伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.11.30
実在しないキーロフ市
2013.11.25
困難がない生き方と困難を無視しない生き方
2013.11.21
指揮者転向の足掛かりに適したバレエ伴奏
2013.11.18
最も深刻な断絶からの和解を振り返るプティ
2013.11.15
ヌレエフの動揺を答えとする疑問

実在しないキーロフ市

『ヌレエフ』P.72:
特にキーロフ市内では他の地域以上にお互い監督し合うよう奨励されていた。ルドルフは格好な標的のひとりであり続けたのだ。
Meyer-Stabley原本:
Au Kirov encore plus qu'ailleurs, le système encourage les gens à se surveiller les uns les autres. Rudolf constitue donc une cible parfaite.
Telperion訳:
キーロフでは他の場所よりも、人々が互いに監視しあうように仕向ける体制だった。それゆえ、ルドルフは申し分ない標的になった。

訳本を読むだけで分かることだが、キーロフとはレニングラード市内のキーロフ劇場、または劇場付属のキーロフ・バレエ。ヌレエフの生涯を語る際にキーロフ市という場所は出てこない。「市内」という余計な言葉が印刷段階で入り込む(つまり誤植)よりは、原稿にすでに書いてあった可能性のほうが、私には高そうに思える。もっとも、いくらなんでも『Noureev』に目を通した新倉真由美が本気でキーロフを都市だと思い込むとは考えにくく、筆が滑ったほうがありえそう。

それでも、「こんなことを書いたのはいったい新倉真由美とMeyer-Stableyのどちらだよ」と思いたくはなるので、明記しておく。フランス語では都市名に定冠詞を付けないのが一般的。原文の"Au Kirov"は"À le Kirov"の縮約形なので、Kirovには定冠詞leが付いている。つまり、Meyer-StableyはKirovを都市名としては扱っていないことになる。

constituer(構成する)とcontinuer(続ける)

第2文は無害なケアレスミスと言ってもいいが、この記事の分量は少ないのでついでに書いておく。原文の述語である動詞constituerは「~となる、~を構成する」。「続ける」に相当するフランス語はcontinuer。

困難がない生き方と困難を無視しない生き方

『密なる時』P.58:
そうやってヌレエフは何事もおざなりにすることなく生活し、アスリートの人生には必要とされる、大きな困難も名声に執着する憂鬱もなかった。
プティ原本:
Vivre ainsi en ne négligeant rien, ni les grandes difficultés qu'exigeait sa vie d'athlète, ni l'ennui de cultiver sa gloire,
Telperion訳:
アスリートの生に不可欠な大きな困難も、栄光を育むことの倦怠も、何ごとも無視せずにこうして生き、

"Aを否定する文 ni B"は、Aを否定した後でBも否定するための構文。上の原文に当てはめるとこうなる。

A
rien(何も)
B
  • les grandes difficultés qu'exigeait sa vie d'athlète(彼のアスリートの人生に不可欠な大きな困難)
  • l'ennui de cultiver sa gloire(彼の栄光を育てることの倦怠)
Aを否定する文
en ne négligeant rien(何も無視せずに)
Bも否定する文
  • 彼のアスリートの人生に不可欠な大きな困難も無視せずに
  • 彼の栄光を育てることの倦怠も無視せずに

ヌレエフは困難さがない気楽な生活をしていたのではなく、困難にも倦怠にもきっちり対処し、乗り越えていたのだろう。実際、プティは「彼の人生に不可欠な困難」(difficultés qu'exigeait sa vie)と書いている。それに、膨大な練習を毎日欠かさなかったヌレエフには、「困難がない」より「困難から逃げない」のほうが似つかわしい。

2014/2/26
文法説明の書き直し

指揮者転向の足掛かりに適したバレエ伴奏

『密なる時』P.94:
また彼はクラシックバレエのレパートリーを演奏するオーケストラの指揮も行った。
プティ原本:
Il dirigeait aussi des orchestres qui accompagnaient des ballets du répertoire classique,
Telperion訳:
彼はクラシック・レパートリーのバレエの伴奏をするオーケストラの指揮もした。

現役ダンサーであり続けるのが難しくなったヌレエフが指揮に挑戦したことについて。

通常の演奏でなく伴奏

accompagnerの基本的な意味は「~に伴う」で、音楽用語としては「~の伴奏をする」。オーケストラが伴奏しているのはaccompagnerの目的語である"des ballets du répertoire classique"(クラシック・レパートリーのバレエ)。ヌレエフが指揮したのは、バレエ公演を伴奏するオーケストラ。

新倉真由美の文では、「バレエを伴奏する」が「レパートリーを演奏する」になった。このため、普通のオーケストラ演奏会での演奏のように見える。言うなれば、「ロミオとジュリエット」全幕公演が、組曲「ロミオとジュリエット」の演奏会になったようなもの。

バレエ界からクラシック音楽界への転向しにくさ

クラシック音楽界ではバレエはオペラの添え物扱いで軽視されているらしい。ヌレエフ絡みだと、次のような例がある。

  • Diane Solway著『Nureyev: His Life』ペーパーバックP.312や、Julie Kavanagh著『Nureyev: The Life』ペーパーバックP.320によると、ヌレエフが1964年にウィーンで「白鳥の湖」を振付・演出した際、天下のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に音楽について指示した結果、楽団員たちに反発された。
  • Meyer-Stabley著『Noureev』でヌレエフの談話の中に、「パリ・オペラ座では世界中のオペラ座同様、バレエは役立たず(la cinquième roue du carrosse)と見なされています」という言葉がある。ちなみに訳本『ヌレエフ』で対応する新倉真由美訳は、P.250の「隅に追いやられています」。
  • Meyer-Stableyは『Noureev』で、ヌレエフに音楽界でのバレエ軽視を打破する望みがあったと書いている(「バレエ音楽軽視の現状を変えるため」)

バレエ界のスターであっても音楽の専門家でないヌレエフが指揮する際、オーケストラが主役の演奏会を率いるよりは、バレエの伴奏者となるほうが恐らく敷居は低い。新倉真由美の文の状況がありえないわけではないが、プティの文のほうが納得しやすい。

更新履歴

2015/3/16
見出し変更など

最も深刻な断絶からの和解を振り返るプティ

『密なる時』P.79:
愛情に満ちた強い抱擁のほかに我々は何を待ち望んでいただろう。私たちはまったく違う性格をしていたが、時には非常に接近しお互いを受け入れていたはずだった。
プティ原本:
Qu'attendions-nous pour, après une affectueuse accolade, nous accepter une fois pour toutes avec nos caractères différents et pourtant quelquefois si proches ?
Telperion訳:
愛情のこもった抱擁の後、我々の異なる性格、それでいて時にはあれほど近い性格を持ちつつ、お互いを今度こそ受け入れることの何をためらっていたのか。

1983年の「ノートルダム・ド・パリ」公演後に決裂したヌレエフと和解するに至ったことを振り返るプティ。

抱擁はプティの主な望みではない

原文の主要部分は"Qu'attendions-nous pour nous accepter ?"。その文字通りの意味は「お互いを受け入れるために我々は何を待っていたのか?」。この文脈での意味がいささか分かりにくいが、『プログレッシブ仏和辞典第2版』のattendreの項に、これに似た言い回しが載っていた。

Qu'est-ce que tu attends pour 不定詞 ?
(話し言葉) ~せずに何をぐずぐずしているんだい、さっさと~したまえ。

直訳は「(不定詞の動詞)するために君は何を待っているのか?」。疑問代名詞としてqueの代わりに"qu'est-ce que"を使っているし、主語や時制が違ってはいるが、プティの文の直訳にきわめて近い。和解を望んだことを書いた後に上の文を書いたプティも、「何でさっさと和解しなかったんだ」という意味を込めたと思われる。私の「何をためらっていたのか」はそれを踏まえた意訳。

骨格となる部分を修飾する部分

主要文を修飾する語句は3つに分けられる。

修飾句1
après une affectueuse accolade (愛情のこもった抱擁の後)
après(~の後に)を「~の他に」と訳すのはまず無理に思える。
修飾句2
une fois pour toutes (これを最後に)
仏和辞書でfoisを引くと載っているイディオムで、『プログレッシブ』には「一回限り、きっぱりと、これを最後に」とある。「今度お互いを受け入れたら、二度と拒絶なんかしない」というニュアンスだろう。
修飾句3
avec nos caractères différents et pourtant quelquefois si proches (我々の異なり、それでいて時にはあれほど近い性格を伴って)
文脈的に"nous accepter"(お互いを受け入れる)を修飾すると思う。将来したいことである「お互いを受け入れる」を新倉真由美は回顧と見なしたため、性格云々部分も回顧のように扱っている。

ヌレエフの動揺を答えとする疑問

『密なる時』P.90-91:
医者が落ち着き払った穏やかな声で、非常に慎重に採血した君の血清の検査結果をプラスであると告げた時、一体何をすべきであったのだろう。
プティ原本:
Quel effet cela doit-il faire lorsque avec beaucoup de précautions et avec une voix calme et posée le docteur qui vient vous donner les résultats de votre prise de sang vous annonce que vous être séropositif ?
Telperion訳:
とても注意を払いながら落ち着いた物静かな声で、君に血液検査の結果を伝えに来た医者が、君がHIV陽性だと告げた時、その影響はどれほどだったに違いないだろうか。

HIV陽性を告げられたヌレエフの「そんなはずはない」という内心の叫びをプティが想像したときの前置き。

プティが考えたのは告知のショック

この文の中心となるのは、疑問文"Quel effet cela doit-il faire ?"。

  • doitには英語のmust同様、「~でなければならない」「~に違いない」という2とおりの訳し方がある。
  • "faire effet"または"faire l'effet"は「印象を残す、効果をもたらす」というイディオム。
  • celaは前に述べたことを指す代名詞。

病名告知の場面なのだから、「それはどのような印象を残さなければならないのか」よりは「それはどのような印象を残すに違いないのか」だろう。その問いへの答えとして、プティが想像した「そんなはずはない」というヌレエフの心の叫びが続く。

新倉真由美はこの文を「一体何をすべきであったのだろう」としたが、それには不自然な点が3つある。

  1. プティが想像したヌレエフの内心は、「何をすべきであったのだろう」という問いへの答えにまったくなっていない。
  2. 「一体何をすべきであったのだろう」に主語はないが、人なのは確か。でも原文の疑問文の主語はcela。代名詞celaが人物を指すことはほとんどない。
  3. effetは「結果、効果、影響」といった、何かが起こった結果として生じることを指す。まだ行われていないことを指す言葉には見えない。

慎重にしたのは採血でなく告知

「医者が君に告知する」という意味の文(le docteur から文末まで)には、et(そして)で結ばれた次の2つの語句が付いている。

  • avec beaucoup de précautions (非常に注意して)
  • avec une voix calme et posée (落ち着いた物静かな声で)

一般に、etで結ばれた語句は構文解釈的に同じ役割を持つ。この場合、どちらも医者がヌレエフに告知するときの態度を形容している。

新倉真由美の解釈は次の点がおかしい。

  1. 2つの語句のうち片方が「採血した」、もう片方が「告げた」を形容している。つまり2つの役割が違う。
  2. そもそも原文に「採血した」にあたる言葉はない。

更新履歴

2014/9/23
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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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