室コレクションサイトで調べるのが一番手っ取り早い。新倉本の巻末には、原本由来と思われるいくつもの英国王室関連サイトのURLがあり、私の記憶ではコレクションサイトもあったはず。

キーワードMecklenburg(スペルは英語風に直した)とserviceでコレクションを検索すると、いろいろな食器の説明が出てくる。"service de table"はこれらのことだろう。Mecklenburgの食器全般の説明ページのリンクを貼っておく。

The 'Mecklenburg' dinner and dessert service

2. メクレンブルク=シュトレーリッツは工房ではない

上のリンクにある説明文から、参考になる部分を抜き出してみる。

  • 制作したのはChelsea Porcelain Works。日本では「チェルシー磁器工房」という名前が定着しているくらい有名らしい。
  • 食器はシャーロット王妃が兄弟のメクレンブルク=シュトレーリッツ公Adolphus Frederick(ドイツ語ではAdolf Friedrichらしい)4世に贈った。時代を下ってから再びの贈呈により、英国王室に戻った。

新倉真由美がチェルシーの家具工房扱いしたメクレンブルク=シュトレーリッツは、シャーロット王妃の実家。新倉本にもあるとおり、シャーロット王妃はバッキンガム宮殿(当時はバッキンガム・ハウス)の最初の住人。Meyer-Stableyが原本のどこかにメクレンブルクの名を書いてもおかしくないが、どうだったのだろうか。

度重なる当てずっぽうと省略

こうして見比べると、新倉真由美は意味が分からない単語に出会うたびに、適当に意味を推測したか、あるいは無視したように見える。serviceとnichesのどちらかをなおざりにしなければ、主語がテーブルでないことは分かったはずなのに。文章の要となる主語、それも仏和辞書に当たれば分かる部分で手を抜いたという点で、私にとっては英国王家と血縁関係のある名家をアトリエと間違えるより気に障る。

自分への絶賛を一人による発言だと明記する節度

『ヌレエフ』P.85:
初日を観たフランスの批評家たちは大挙して劇場に舞い戻って来ました。団員の一人がスプートニクにも値する出来栄えだったからです」
Meyer-Stabley原本:
Les critiques français qui assistaient à la première étaient tous revenues en force et c'est alors que l'un d'eux me qualifia de Spoutnik. »
Telperion訳:
初日に出席したフランスの批評家は全員大挙してまた現れ、このとき批評家の1人が私をスプートニクと呼んだ」

1961年にキーロフ・バレエのツアーでパリ・デビューしたときを振り返るヌレエフ。恐らくヌレエフが亡命して数年後に出した自伝『Nureyev: An Autobiography』からの引用。

ヌレエフはパリ公演の初日には出なかった。複数回の公演のうち、最も注目されるのは初日であり、後のほうの公演への関心は薄くなるのが普通。しかしヌレエフが自分の出番で脚光を浴びたため、批評家たちがヌレエフを見に来たことを述べている。

構文解析

強調構文の使用

批評家が劇場にまた来たことに関する最初の文については、特に言うことはない。私が取り上げたいのは、最初の文とet(そして)で結ばれた次の文。この文で使われている強調構文の形を見やすくするため、英語訳も並べて書く。

フランス語
c'est alors que l'un d'eux me qualifia de Spoutnik.
英語
it is then that one of them called me Sputnik.
直訳
彼らの一人が私をスプートニクと呼んだのはその時だ。

構文"c'est A(強調したい語句) que B(文からAを除いた部分)"は、文中のAを強調するために使われる。英語の"it is A that B"に似ているので理解しやすい。ここではalors(その時)を強調している。

主語は団員の一人でなく批評家の一人

queの後にある文の主語は"l'un d'eux"(彼らの一人)。eux(彼ら)とは、前の文にある複数形の名詞、つまりフランスの批評家たち。新倉真由美は団員としているが、キーロフ・バレエの団員たちは前の文はもちろん、その前もしばらく話題になっていない。それを既出であるかのようにいきなり「彼ら」呼ばわりはしないだろう。

スプートニクと呼ぶ

文の述部は"me qualifia de Spoutnik"。"qualifier A de B"(AをBと呼ぶ)という表現が使われている。Aに当たるのはme(私を)で、代名詞なので述語qualifiaの前に来ている。

新倉真由美は文の主語をヌレエフだと思っているので、述部も別の解釈をしていそう。qualifierには「資格を与える」という意味もあるので、それをもとに何か想像したのかも知れない。

鼻息が荒い新倉本のヌレエフ

Meyer-Stabley本でも新倉本でも、ヌレエフをスプートニクにたとえて絶賛しているのは同じ。しかし新倉本では、「スプートニクのようなヌレエフ」がある批評家の感想ではなく、誰もが認める事実のように扱われている。それをヌレエフ本人が言うのは、とても図々しい話。当時のスプートニクはソ連の国威を大いに高揚させた存在だろうから、東側の人間が気安く自分をなぞらえられないと思う。プライベートな場での軽口ならまだしも、出版された本で。

1844の間という名の由来はロシア皇帝の滞在

『バッキンガム』P.45:
部屋の名前は、ロシアのニコライ一世がイギリスを訪れ、英露協定を結んだ年を記念してつけられた。
Meyer-Stabley原本:
Cette pièce doit son nom à l'empereur Nicolas Ier de Russie qui l'occupa en 1844, lors d'une visite en Angleterre qui scella l'entente anglo-russe.
Telperion訳:
この部屋の名前は、英露協定を結んだイギリス訪問中の1844年にここに滞在したロシア皇帝ニコライ1世に由来する。

宮殿1階にある1844の間(フランス語では"la salle 1844"、英語では"the 1844 Room")の説明。

原文には注意すべき点が2つある。

  1. "Cette pièce doit son nom à"(この部屋はその名を~に負う)の直後に書かれているのは"l'empereur Nicolas Ier de Russie"(ロシアの皇帝ニコライ1世)。
  2. ニコライ1世の直後に関係節"qui l'occupa en 1844"(1844年にそれを占めた)が続いている。代名詞l'(laの縮約形)が指すのは部屋だと見ていいだろう。

つまりニコライ1世は1844年に訪英したとき、宮殿の一室に泊まった。その滞在を記念して、部屋の名が1844の間になった。

"qui l'occupa"は部屋とニコライ1世を結ぶ鍵となる語句だが、新倉真由美は故意か過失か、この語句を訳していない。おかげで部屋の命名のきっかけが英露協定のようにも見える。部屋に名前を付けるのは協定を記念する手段としては風変わりで、いまひとつ納得がいかない内容だと思うが。

プティと和解するためヌレエフは自尊心を抑えた

『密なる時』P.79-80:
電話の切り際に私は「私は君が好きだ、わかっていると思うけれど」と言った。多分彼は自尊心を保とうとしたのだろう。とまどいながらくぐもった声で答えた。「僕もあなたを愛している」
プティ原本:
J'ai raccroché en lui déclarant « je t'aime bien tu sais » et lui de répondre avec une voix pâle et hésitante, car il lui fallait mettre un mouchoir sur son amour-propre, « I love you too ».
Telperion訳:
私は電話を切り、そのときはっきりと言った。「好きだよ、知ってるだろう」。そして彼は答え、その声は力がなく、ためらいがちだった。自分のプライドにハンカチをかける必要があったからだ。「私も好きだ」

1983年の「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演がきっかけで数年間絶交していたプティに、ヌレエフが訪問を告げる電話をかけた。その切り際の会話。

ハンカチをかけるのは保つのではなく隠すためでは?

上では文脈紹介のために1つの文をすべて引用したが、私が取り上げたいのは、ヌレエフが弱い声で答えた理由としてプティが書いたこと。

プティ原本:
car il lui fallait mettre un mouchoir sur son amour-propre,
直訳:
なぜなら彼は彼の自尊心の上にハンカチを置く必要があったからだ。
新倉訳:
多分彼は自尊心を保とうとしたのだろう。

「~の上にハンカチを置く」(mettre un mouchoir sur ~)とはどういう意味か。プログレッシブ仏和辞典第2版やラルース仏語辞典を探しても、そういうイディオムは見かけなかった。新倉真由美が出した答えは「自尊心を保つ」。しかし私は次の理由で、この解釈が妥当だと思えない。

直訳から離れ過ぎ
ハンカチをかぶせたくらいで物を守れはしないだろう。だから「保つ」を「上にハンカチをかける」に言い換えるのは理にかなうように思えない。すでに定着している慣用句なら、奇妙な表現でも受け入れるしかない。しかしこの場合は、新たな慣用句を考案するようなもの。文字通りの表現を尊重しないと、やりたい放題になりそうで危険。
ヌレエフの言動との整合性がない
和解を拒絶し続けてきた相手に自ら電話をかけ、相手の「好きだよ」に「私もだ」と返す。果たして自尊心を保ちながらできる行為だろうか。「そこまで言うなら過去のことは水に流してもいい」くらいの返答のほうが、自尊心は満たされるだろう。

私の考えでは、「自尊心の上にハンカチを置く」とは、「自尊心を見ないようにする、隠す」の言い換え。「ここまで頭を下げて悔しくないのか」という自尊心の声を黙らせる必要があったから、声から力が失われたのだろう。

原著者の表現を変えるときは慎重に

「自尊心にハンカチをかける」が「自尊心をわきに押しやる」だという私の解釈は、文脈と直訳から独自に編み出したものなので、絶対に正しいとは言い切れない。その場合、私は下手に言い換えて元の意味が失われる危険を冒すよりは、原著者の言い方をそのまま使うことにしている。

解釈に迷う表現に出会ったとき、新倉真由美はその表現をそのまま使うより、自分の解釈に言い換え、読者にその解釈だけを信じさせる傾向がある。しかし私は、新倉真由美の不確かな言い換えより、たとえ分かりにくくても原著者の表現を読みたい。

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2016/12/9
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プロフィール

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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