伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.08.30
亡命前のヌレエフがCIAに連絡できるとは思えない
2013.08.28
ラコットがヌレエフに付き添うことの長所と短所
2013.08.27
トランジット行きは救済ではなく破滅
2013.08.26
イヨネスコはバレエ関係者でなく劇作家
2013.08.23
同行者が訪問先を間違える?

亡命前のヌレエフがCIAに連絡できるとは思えない

『ヌレエフ』P.107:
ソヴィエト当局の調査書類は、ヌレエフは西側への移住の意志を持ち、クララ・サンをアメリカ人が操作しているCIAの側近にしていた明白な事実があったとしている。
Meyer-Stabley原本:
Le dossier de l'agence soviétique met en évidence le fait que Noureev avait l'intention de passer à l'Ouest, mais surtout, il fait passer Clara Saint pour une proche de la CIA, manipulée par les américains.
Telperion訳:
ソ連当局の書類は、ヌレエフに西側へ渡る意志があったことを明らかにしているが、なかでも、クララ・サンをアメリカ人に操られたCIAの関係者だと思わせている。

ヌレエフの亡命後、KGBがまとめた報告書について。クララ・サンはヌレエフが亡命するのを手助けした。

クララはCIA関係者だと決めつけられたに過ぎない

問題なのは"il fait passer"以降。この中でイディオム"passer pour ~"(~だと見なされる)が使われている。これを踏まえて問題の部分を直訳すると、「彼/それはクララ・サンがアメリカ人に操られたCIAに近い人間だと見なされるようにした」。クララが実際にCIAに近い人間にされたという文ではない。

クララをCIA関係者に仕立てたのは報告書

クララをCIAの手先だと思わせたのは、該当文の主語である男性名詞の代名詞il。これをヌレエフだと解釈するのは、文法的には問題ない。しかし、この部分の前後には、ヌレエフは事前に亡命を計画しなかったと主張していることが書かれている。そのヌレエフが、クララとCIAがつながっていると吹聴するような真似をするのは不自然。

ilが指す男性名詞としては他の候補を探すと、最初の文の主語である"le dossier"(書類)が見つかる。「書類がクララをCIAに近い人間であるように見せた」とは、書類の中でクララがCIAの人間だと書かれているという意味になる。これなら、この後に続く「書類には矛盾がある」という文ともうまくつながる。

新倉本では報告書の内容が奇抜すぎ

KGBがヌレエフの亡命をCIAの陰謀に仕立てようとしたこと自体、無理があるのだろう。しかし、西側でやっと名前が売れ始めたばかりのヌレエフがクララをCIAに送り込んだという新倉本バージョンの報告書は、あまりに実現可能性が低い。あまり無茶な報告書を作っては、中央政府の怒りを余計に買うのではと心配になるくらい。

ラコットがヌレエフに付き添うことの長所と短所

『ヌレエフ』P.95:
ルドルフと一緒にいる限りトランジットまで行くことはできないだろう。
Meyer-Stabley原本:
Tant qu'il restera avec Rudolf, ils ne l'emmèneront pas en transit. Mais en restant avec lui il ne peut rien tenter.
Telperion訳:
ルドルフと共にいる限り、彼がトランジットに連れて行かれることはない。しかし彼と共にいながらでは、何も企てることができない。

ヌレエフがソ連に送還されようとしている現場に居合わせ、ヌレエフがトランジットに連れ去られるのを阻止しようと決意したピエール・ラコット。これを新倉真由美が「ヌレエフをトランジットに連れて行かなくてはならない」という正反対の意味に訳したことについては、記事「トランジット行きは救済ではなく破滅」で述べた。

ヌレエフを連れて行かないのはKGB

原文第1文の直訳は、「彼がルドルフとともにいる限り、彼らは彼をトランジットに連れて行かないだろう」。先ほど触れた記事の部分に続き、新倉真由美はここでも「彼ら」をラコットやその仲間だと思っている。しかし、「ラコットがルドルフとともにいる限り、ラコットたちは彼をトランジットに連れて行かない」は奇妙な文。ヌレエフをトランジットに連れて行くときにラコットが一緒にいてはいけない理由はないのだから。

別記事の部分と同じく、「彼ら」がKGBなどソ連当局の人間だとすれば、原文は理に叶った文になる。ラコットがヌレエフと別れるまでは、KGBはヌレエフを連れて行くのを延ばすということだ。

ラコットがヌレエフと共にいると不利な点もある

新倉真由美が訳さなかった第2文の直訳は、「しかし、彼とともにいる間は、彼は何も試みることができない」。文冒頭の「しかし(mais)」に注意したい。前の文では、ラコットがヌレエフとともにいることでヌレエフが受ける恩恵について書いている。ならその後「しかし」で続くこの文は、ラコットがヌレエフとともにいることの不利な点を述べていると推測できる。実際、ラコットがヌレエフとともにいる限り、ラコットはヌレエフとともにKGBに注視され続ける。下手な行動をすれば、たちまち妨害されるだろう。

つじつま合わせのような原文改変

新倉真由美は「彼ら」とはラコットやその友人たちのことだと解釈している。そして同時に、周辺の原文にさまざまな改変をしている。

  1. 「トランジットに連れて行ってはならない」を「トランジットに連れて行かなくてはならない」にする。
  2. 「トランジットに連れて行かないだろう」を「トランジットまで行くことはできないだろう」にする。
  3. 「しかし彼とともにいると何もできない」という文を消す。

不注意につぐ不注意という可能性もあるが、「彼らとはラコットたちのことである」という仮説に邪魔な原文を片っ端から消していったのではないかと疑いたくなる頻度。しかし、ここまで原文を変える前に、そうしなければ成り立たない仮説を疑うべきだと思う。

更新履歴

2016/5/11
諸見出し変更

トランジット行きは救済ではなく破滅

『ヌレエフ』P.95:
ルドルフをトランジットまで連れて行かなくてはならない。そこは中立のゾーンで、彼に対し誰も何もできなくなるからだ。
Meyer-Stabley原本:
Il ne faut pas qu'ils emmènent Rudolf en transit : là, il serait en zone neutre et personne ne pourrait plus rien pour lui.
Telperion訳:
ルドルフをトランジットに連れて行かれてはならない。そこでは彼は中立地帯にいて、もう彼のために誰も何もすることができないのだから。

ヌレエフがソ連に送還されると知り、どうするべきか必死に考えるピエール・ラコット。

ラコットはヌレエフをトランジットに行かせたくない

第1文の直訳は「彼らがルドルフをトランジットに連れて行ってはならない」。"Il ne faut pas que ~"(~してはならない)と"ils emmènent Rudolf en transit"(彼らがルドルフをトランジットに連れて行く)が結合している。

  • ヌレエフをトランジットに連れて行こうとしているのは「彼ら(ils)」。
  • ラコットはヌレエフがトランジットに行くのを止めたい。新倉本の「連れて行かなくてはならない」とは正反対。

連れて行こうとしているのはKGB

新倉真由美はヌレエフを連れて行く「彼ら」(ils)をラコットやその友人たちだと見なしたらしい。しかし、ラコットたちはロンドンに発つヌレエフを見送りに来たのであり、ヌレエフをどこかに連れて行こうとはしていない。この状況でヌレエフを連れて行こうとしているのは、ソ連行きの飛行機に乗せたがっているKGB職員。

トランジットではヌレエフの不利になる

ラコットの考えの理由である"personne ne pourrait plus rien pour lui"を「彼に対し誰も何もできなくなる」と訳すことは可能。前置詞pourにはさまざまな意味があるのだから。しかし、その前に異論の余地なく「トランジットに行かせてはならない」とあるのだから、その理由は「トランジットに行くとこういう不利な事態になる」とならなければならない。だからここでのpourは、「~に対し」でなく「~のために」と解釈しなければ、この部分全体の意味が通らない。

おまけ - KGBもヌレエフもトランジットに用はないはずでは

フランス語のtransitは日本語のトランジットと同様、目的地に行く途中で別な国の空港に立ち寄ることを指すらしい。ヌレエフはパリから出発しようとしており、トランジットのために空港にいるのではない。なのになぜトランジットに連れて行くとか行かないとかいう話になるのか、私には分からない。

強いて推測するなら、ラコットのような見送り客が立ち入れない区域のことを便宜上トランジットと呼んでいるのかも知れない。この場合の中立とは、ソ連寄りでもフランス寄りでもないということだろう。国に出入りする人間しか入れない区域は普通のフランス領土とは違うという感覚なのかも知れない。

更新履歴

2016/5/11
分かりやすさを目指して大幅に書き直し

イヨネスコはバレエ関係者でなく劇作家

『ヌレエフ』P.292:
また「ヌレエフ後援会」の後押しで、イヨネスコ、ショヴレ、ドミンゴ等数多くの芸術家たちによる請願書がブレジネフ首相のもとに送らせた(原文ママ)。
Meyer-Stabley原本:
Une autre requête est envoyée à Leonid Brejnev à l'instigation du « Committee to assist Noureev ». Elle rassemble en France les signatures d'Eugène Ionesco, Claude Roy, Yvette Chauviré, Suzanne Flon, Pierre Boulez, Leslie Caron. Parmi les milliers d'artistes étrangers qui s'y sont associés, on relève les noms d'Edward Albee, John Gielgud, Paul Scofield, Paul Taylor, Joanne Woodward, Placide Domingo...
Telperion訳:
「ヌレエフ後援委員会」の旗振りで別の嘆願書がレオニード・ブレジネフに送られた。この嘆願書は、フランスではウジェーヌ・イヨネスコ、クロード・ロワ、イヴェット・ショヴィレ、シュザンヌ・フロン、ピエール・ブーレーズ、レスリー・キャロンの署名を集めた。そこに加わった外国の多くの芸術家のなかには、エドワード・オールビー、ジョン・ギールグッド、ポール・スコフィールド、ポール・テイラー、ジョアン・ウッドワード、プラシド・ドミンゴといった名前が挙げられる。

ヌレエフと母の再会を認めるようにというソ連政府への嘆願書の1つについて。賛同者としてずらりと並んだ有名芸術家たちの名は、訳本では大量に削られた。残念ではあるが、字数減らしの手段としては穏当だろうから、この省略自体については取り上げない。私がこの記事を書いたのは、残った名前が姓だけになった結果、最初に挙がるイヨネスコが誰のことか分かりづらくなったせい。

実は私は原文を読むまで、このイヨネスコとはヌレエフ振付「シンデレラ」の舞台装置を担当したペトリカ・イオネスコ(Petrika Ionesco)だと思っていた。一般的には劇作家のウジェーヌ・イヨネスコのほうが有名だろうが、ペトリカの名が載っている一方、ウジェーヌの名が他の場所にない本で、姓だけなのはとても紛らわしいと思う。誤植や人名間違いが多く、別の場所でイヴェット・ショヴィレ(P.145)としている名をここでショヴレと書くような本では、2つの表記がわずかとはいえ異なるから別人を指すのだろうとはと判断しにくい。3人分のファーストネームなんて大した字数ではないのだから、フルネームで書いてほしかった。

著名人たちは発起人でなく賛同者

原文を読むと、名が挙がった芸術家たちは署名という形で嘆願に参加していることが分かる。つまり、署名を呼び掛ける側ではないらしい。原文で後援委員会(le « Committee to assist Noureev »)の前にある"à l'instigation de ~"は「~にそそのかされて、の勧めで」。「委員会の勧めで」の意味はいささかあいまいだが、芸術家たちが発起人でないなら、委員会が発起人なのかも知れない。

同行者が訪問先を間違える?

『密なる時』P.85:
彼は家族との再会や子供時代を過ごしたキーロフ劇場の訪問に深く感動したとのことだった。
プティ原本:
Il est très ému de retrouver sa famille, de revoir le Kirov, le théâtre de son enfance.
Telperion訳:
彼は家族と再会し、少年時代の劇場であるキーロフを再訪して、とても心を動かされた。

1987年にヌレエフがソ連に家族に会うために一時帰国したとき同行したロッシュ=オリヴィエ・メーストルから聞いた話を書いているプティ。原文のここだけ読むと、これはメーストルの談話とも、それを聞くプティの説明とも取れる。一方、新倉真由美は「とのことだった」と追加したので、メーストルの談話にしか見えない。

実は、この文がメーストルの語りをそのまま写したものでないということは、「キーロフを再び見る」から分かる。実際にはこの旅行でヌレエフが行ったのは、飛行機の乗り継ぎに使ったモスクワ、そして最終目的地のウーファだけだったのだから。一時帰国で見た劇場とはウーファのオペラ座。ウーファに縁がないプティの頭の中で、そこの劇場が名高いキーロフ劇場にすり替わっても不思議はない。しかしヌレエフに同行したメーストルが、ウーファのオペラ座とレニングラードのキーロフ劇場を取り違えるとは考えられない。だからこの文はプティ自身による説明なのだろう。

なお、キーロフを子供時代の劇場(le théâtre de son enfance)と呼んだのも、同じくプティがウーファを知らないゆえの勘違いに見える。ウーファで育ったヌレエフがキーロフに初めて来たのは17歳、すでにenfanceと言える歳ではないのではなかろうか。

あいまいな原文の場合、私は「プティがそう思ったんだろう、勘違いしても無理もない」ですませている。しかし、旅行の件で信頼性の高い証言を出せる立場のメーストルの話として、明らかに間違った「キーロフ劇場の訪問」が出てくるのは、かなり変だと思う。私はヌレエフの伝記を読むとき、「これは事実か、それとも誰かの推測か」とか「こう言ったのは誰か、その人の言うことは信頼できるのか」にはかなり神経をとがらせている。ヌレエフについて言われていることを全部信じようとすると収拾がつかなくなるせいだが、この場合に限らず、「誰がそれを言ったのか」は重要なことだと思う。それに関する情報を変えてほしくない。

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プロフィール

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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