伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.04.30
グレン・テトリー振付「~ピエロ」
2014.04.25
新倉本『ヌレエフ』の不自然さ - このブログより
2014.04.20
ナンパ相手を襲おうとしているかのような印象操作
2014.04.14
ジジが話しかけた相手はプティ
2014.04.09
忍耐と献身はドゥース・フランソワだけの説明

グレン・テトリー振付「~ピエロ」

ええと、『ヌレエフ』や『密なる時』とは何の関係もないし、私に糾弾の意志はないのですが、それでも口に出さないと落ち着かないもので。

今ごろになって、『バレリーナへの道』No.95のヌレエフ特集第2弾の話です。その中にある多くの談話のなかでも、佐々木三重子のはとりわけ面白いひとつでした。そこでヌレエフのドキュメンタリー「芸術と孤高のダンサー ルドルフ・ヌレエフ」について説明した中で、こんな一文が。

さらに、バランシンの『アポロ』での野性的な踊りや、グレン・テトリーの『月のピエロ』、ポール・テイラーの『オーリオール』には目を見張った。

あの、「月のピエロ」じゃなくて「月に憑かれたピエロ」です。シェーンベルク作曲「月に憑かれたピエロ」を音楽に使っているのが名前の由来ですから。googleで「シェーンベルク 月のピエロ」とか「グレン・テトリー 月のピエロ」とかを検索すると、「月に憑かれたピエロ」表記の検索結果が大量に出てくるほどの定訳です!

定訳の素晴らしさ

シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」は連作歌曲集。私が唯一好きな無調音楽です。ためしに含まれる歌曲のいくつかを要約してみます。

第1曲 月に酔い
目で飲むワインが月から注ぎ、詩人は飲んで酔いしれる
第13曲 打ち首
月はトルコの半月刀。ピエロは月が自らの首を打ち落とすのを想像し、恐怖のあまり気絶する
第20曲 帰郷
月の光は船の舵、睡蓮は舟、ピエロは故郷に漕いでゆく

「月に憑かれた」は実に楽曲にかなった詩的な表現だと分かります。この邦題を考えたのが誰かは存じませんが、心底尊敬します。

翻訳の難しさ

「月のピエロ」はドキュメンタリー「芸術と孤高のダンサー」の字幕表記なのでしょう。この訳になっても仕方ないと思える要素がいろいろあります。

  1. 原題は"Pierrot Lunaire"で、素直に訳すと「月のピエロ」。lunaireの訳語としては「月の、月のような」の他にはせいぜい「突拍子もない」があるくらい。「月に憑かれた」はあの歌詞あってこその訳語で、何も知らずに生み出すのは無理です。
  2. オリジナルのドキュメンタリーで、テトリー振付"Pierrot Lunaire"の音楽がシェーンベルク作の同名の曲だと示していないかも知れません。だとしたら、バレエ名の由来があの曲だと気づくのは困難でしょう。
  3. 今では、googleに適当にキーワードを打ち込めば、的確な答えが返ることが多くなりました。しかし「芸術と孤高のダンサー」が発売された1991年は、googleは存在しないし、インターネットそのものが黎明期。調べ物の手間が今とは比較になりません。

オリジナルのドキュメンタリーにシェーンベルクの名がなかったという断定もできません。しかし、定訳調べの面倒くささは私自身が実感しています。google前の時代については、調査が行き届かなくてもとやかく言いにくいですね。「月に憑かれたピエロ」という邦題は大好きなので、ここでぶつくさ言っていますが。

新倉本『ヌレエフ』の不自然さ - このブログより

新倉真由美による訳本『ヌレエフ』のあちこちにある矛盾や意味不明さのうち、少ない行数で説明できるあからさまなものは、ブログ開設前に「三日月クラシック」のコメントとして投稿しました。それらについては2回に分けて書きました(前編後編)。一方、このブログで扱っているその種の個所は、だいたいが次のどちらかに当たります。

  1. 前後を含めて通し読みするとあからさまに変だが、誤訳そのものだけを取り出すとそれほど変に見えない
  2. つい読み飛ばしがちだが、真剣に読むと、意味が通っていないことに気づく

新倉本がどんなに意味不明かを素早く把握するには、「三日月クラシック」にある例のほうが分かりやすい。ですが、1番目に当たる個所だって、通し読みしていて頭が混乱するのは同じです。そこで、新倉真由美訳のせいで意味がとおらない個所について書いた記事を並べてみます。新倉本を初めて読んでから3年以上になるので、当時の気持ちを正確には覚えていませんが、だいたい次のようになるかと思います。

新倉本を読んだ当初からわけが分からなかった個所

  1. 亡命時のヌレエフをロゼラ・ハイタワーは見なかった
  2. 数百万人のロシア人や中国人がいるソ連?
  3. ポッツがヌレエフと別れた理由
  4. ヌレエフのパトリック・デュポン評
  5. 最初の不協和音の前にスト?
  6. 暗に世代交代をほのめかすマスコミ
  7. 記者をからかうヌレエフに好意的な原著者
  8. 何も教えようとしない真の教師?
  9. 初日を踊ることの重さ
  10. 写真から受ける印象と実際のずれ

新倉本を読み返すうちに疑念を抱くようになった個所

  1. 1人の風貌と存在感がコントラストをなす?
  2. 新入生がキーロフに出演?
  3. 同じなのは3作のうち1作だけ
  4. まず答えてから質問?
  5. 一般人が刑事を雇う?
  6. 急な登板を予定と呼べるか
  7. ヌレエフの一時帰郷の日程改変
  8. ダンサーは政府の答弁を予習するか
  9. 振付家が作家を選択する権利は異例か
  10. ロゼラ・ハイタワーに対して謙虚なヌレエフ
  11. ヌレエフとクララ・サンの「石の花」鑑賞
  12. tour(一周)とtournée(巡業)
  13. FBIの捜査があったという証拠
  14. 話題を監督業から闘病に切り替える文

多くの例を振り返って

こうして一気に読み返すと、私が新倉本を買った当時にどれほど当惑したかが思い出されます。手っ取り早くヌレエフの生涯やいろいろなエピソードを知ることができるつもりでいたのに、「それじゃ理屈に合ってない」「どうしてこんな文が出てくるのか分からない」と疑問が山積み。各文章がつながっていないので、別々な絵から取ってきたジグソーパズルのピースがごちゃごちゃしているような印象で、一枚の絵を形作っているようには見えませんでした。

新倉本を買った2011年2月20日から3日後、私はamazonにDiane Solway著『Nureyev: His Life』を発注しています。新倉本を買う前から私はSolwayの伝記に目星をつけていたのでしょう。しかしこのタイミングでの発注ということは、それだけ「この本ではヌレエフのことは分からない」という危機感が強かったのでしょうね。「三日月クラシック」に寄せた初指摘を読み返す限り、2月の私はパリ・オペラ座バレエに関することを多少知っている程度で、事実と違う記述に気づく力はほとんどなかったはずなのに。

「読み返すうちに疑念を抱くようになった」に分類したものには、新倉本への不信感が高まらなければ読み流したかも知れないものも多くあります。でも、いったん気づくと気になります。原本チェックしたい個所が次々出るのも、私が原文比較に熱心になる動機になりました。

しかし、訳文が露骨に変で原文を読みたくなる個所は、すぐさま眉に唾を付けたくなる分、誤訳を守るために原文を書き換えた疑惑 (1)で書いたようなことをされるよりはましですね。ヌレエフ像のねじまげも、多くは新倉本だけではおかしいと気づかない記述でしたし。

更新履歴

2014/5/14
「三日月クラシック」に寄せた初コメントによると、私が海外伝記を本気で探し始めたのは新倉本を買った後なので、それに応じて取り消し線を引く

ナンパ相手を襲おうとしているかのような印象操作

『ヌレエフ』P.204:
でもずたずたに引き裂こうとしている獲物に微笑みかける彼には、野獣のような魅力がありました」
Meyer-Stabley原本:
Je lui trouvais le charme du fauve qui sourit à sa poie avant de la déchiqueter. »
Telperion訳:
引き裂く前の獲物に微笑みかける野獣の魅力を彼から感じました」

イラ・フルステンベルクが語るところの、海岸で土地探しにいそしむヌレエフ。この土地探しを新倉真由美が愛人探しにしたことは、「三日月クラシック」の原文比較記事の「P.203-4 彼は日中~」の項にあるとおり。この記事で取り上げるのはそこで引用した文の直後にある。

獲物を引き裂こうとしていたとは限らない

最後の関係詞"qui sourit à sa poie avant de la déchiqueter"(獲物を引き裂く前に獲物に微笑む)はヌレエフでなく、直前の"le fauve"(野獣)を修飾している(fauve直前のduは"de le"の縮約形)。fauveの前に不定冠詞unでなく定冠詞leが付いているのは、単なる一匹の野獣でなく、関係詞の描写によって限定された野獣のことだから。

「彼は獲物を引き裂く前の野獣のようだった」と「獲物を引き裂く前の彼は野獣のようだった」は同じではない。ヌレエフが獲物を引き裂く前の野獣を連想させたからといって、獲物を引き裂こうと考えていたとは限らない。

探す対象がナンパ相手だと誤解したゆえの変な比喩

ヌレエフが探していたのはプライベートビーチにしたい海岸。イラ・フルステンベルクが見たヌレエフは、気に入った海岸を見つけて会心の笑みを浮かべていたのかも知れない。しかし海岸を買うことを「獲物をずたずたに引き裂く」とたとえるのは、どうにも不自然。もし原文のように「ヌレエフは買える海岸を探していた」の後に上記の新倉訳が続いたら、かなり奇妙に見えるだろう。

しかし新倉真由美は前の文を「ヌレエフは遊べる相手を探していた」と誤訳した。その後なら、「ずたずたに引き裂こうとしている獲物に微笑みかける彼」はしっくりくる。欲しい相手と何としても肉体関係を結ぼうとするヌレエフというわけだ。

直前で創作された「愛人探しに血眼なヌレエフ」のイメージを、続くこの部分がさらに強固にしているのは、とても私の気に障る。新倉真由美がヌレエフをことさらに女たらし扱いするのは記事「訳本が招くヌレエフの誤解(8) - 女性関係」で書いたことがあるが、これも根は同じに思える。

更新履歴

2016/5/13
諸見出し変更

ジジが話しかけた相手はプティ

『密なる時』P.21:
やがて妻が現れ、「私が全部アレンジします」と代わりに言ってくれ、それを聞いて私は眠りについた。
プティ原本:
Ma femme est arrivée et a pris le relais, « j'arrange tout » me dit-elle, et je me suis endormi.
Telperion訳:
妻が来て交代し、私に「みんな手配するから」と言い、私は眠りに落ちた。

フォンテーンがプティに新作を依頼し、まだ病床にいるプティが即答できなかったときのこと。

妻ジジ・ジャンメールの言葉« j'arrange tout »の後にある"me dit-elle"は、"elle me dit"(彼女は私に言った)の倒置文。つまりこの言葉はジジがプティに向かって言ったもの。プティは衰弱しているとはいえ意識があり、自分でフォンテーンと話していた。ジジが代理となる前にプティに一言断るのは自然だと思う。

新倉真由美の「代わりに言ってくれ」では、ジジがプティの代わりにフォンテーンに向かって言ったとしか読めない。

忍耐と献身はドゥース・フランソワだけの説明

『ヌレエフ』P.248:
ロンドンのモード・ゴスリング、ニューヨークのモニク・ヴァン・ヴーレン、トロントのリンダ・メイバーダク、サンフランシスコのジャネット・エスリッジ、そしてパリのドゥース・フランソワ。彼女たちはひたすら天使のように耐え献身的に尽くした。
Meyer-Stabley原本:
Maud Gosling à Londres, Monique Van Vooren à New York, Linda Maybarduk à Tronto, Jeanette Etheridge à San Francisco et enfin Douce François à Paris, qui fera preuve d'un dévouement total et d'une patience d'ange.
Telperion訳:
ロンドンのモード・ゴスリング、ニューヨークのモニク・ヴァン・ヴーレン、トロントのリンダ・メイバーダク、サンフランシスコのジャネット・エスリッジ、そして最後にパリのドゥース・フランソワ。彼女は心からの献身と天使の忍耐を発揮する。

ヌレエフの身辺の世話をしてくれる女性たちについて。

文末の関係詞"qui fera preuve d'un dévouement total et d'une patience d'ange"(心からの献身と天使の忍耐を発揮する)にある述語feraは、動詞faireの三人称単数形の活用形(ちなみに時制は直説法単純未来)。つまり、この関係詞が修飾する人物は一人。この場合は、列挙された人名のうち最後の一人であるドゥース・フランソワ。この文に続いて、ドゥースとヌレエフの関係が長めに書かれるのだが、「献身と忍耐を発揮する」はその前置きとなっている。

小さなミスではあるが、ヌレエフがこれらの女性をすべて振り回したとは限らないので、一応書いておく。なかでもモニク・ヴァン・ヴーレンは記事「モニク・ヴァン・ヴーレンがヌレエフに及ぼした影響」で触れているが、天使のように耐えるイメージではなさそうに思える。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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