伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.09.30
メンデルスゾーンと関係ない舞踏会の間のオルガン
2014.09.27
Meyer-Stabley原本とメンデルスゾーンの手紙の相違
2014.09.23
今ごろ気づいたゴーリンスキー記事の文法解釈間違い
2014.09.19
メンデルスゾーンとアルバートのオルガン競演
2014.09.14
私室と謁見の間の比較だということの意味

メンデルスゾーンと関係ない舞踏会の間のオルガン

アルバートがメンデルスゾーンの前でオルガンの腕前を披露したときの当時の記録をMeyer-Stableyがいい加減に提示しているらしいと、前の記事で書きました。しかしどうやら、あの記録をあの個所で引用すること自体がおかしいのでした。

アルバートのオルガン演奏のエピソードは、もとはといえば舞踏会の間の説明の一部。直前の文は次のとおりです。

Meyer-Stabley原本:
La salle de bal possède un orgue célèbre - Mendelssohn y joua en 1842 un extrait d'un de ses oratorios.
Telperion訳:
舞踏会の間には有名なオルガンがある。メンデルスゾーンがそこで1842年に自作オラトリオの1曲の抜粋を演奏した。

ところが、英国王室コレクションサイトには、上の記述に反する記述があります。まず、舞踏会の間を描いた絵の説明文から。

The new Ballroom at Buckingham Palace, designed by Sir James Pennethorne, opened in May 1856.

バッキンガム宮殿の新しい舞踏会の間は、サー・ジェームス・ペネソーンによって設計され、1856年に開設した。(Telperion訳)

舞踏会の間が1856年にできたという記述は他のさまざまなサイトでも見かけます。しかし英国王室に関する記述の信頼度という点では、英国王室コレクションサイト1つだけで、Meyer-Stableyの記述を疑わせるには十分です。

そして、 舞踏会の間のオルガンの説明にはこうあります。

In 1818 Lincoln had installed an organ in Nash's newly built Music Room at the Royal Pavilion, Brighton,

1818年にリンカーンはナッシュが新しく建設したブライトンのロイヤル・パビリオンにオルガンを設置した。(Telperion訳。なお、リンカーンとはオルガン制作者Henry Cephas Lincoln)

さらに上記説明ページのOverviewタブの一番下にある"Read more +"をクリックすると、下の引用が読めます。

The new ballroom at Buckingham Palace was built by Thomas Cubitt in 1852-5. On 12 July 1855 Lincoln was paid £68 for 'adapting the organ for the Ballroom at Buckingham Palace' (LC11/136, qtr to June 1856). However, Lincoln only carried out part of the work, with the remainder being carried out by Cubitt, and the organ firm, Gray & Davison.

バッキンガム宮殿の新しい舞踏会の間は、トーマス・キュービットによって1852~5年に建設された。1855年7月12日、リンカーンは「オルガンをバッキンガム宮殿の舞踏会の間に合わせるために」68ポンドを支払われた。しかしリンカーンは作業の一部を行っただけで、残りはキュービット、そしてオルガン会社グレイ&デイヴィソンが行った。(Telperion注: 原文の括弧内部は私には訳せませんでした)

1842年には現在の舞踏会の間はまだなく、そこに設置されたオルガンもまだロイヤル・パビリオンにありました。メンデルスゾーンとアルバートがオルガンを弾いたのは別の部屋、別のオルガンのはずです。実際、メンデルスゾーンの手紙には次のように書いてあるので、アルバートの私室でアルバート個人のオルガンを弾いたのではないかと思います。

メンデルスゾーンの手紙:
Prince Albert had asked me to go to him on Saturday at two o'clock, so that I might try his organ before I left England.
Telperion訳:
土曜の2時に来て、イングランドを発つ前に自分のオルガンを試してほしいと、アルバート殿下に頼まれていたのです。

観光で舞踏会の間を訪れたとして、ガイドに「舞踏会の間には有名なオルガンがあります。メンデルスゾーンがそこで演奏したのです」と言われたら、観光客としては「この部屋のあのオルガンでメンデルスゾーンが演奏した!」とちょっと感動するところです。しかし実際には、メンデルスゾーンはオルガンに触っていないし、アルバートにその音色を聴かされてもいない。メンデルスゾーンは1847年に逝去したので、舞踏会の間に入ったこともない。宮殿案内としてはゆゆしき失態ではありませんか?

更新履歴

2016/12/7
英国王室サイトのリンク切れに伴い、出典リンクを英国王室コレクションサイトのみに変更

Meyer-Stabley原本とメンデルスゾーンの手紙の相違

宮殿を訪問した後のメンデルスゾーンの手紙

先ごろ「メンデルスゾーンとアルバートのオルガン競演」を書くとき、少し好奇心を起こしてgoogleで検索してみました。すると、バッキンガム宮殿に招待されたメンデルスゾーンが家族に宛てた1842年7月19日付の手紙の抜粋が学術文献サイトJSTORで公開されているのを見つけました。出典は「The Musical Times and Singing Class Circular Vol. 43, No. 713 (Jul. 1, 1902), pp451-455」。似たような抜粋をもっと大きい文字で読めるサイトもありますが、出典がはっきりしているのでここではJSTORの文面を使います。

ところがこの手紙では、ヴィクトリア女王の夫君アルバートがメンデルスゾーンのためにオルガンを演奏したときの説明が、先ほどのオルガン競演記事で引用したMeyer-Stableyによる記述と違うのです。私は英国王室についてはバレエよりなお疎いので、Meyer-Stableyが間違っていると断定するのは気が引けます。それでも、強い疑いを抱いています。

比較するMeyer-Stableyの文

メンデルスゾーンの手紙と比較するのは、先ほどの記事の中で«と»に囲まれた部分です。

Meyer-Stabley原本:
« par cœur, avec les pédales, de façon si charmante, si claire et si correcte que son exécution aurait fait honneur à n'importe quel professionnel... et puis toutes les partitions sont tombées par terre et c'est la reine qui les a ramassées »...
Telperion訳:
「暗譜で、ペダルを用い、たいそう魅力的で、たいそう明晰で、たいそう正確だったので、その演奏はどのような本職の者にとっても名誉となったことでしょう…そしてその後、楽譜がすべて落ち、拾い集めたのは女王ご自身でした」…

"comme le rappelle une dame d'honneur"(ある女官がそれを思い返すように)という説明が添えてあるので、回顧するのは匿名の女官。

相違1. 回顧した人物の違い

手紙では、メンデルスゾーンがアルバートにオルガン演奏を頼んだ後のことをこう書いています。

メンデルスゾーンの手紙:
He then played a chorale, by heart, with the pedals, so charmingly and clearly and correctly that it would have done credit to any professional;
Telperion訳:
するとコラールを弾いてくださいました。暗譜で、ペダルを用い、大変魅力的で明晰で正しかったので、どの本職の人間にも名誉になったことでしょう。

女官でなくメンデルスゾーンの感想ではありませんか! たまたまメンデルスゾーンと女官が同じことを書いたとか、女官がメンデルスゾーンの手紙文を借用するとかいう可能性がゼロとは言いません。でも学術的な雑誌に載ったことと、『Noureev』で結構ミスしているMeyer-Stableyが書いたことでは、前者を信用したくなります。

相違2. アルバートの演奏と散らばった楽譜の前後関係

楽譜が落ち、女王自らが拾い集めたというエピソードは、上と同じ手紙にもあります。

メンデルスゾーンの手紙:
and then, suddenly interrupting herself, she exclaimed, “But, goodness! what a confusion!”for the wind had littered the whole room and even the pedals of the organ - which, by-the-way, made a very prettey feature in the room - were covered with leaves of music from a large portfolio that lay open. As she spoke she knelt down and began picking up the music :
Telperion訳:
そして(ヴィクトリア女王は)話を突然中断して叫びました。「でもまあ、なんと散らかっているのでしょう!」。なぜなら風が部屋中を散らかし、オルガン(ところで、これは部屋のとてもきれいな特徴となっていました)のペダルにまでも、開けたままの大きな書類入れにあった楽譜がかぶさっていたのです。陛下は話しながらながら膝をつき、楽譜を拾い始めました。

問題なのは、メンデルスゾーンの手紙では、ヴィクトリアが楽譜を拾ったのはアルバートが演奏する前だということです。メンデルスゾーンと女官の記憶が違っていたとすればつじつまが合いますが、そもそも女官の実在すら疑わしいようでは、ここでもメンデルスゾーンを信じたくなります。

今ごろ気づいたゴーリンスキー記事の文法解釈間違い

初期の「密なる時」記事は段落分けしかない長文が多く、読む気が失せがちです。構文解釈が長くなるのは仕方なくても、段落の分け方を見直すとか、各種タグで見た目に変化を付けるなどして、もう少し取っつきやすい文面にする余地はあると思います。それで最近、サンドル・ゴーリンスキーを題材にした指摘記事を大幅に手直ししましたが、そのとき文中の"il fallait"(必要だった)について、以前書いたことを読みました。段落を丸ごと書きます。

関係節の主語il(彼)はもちろんヌレエフ。「周囲の人間」のようなあいまいな存在を指すには代名詞onを使うのが普通。複数形の代名詞nous(私たち)やvous(君たち、あなたたち)やils(彼ら)は不特定の人々を指すこともあるが、単数形のilにそういう用法はなさそう。

…いやいやいや、"il faut ~"(~が必要である)は非人称代名詞のilのありふれた用法(原文がfallaitなのは時制の違い)。ilはそもそも人ではないので、特定の人か不特定の人かを熱く論じたのがすっかり空振りです。誰にとって必要だったのか、原文には書かれていません。

せめてもの幸いは、完成した訳文には影響が及ばなかったこと。はっきり「彼には必要だった」とは書かなかったし、原文は「彼は必要としていた」という解釈でも破綻しないので。

それでも、こんな初歩的な間違いをするとは恥ずかしい。新倉真由美が文法無視で単語を好き勝手に組み合わせるのをさんざん糾弾している手前、私自身は単語が文の中で果たす役目をきっちり把握しなければ立場がありません。しかも『密なる時』に手を広げた最初の記事だということに余計にがっかりです。原本を買ったのもあそこが何より気になったからなのに、出だしでいきなりしくじっていたとは。

記事を書き換えた結果、ilについて書く場所がなくなったので、間違いは修正する前に消失した感じです。でもフランス語学習歴4年未満の私に油断は禁物ということを肝に銘じるため、ここに記録しておきます。

メンデルスゾーンとアルバートのオルガン競演

『バッキンガム』P.50:
アルバート王子が才能を披露したときのことをある女官が記憶していた。
「王子様は曲を暗譜し、ペダルを使って非常に魅力的で正確な演奏をされ、誰もが賞賛しました。演奏が終わると床に散らばった楽譜を女王が拾い集めていらっしゃいました」
Meyer-Stabley原本:
Le prince Albert fit lui aussi démonstration de son talent en donnant, comme le rappelle une dame d'honneur, un choral « par cœur, avec les pédales, de façon si charmante, si claire et si correcte que son exécution aurait fait honneur à n'importe quel professionnel... et puis toutes les partitions sont tombées par terre et c'est la reine qui les a ramassées »...
Telperion訳:
アルバートもコラールを演奏し、メンデルスゾーンに自分の才能を披露した。ある侍女の回想によると、「暗譜で、ペダルを用い、たいそう魅力的で、たいそう明晰で、たいそう正確だったので、その演奏はどのような本職の者にとっても名誉となったことでしょう…そしてその後、楽譜がすべて落ち、拾い集めたのは女王ご自身でした」…。

舞踏会の間の逸話としてMeyer-Stableyが挙げた、1842年にメンデルスゾーンがそこのオルガンを弾いたという話に続く部分。

アルバートの演奏は敬意を集めるのでなく表す

「誰もが賞賛しました。」に当たる原文は次のとおり。

son exécution aurait fait honneur à n'importe quel professionnel...

いくつかに分けて説明する。

son exécution
文の主語で、意味は「彼の演奏」。
aurait fait honneur à
文の述語周辺。時制が条件法過去である"faire honneur à ~(名詞句)"というイディオム。このイディオムの意味は「~の名誉となる、~を尊重する」。
n'importe quel professionnel
前のイディオム"faire honneur à"に続くべき名詞句。"n'importe quel ~(名詞)"は「どんな~でも」

文脈を踏まえると、直訳は「彼の演奏はどんなプロの名誉にもなるでしょう」。ポイントを2つ書く。

なぜ時制が条件法過去なのか
過去のことについて、条件法の用法のひとつ「断定を避ける」を当てはめるため。「すべてのプロの名誉になる」は明らかに個人の主観なので、断定口調では押しつけがましいのだろう。
faire honneur à の意味
詳しくは次に述べるが、アルバートの演奏はメンデルスゾーンに聴いてもらったもの。優れたアマチュアに敬意を込めた演奏を披露されるのは、メンデルスゾーンならずともどんなプロにも光栄なことだ、という理屈なのだと思う。

メンデルスゾーンとアルバートは同じ場にいた

アルバートの演奏に最初に触れた「アルバート王子が才能を披露した」に当たる原文はこの部分。

Le prince Albert fit lui aussi démonstration de son talent

代名詞lui(彼に)があることに注目してほしい。luiが指すのは、前の文でオルガン演奏について書かれたメンデルスゾーン。アルバートが才能を披露したのは、メンデルスゾーンに向けてのことだった。

新倉真由美の文だと、前のメンデルスゾーンの文とつながる手がかりが何もないため、メンデルスゾーンの話とアルバートの話が別々に見える。代名詞が和訳で省略されるのはよくあることで、それで支障ないことは多い。でもせっかく、後世でも名高い音楽家とイギリス王族が同じ部屋で同じオルガンを弾いたのだから、そのことは疑問の余地なく表現して欲しかった。ドイツ・オーストリア圏の音楽をよく聴くクラヲタの感傷かも知れないが。

新倉真由美の文から受けるアルバートの印象の幼さ

女王がアルバートの楽譜を拾い集めたのは1842年なのだから、この女王とは当時20代前半のヴィクトリア。ヴィクトリアに関係するアルバートといえば、何といっても夫君。ヴィクトリアの子の中にアルバートの名を持つ王子はいたそうだが、1842年ではとてもオルガンを弾きこなせる年齢ではない。

引用した部分を読んでいて、気になることが2つある。

「王子様」という呼び方
回想文の中でアルバートはせいぜいson(彼の)という形でしか触れられておらず、「王子様」は新倉真由美が"Le prince Albert"から連想した呼び方。しかしこの呼び方、成人男性には似合わない。こう呼んだのが幼いころから世話してきた乳母なら分かるが、原文によると単なる侍女(dame d'honneur)。
楽譜が散らばって当然のような書き方
原文では演奏描写の後で"et puis toutes les partitions sont tombées par terre"(そしてその後、すべての楽譜が床に落ちた)と書かれている。楽譜が床に落ちたのはちょっとした事件なのだ。しかし新倉真由美の「演奏が終わると床に散らばった楽譜を~」では、楽譜が床に落ちるのは当たり前のような書き方。アルバートはそんなに行儀悪く譜めくりをしていたのかと想像してしまう。

どうも新倉真由美の文を読むと、アルバート王子は幼い少年、恐らくは女王の息子のように見えてならない。アルバートをヴィクトリアの夫君と認識してなお「王子様」と書けるものだろうか。私の目には留まっていないが、新倉真由美はエリザベス2世の夫君フィリップも「王子様」と呼んでいるのか?

おまけ - 日本語でのアルバートの呼び方の難しさ

"le prince Albert"を私が「アルバート」と呼び捨てにしているのは、日本語でのアルバートの呼び方を決められないため。

  • googleだと「アルバート公」をよく見る。しかしエディンバラ公やヨーク公など、公付けされる英国王室の男性と違い、アルバートは公爵ではない。
  • 「王子」は女王の夫を指す言葉としてぴんと来ない。
  • 「公子」はアルバートが生まれたときの身分だが、princeは結婚後の身分を指すと思う。
  • 「王配」はあまりに耳慣れない。

「妃」に対応する男性用の言葉が日本語になくて残念。

私室と謁見の間の比較だということの意味

『バッキンガム』P.49:
コンスティチューションヒルとグリーンパークに面した女王の謁見の間は親近感を与える。
Meyer-Stabley原本:
La salle d'audience de la reine est évidemment plus accessible. Elle donne à la fois sur Constitution Hill et sur Green Park.
Telperion訳:
女王の謁見の間はもちろん、もっと近づきやすい。コンスティテューション・ヒルとグリーン・パークを同時に臨んでいる。

宮殿2階の説明で、まず女王夫妻の私室を説明した後、謁見の間を説明するときの前置き。

原文と比べて注意すべき点

  • 新倉真由美の「親近感を与える」に相当する原語はaccessible
  • 謁見の間の形容であるaccessibleの前に、"évidemment plus"(もちろん、さらに)が付いている

つまり、次のことが言える。

  • 謁見の間は単にaccessibleなのではなく、直前の説明にある女王夫妻の私室に比べてaccessible
  • 謁見の間がaccessibleなのは明らか

「親近感を与える」という訳語の不審さ

accessibleの基本的な意味は「近づくことができる」。それから派生した意味のひとつに、「気さくな、取っつきやすい」がある。新倉真由美の「親近感を与える」は、この意味を採用した結果だろう。

さて、Meyer-Stableyの記述から分かる部屋の特徴を抜き出してみる。私室は持ち主が執務を離れてくつろぐための部屋、謁見の間は女王が人に会って公務をこなす部屋という違いが分かってくる。

女王夫妻の私室
  • 犬がいる
  • 家族のポートレートがあちこちに飾られている(原文のportraitsは写真も絵も指す。私は写真だろうと思う)
  • 寝室がある
謁見の間
  • アカデミックな絵やイギリス君主の写真が飾ってある(原本は"peinture académique, photos de souverains britanniques"、新倉本は「絵画やイギリスを統治した人びとの写真」)
  • 女王の仕事用文具が備えてある

こうして比べると、「謁見の間は私室に比べてもちろん親近感を与える」という記述はおかしい。壁にあるのが謁見の間ではイギリス君主の写真、私室では女王の家族のポートレートということからも、謁見の間がオフィシャルな場だということがうかがえる。女王がリラックスできるのが私室なのは明らかだし、他人が見ても、謁見の間のほうが居ずまいを正して臨むべき場所に見えるだろう。そんな緊張を強いられる謁見の間のほうが親近感を与えるのは、とても当然とは思えない。

「行きやすい」という訳語の自然さ

最初に、「accessibleの基本的な意味は『近づくことができる』」と書いた。実際、私の『プログレッシブ仏和辞典第2版』で最初にある意味は「近づきやすい、行きやすい、接近できる」。今度はこの意味を採用し、「謁見の間は私室に比べてもちろん行きやすい」としてみると、ごく当然な文になる。

女王夫妻の私室
宮殿の中でも特にプライベートな場所で、部外者の出入りは想定されていない。読者と自分が宮殿の各部屋を訪れるような書き方をしてきたMeyer-Stableyが、女王夫妻の私室に入るのは"nous n'avons pas été admis"(我々は許可されなかった)と書いたほど。
謁見の間
女王が人に会うための部屋なのだから、訪問者はとても多い。

単にaccessibleだけなら、「取っつきやすい」と「行きやすい」のどちらか判断しがたい。でも、ここでは"évidemment plus"(もちろん、さらに)が付くということを忘れなければ、「取っつきやすい」でなく「行きやすい」という結論になる。

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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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