伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.04.21
étoileは女性とは限らない
2013.04.20
友人たちはヌレエフを亡き後も忘れない
2013.04.18
スター・ダンサーではなく運命の星
2013.04.17
ヌレエフをしのぶ人々
2013.04.15
舞台のヌレエフの特徴である風格

étoileは女性とは限らない

『ヌレエフ』P.43:
巨匠の周りには権威ある輝かしいダンサーが名を連ねていた。プリマバレリーナには、ソコロヴァ、ニキティナ、トレフィローヴァ、クシェシンスカ、プレオブラジェンスカ、ゲルトなどがいた。
Meyer-Stabley原本:
Autour du maître se constitue l'une des plus prestigieuses troupes de l'histoire de la danse, troupe foncièrement russe dont les étoiles ont pour nom Sokolova, Nikitina, Trefilova, Kchessinska, Preobrajenska, Guerdt.
Telperion訳:
主の周りには舞踏史上最もそうそうたる一団の1つ、本質的にロシアの一団が作られた。そのスターたちの名を挙げると、ソコロワ、ニキティナ、トレフィロワ、クシェシンスカヤ、プレオブラジェンスカヤ、ゲルトである。

ここで言うmaître(巨匠、主)、マリウス・プティパとつながりがあり、マリインスキー・バレエの歴史に名を残すゲルトといえば、プティパが振り付けたチャイコフスキー作曲三大バレエすべてを初演したことで知られるパーヴェル・ゲルト。名前から分かるように男性。挙げられた名前の中で男性が1人だけとはいえ、「プリマバレリーナにはゲルトがいた」とは言わないと思う。

原本に出る名前をいちいち調べるのは必須ではないだろう(もっとも、Meyer-Stableyはよく人名を間違えるので、調べたほうが安心できる)。しかし、étoileは女性名詞ではあるが、女性だけを指す言葉ではないのは、仏和辞書を引くだけでも分かる。ロシアのバレエの歴史に通じていなくても、étoileを辞書通り「スター」と訳せば済む話だった。

同種の例

étoileが「プリマ・バレリーナ」になったために変な文になった例は、「三日月クラシック」に2つ取り上げられている。どちらもétoileは本当はヌレエフを指している。

また、性別は問題ないし、誤訳だとも言わないが、以下の部分も違和感を覚える。

『ヌレエフ』P.198:
プリマ・バレリーナだったクレール・モット
Meyer-Stabley原本:
l'étoile Claire Motte

パリ・オペラ座バレエのエトワールを「プリマ・バレリーナ」と紹介するのは一般的でないと思う。モットがエトワールだったことは、『密なる時』の訳注(P.83)で新倉真由美が自ら書いている。

おまけ - ここで挙げられたダンサーたち

日本語wikipediaに項がある
  • マチルダ・クシェシンスカヤ(Mathilde Kschessinska)
  • パーヴェル・ゲルト(Pavel Gerdt)
英語wikipediaに項がある
  • ヴェラ・トレフィロワ(Vera Trefilova)
  • オリガ・プレオブラジェンスカヤ(Olga Preobrajenska)
ロシア語wikipediaに項がある
  • エフゲーニャ・ソコロワ(Евгения Соколова)
  • ヴァルヴァラ・ニキティナ(Варвара Никитина)

友人たちはヌレエフを亡き後も忘れない

『密なる時』P.99:
今もなお、ヌレエフを失ってしまったやもめたちがパリの通りを走り抜け交差し、出会いまた忘れ去っていく。
プティ原本:
Aujourd'hui les veuves Noureev courent les rues de Paris, se croisent, se rencontrent et s'oublient.
Telperion訳:
今日、ヌレエフのやもめたちはパリの通りを走り、すれ違い、出会い、自分を忘れる。

ヌレエフ亡き後の喪失感を抱えた人々の描写の冒頭。この後でプティは具体的な名を次々に挙げ、その人々の生活にヌレエフが今も根を下ろしている様子を書く。

新倉真由美が「忘れ去っていく」と訳した動詞は、代名動詞s'oublier。単なる「忘れる」という意味の他動詞oublierと違い、次のような意味になる。

忘れ去られる
主語である物事が、人びとの記憶から消えること。
自分を忘れる
主語は人。「自制心を失う」「私欲を捨てる」などの意味が派生する。

この場合は明らかに2番目の意味。

  1. 引用した文の後には、その人々がヌレエフを思い出す様子が詳しく書かれている。その人たち自身が他人に覚えられているかどうかという話が入り込む余地はない。
  2. 人々の動作としてs'oublientとともに並べられたのは、courent(走る)、"se croisent"(すれ違う)、"se rencontrent"(出会う)。どれも能動的な動作なので、そこに受動的な「忘れ去られる」が加わるのは場違い。

「自分を忘れる」とは具体的にどういうことかは、想像するしかない。印象的な知人が亡くなった後で同じ喪失感を持つ人に会った時の感情という文脈を踏まえると、自分の現在の日常を忘れ、物思いに沈むというイメージを私は抱く。

新倉真由美の文を読むと、人々が忘れるのはヌレエフか、会ったばかりのヌレエフを介した知人に見える。「今では共通の知人に会った時に思い出すだけで、それもすぐに忘れる」と言っているに等しい。この後で書かれる人々の追憶とあまりにミスマッチ。人々の名の中には、プティ自身の名もあるのに。

更新履歴

2014/9/24
箇条書きの多用

スター・ダンサーではなく運命の星

『ヌレエフ』P.245:
ヌレエフは世界で最も美しいバレエ団の芸術監督という特権的な肩書にアプローチしようとした。そのバレエ団のプリマバレリーナはもはや輝きを放っていなかったが。しかし彼は落とされた。
Meyer-Stabley原本:
Noureev pense enfin accéder au titre suprême, directeur artistique de la plus belle compagnie de danse au monde, sa bonne étoile ne brille plus aussi intensément. Il est recalé.
Telperion訳:
ついにヌレエフは世界で最も美しいバレエ団の芸術監督という至高の称号を手にすることを考えた。彼の幸運の星はもう同じくらい強く輝きはしなかった。彼は落とされた。

1970年代にヌレエフがロイヤル・バレエの芸術監督になるという話がもちあがったことについて。この時期はフォンテーンの引退とも重なっていた。

原本でétoileは、一般のスター・ダンサー、またはパリ・オペラ座バレエの最高階級のダンサーを指す言葉として、何度となく使われている。しかし仏和辞書でétoileを引くと、「運勢の星、運命」という意味もあり、「être né sous une bonne [mauvaise] étoile 幸運[不運]の星の下に生まれる」という用例まである。引用部分の"sa bonne étoile"は文字通りには「彼(それ)の良い星」だが、ヌレエフの運勢の強さを指すのだろう。「同じくらい強く(aussi intensément)」という言葉で比較している対象がロイヤル・バレエか、それともかつてのヌレエフの幸運の星かは、私には判別できないが。

新倉真由美は"sa bonne étoile"がプリマ・バレリーナ、恐らくはフォンテーンを指すと考えているらしい。しかし、以下の理由から、私はその考えに賛成しない。

  1. 「ヌレエフはロイヤル・バレエの監督になることを考えた」と「彼は落とされた」の間に「そのスター・ダンサーはもう同じくらい強くは輝かなかった」が割り込むのは、なんとも唐突で脈絡がない。新倉真由美は「輝きを放っていなかった」の後に「が」を追加したり、「彼は落とされた」の前に「しかし」を追加したりして、自然なつながりに見せようとしているが、これらに対応する言葉は原文にない。
  2. Meyer-Stableyはフォンテーンの引退に触れるとき、「少しずつキャスティングから離れていくように見えた」「最後になる“ロミオとジュリエット”」(『ヌレエフ』P.218)「最後の“マルグリットとアルマン”の公演」(同書P.200)というマイルドな書き方をしている。なのにここで必要もなく、「同じくらい強くは輝かなかった」という、フォンテーンの衰えを強調する表現を使うとは信じられない。新倉真由美が「同じくらい強く」を省いたせいで、訳文はとてもきつく、なおさら異様。

ヌレエフをしのぶ人々

『密なる時』P.99-100には、ヌレエフをしのぶ人々として数々のファーストネームが挙げられます。そのうち、以下の人たちは同書の他の場所でも書かれるので、ヌレエフとつながりがあるのは分かります。

  • ドウース(・フランソワ)
  • ローラン(・プティ)
  • ジジ(・ジャンメール)
  • イゴール(・アイスナー)
  • マリー=エレーヌ(・ド・ロスチャイルド)
  • ジェーン(・ハーマン)

このうちドゥース・フランソワ、イゴール・アイスナー、マリー=エレーヌ・ド・ロスチャイルドについては、『ヌレエフ』に『密なる時』より少し詳しい説明があります。しかし、『密なる時』でここにしか出ないファーストネームもあります。その人たちが誰かを知るには、新倉真由美が参照したことを『密なる時』P.83で明記しているMeyer-Stabley著『Noureev』がかなり役立ちますが、その訳本『ヌレエフ』を読んでも全員は分かりません。自分で調べるには海外のヌレエフの伝記を読んだり、フランスのバレエ業界に馴染んだりする必要があり、とても高いハードルです。

もし私がバレエやヌレエフの予備知識をあまり持たずに『密なる時』を読むとしたら、名前に注が付いていれば心底ありがたいことでしょう。そこで今回は、残りの人たちの説明を載せてみます。

ルネ(René)
フランスのバレエ批評家ルネ・シルヴァン(René Sirvin)。
  • 1989年にヌレエフがミュージカル「王様と私」に出演するためにパリを離れたためにパリ・オペラ座のピエール・ベルジェとの対立が激しくなったとき、渡米してミュージカルを観劇(『ヌレエフ』P.287-288)
  • 今はない自身のサイトimagedanse.comでヌレエフの1992年「ラ・バヤデール」を称賛(『ヌレエフ』P.308)
  • 1961年にパリでデビューしたヌレエフの評「キーロフは宇宙飛行士を発見した」が『ヌレエフ』P.85に引用されていますが、これはシルヴァンの言葉(Julie Kavanagh著『Nureyev: The Life』ペーパーバックP.116)
ピエール(Pierre)
恐らくダンサー、振付家であるピエール・ラコット。亡命前のヌレエフがパリで親しくした人物の1人であり、亡命の場にも居合わせました(『ヌレエフ』第5章)。

ピエール・ベルジェも亡命直後からヌレエフと交友がありますが、パリ・オペラ座を統率する地位になってバレエ団監督のヌレエフと対立したことが、ヌレエフの監督辞任につながっているため、ヌレエフをしのぶ人として挙げるのはラコットほどしっくりきません。

ワラス(Wallace Pott)
ヌレエフと一時恋愛関係にあり、終生の友人となったウォレス・ポッツ(Wallace Potts)。プティはPottとスペルミスしています。『Noureev』では1度だけWallace Pottsと呼び、後は愛称を用いたWall Pottsと呼んでいます。訳本『ヌレエフ』(P.184-185)では呼び名をウォール・ポッツに統一しているので、『密なる時』で姓を省かれたワラスと同一人物に見えません。
フグー(Hugues)
『密なる時』によると、ヌレエフがバレエ界に残した遺産を管理する人物。『Noureev』に名前はありませんが、この描写に合うのは1995年から2004年までのパリ・オペラ座総裁ユーグ・ガル(Hugues Gall)でしょう。オペラ座公式サイトでシーズン別のプログラムを参照できますが、ガルの着任後はヌレエフの全幕作品が次々に上演されており、「ラ・バヤデール」と「ロミオとジュリエット」だけだったその前とは大きく様がわりしたことが分かります。

任期中に発売されたパリ・オペラ座バレエの映像のエンドクレジットを見れば、総裁としてユーグ・ガルの名は載っているはず。少し前のパリ・オペラ座バレエに興味がある人には、そう耳慣れない名ではないのでは?

ヴィットリア(Vittoria)
『Noureev』巻末の参考文献一覧に、ヴィットリア・オットレンギ(Vittoria Ottolenghi)著、『Rudolf Nureyev : Confessioni』(ローマ、Editoriale Pantheon刊、1995年)があります。オットレンギはイタリアの批評家。Julie Kavanagh著の『Nureyev: The Life』にもちらっと名が出ます。『密なる時』での「ローマで炎を燃やし続け」という描写に合いそうです。
モード・ゴスリング(Maude Gosling)
ヌレエフの友人として『ヌレエフ』P.196、248に名が出ています。夫ナイジェル・ゴスリングとともにAlexander Blandの名でバレエ批評を書いていました。ヌレエフ財団が認めた伝記作者にのみヌレエフについて語るという契約を交わしたそうで、その伝記作者であるJulie Kavanagh著の『Nureyev: The Life』にはモードの証言が大量に引用されています。

舞台のヌレエフの特徴である風格

『ヌレエフ』P.221:
彼のキープ力は誇るべきもので、格調高くダイナミックなマイムや動き、優雅なポールドブラやゆったりした動きなどがヌレエフの特徴だった。
Meyer-Stabley原本:
L'indolente fierté de son maintien, l'ampleur impériale des gestes et des parcours, la grâce des ports de bras et des ralentis sont la marque de Noureev.
Telperion訳:
物腰の物憂げな誇らしさ、皇帝のような身振りと軌跡の豊かさ、そしてポール・ド・ブラと遅い動作の優雅さがヌレエフの特徴である。

ヌレエフの踊りの特徴について述べた長文から。

キープ力の話はしていない

この文の述部は"sont la marque de Noureev"(ヌレエフの特徴である)であり、その前にあるのはすべて主語。主語はいくつかの名詞句を並べたもの。

  • L'indolente fierté de son maintien
  • l'ampleur impériale des gestes et des parcours(仕草と軌跡の皇帝のような豊かさ)
  • la grâce des ports de bras et des ralentis(ポール・ド・ブラとスローモーションの優雅さ)

1番目の主語は2、3番目の主語と同じくヌレエフの特徴であり、単独の別な文に仕立てる理由はない。この1番目の主語で使われる単語を順に見ていく。

  1. fiertéは名詞「高慢さ、誇り」。
  2. 名詞fiertéの直前にあるindolentは、名詞になることもあるが、ここでは名詞を修飾する位置にあるので、形容詞として使われている。意味は「無気力な、物憂げな」。
  3. 名詞maintienは「維持、支えること、態度」という意味がある。ここでは「maintienの物憂げな高慢さがヌレエフの特徴である」という文の一部なので、最も妥当な意味は「態度」だろう。

仕草の豊かさやポール・ド・ブラの優雅さと同様、maintienそのものに誇りが宿っているのであり、maintienを誰かが誇りに思うのとは違う。

舞台上で偉そうに振舞うヌレエフについては、パトリック・デュポンも自伝で書いたらしい。2番めの主語にあるimpériale(皇帝の)という言葉も、いくばくかの威圧感をうかがわせる。

バレエにおける仕草がマイムだとは限らない

ラルース仏語辞典でgesteの意味がこう載っていた。

Mouvement du corps, principalement de la main, des bras, de la tête, porteur ou non de signification

体、主に手、腕、頭の動き。意味を持つことも持たないこともある。(Telperion訳)

『ヌレエフ』P.115-116でヌレエフの「レニングラードでは純粋なテクニックより手や頭や体の動きを重視する」という持論が触れられるが、キーロフで重視される動きの総称がgeste。その持論とヌレエフがgesteに長けていることには一貫性がある。

仏和辞書にあるgesteの意味は「仕草、身振り」にとどまっているので、私自身もマイムのことかと思っていた。ラルースで上の定義を見つけたときいささか感動したので、載せておく。

更新履歴

2016/5/6
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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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