伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.02.28
降板する気はないヌレエフ
2013.02.27
キーロフで最初に踊った「白鳥の湖」はパ・ド・トロワ
2013.02.26
コンドームの役目は避妊に限らない
2013.02.25
ヌレエフが好きなさまざまな踊り
2013.02.24
会う場所の節度はわきまえたヌレエフ

降板する気はないヌレエフ

『密なる時』P.61:
「僕以外で誰か都合のつくダンサーに振り付けたらどう? 僕なら1週間もあれば練習できるけど」
プティ原本:
« Why don't you choreography on anybody practical to you, I will learn it in one week *. »
* « Pourquoi ne répètes-tu pas la chorégraphie avec quelqu'un de plus disponible, je l'apprendrai en une semaine. »
Telperion訳:
「もっと自由に使える誰かに振り付けたらいい。僕は1週間で覚えるよ」

ヌレエフのための新作バレエ「オペラ座の怪人」の稽古をちっとも始めないヌレエフが、稽古の開始を要求したプティに言ったこと。

これを誤訳とは呼ばないが、原文では感じない紛らわしさが気になる個所なので、取り上げることにする。

ヌレエフの言葉にある稽古の意志

英語の助動詞willは「~だろう」という未来の出来事を表す。主語が自分の場合、「~しよう」という意志を表すことも多い。

もっとも、英語ネイティブでないヌレエフがwillを辞書どおりの意味で使っているとは限らないかもしれない。現にその前の文で、ヌレエフは名詞choreographyが動詞扱いというブロークンな英文をしゃべっている。しかしプティによるフランス語訳を見ても、"will learn"に相当するapprendraiの時制は直説法単純未来。プティはヌレエフが将来やるつもりのことを話しているのだと受け取っていることがうかがえる。

つまり、ヌレエフの「1週間で振り付けを覚える」とは、「早く稽古に来てくれないと新作バレエの振付ができない」と急かすプティへの本気の提案。「あなたが別の誰かで振付を完成させ、それを僕が1週間で覚えれば、あなたは振付を創作できるし、僕は稽古時間を減らせる」というわけ。

引用文の後、プティは「私は彼のいいなりにはならず」(Je n'ai pas cédé)と続けるが、これは「そんな無茶な稽古ができるか」という意味の拒否なのだろう。結局「オペラ座の怪人」は別キャストで発表されることになる。

新倉真由美の文から見える降板の可能性

新倉真由美訳が原文(英文も仏文も)の直訳と違う点は、まず次の2点。違いはかなり微妙なもの。

  • 「練習する」が「練習できる」になった
  • 「僕なら」という仮定文になった

そしてこれを上回る微妙な違いとして、語尾の「けど」がある。この語尾のせいで、ヌレエフがまだ何か言いたそうに見える。私が想像した「練習できるけど」の続きは、「練習なんかしてやらない」とか、「あなたは練習に数週間もかかるダンサーのほうがいいんだよね、ご苦労様」とかいったところ。

つまり、私には「他のダンサーに振り付けたら?」は、自分は新作バレエから降りるという宣言または脅しであり、「僕なら1週間で練習できるけど」は単なる能力自慢に見える。

「僕なら1週間もあれば練習できるけど」を私がもし英訳するなら、現実とは異なる仮定を示す仮定法現在を使った"I could learn it in one week."にするだろう。フランス語ならプティの文にある直説法単純未来でなく、条件法現在を使うと思う。つまり私にとって、新倉真由美の文とヌレエフの英文・プティの仏文との間には、少しとはいえ差異がある。

プティの文は、細かいところでも気を抜けない。「作者」の訳が抜けるとか、「贈り物」の訳が抜けるとか、「ポワントのダブルフェッテをしない」とするべきところが「ダブルフェッテをできない」になるとか、そういう小さなことで、原文と違う意味が紛れ込んでくる。だから厳格に訳せる部分はそうするべきと思う。

更新履歴

2014/7/12
段落分けを細かくする、小見出しを追加するなど

キーロフで最初に踊った「白鳥の湖」はパ・ド・トロワ

『ヌレエフ』P.64:
一九五八年九月二五日、ルドルフ・ヌレエフはキーロフ劇場でニーナ・ヤスロレボヴァ(原文ママ)、ガリーナ・イワノワと“白鳥の湖”を踊ってデビューした。
Meyer-Stabley原本:
Le 25 septembre 1958, Rudolf Noureev fait ses débuts au Kirov en dansant le pas de trois du Lac des cygnes avec Nina Yastrebova et Galina Ivanova.
Telperion訳:
1958年9月25日、ルドルフ・ヌレエフはキーロフでデビューし、ニーナ・ヤストレボワ、ガリーナ・イワノワと「白鳥の湖」のパ・ド・トロワを踊った。

この後、「しかし本当に脚光を浴びたのはナタリア・ドゥジンスカヤと『ローレンシア』を踊った時だった」という意味の文が続く。脚光を浴びたのが「白鳥の湖」のときでなかったのは、「白鳥の湖」では主役でなかったから。しかし訳本では"le pas de trois du"が訳されていないので、「白鳥の湖」でも主役だったが、出来がいまいちだったとも受け取れる。共演した女性ダンサーが2人なので、踊ったのがパ・ド・トロワだと推察できないわけではない。しかしパ・ド・ドゥーの相手が不測の事態で交代したという想像もできる。やはり「パ・ド・トロワ」とはっきり書いたほうが分かりやすい。

なお、ルドルフ・ヌレエフ財団サイトでは、このパ・ド・トロワはヌレエフが正規のキーロフ団員になる前のこととして扱われている。財団の見解では、ヌレエフが正規のソリストとしてデビューしたのはドゥジンスカヤとの「ローレンシア」。

コンドームの役目は避妊に限らない

『密なる時』P.86:
「ニューヨークで過ごした最後の月に、僕はある人と恋に落ちたんだ。僕は避妊に気をつかいあらゆることに留意していたつもりだったんだけど、ある時、突然避妊具がなくなっていることに気づき、とても慌ててしまった。僕はパリにいる主治医にすぐ電話をし、帰国して2人で検査を受けたけど、幸い何ごともなくてほっとしたよ」
プティ原本:
Last month in New York I made love with someone. I have put the plastic, everything was under control and suddenly I realized that I had lost the condome, catastrophe. J'ai téléphoné à mon docteur à Paris and when I was back home we did the test... Nothing*.
* Le mois dernier à New York j'ai fait l'amour. J'avais mis mon préservatif, tout allait bien, et tout d'un coup je me suis rendu compte que la capote était partie, catastrophe. J'ai téléphoné à mon docteur à Paris et quand je suis rentré nous avons fait le test... Rien.
Telperion訳:
先月ニューヨークで愛し合った。ゴムを付け、何もかも手の内にあり、突然コンドームをなくしていたことに気づいた。とんだ災難だ(英語)。パリの主治医に電話して(フランス語)、帰ってから私たちは検査した…何もなかったよ(英語)。

新倉真由美の「僕は避妊に気をつかい」に対応する原文は"I have put the plastic"。単にコンドームを使用したというだけであり、避妊に触れてはいない。現にヌレエフの相手は圧倒的に男性が多いのだから、避妊を考える機会はごく少なかったろう。それにパリで検査したのは「私たち」(we)。避妊が問題なら、ヌレエフが検査をする必要はない。(2013/9/3: weとはヌレエフと医師かも知れないので、この文を打消)

避妊以外のコンドームの目的といえば、病気の伝染防止。プティは「ヌレエフがこの話をしたとき、エイズになって5~6年だったと言わなかった」と続けている。ヌレエフがHIV陽性になって5~6年後とは、1980年半ば。これはエイズの知名度が急上昇した時期でもある。プティは聞いたとき「エイズが怖かったのだろう」と思ったはず。

新倉真由美が避妊という言葉を使ったのは、コンドームと書くのを避けるためなのかも知れない。しかし、この話ではヌレエフがエイズのことを強くほのめかしており、だからこそプティは「この話をしたときすでにエイズだと言わなかった」と書いている。避妊を主題にすることは、エイズの影を薄くするので、望ましくないと思う。

もう一つの遠まわしな表現

ヌレエフが言う"make love"は、1日に3回やったと自称したり(『密なる時』P.32、新倉真由美訳は「メイクラブをした」)、茂みでやったりする行為(『密なる時』P.45、新倉真由美訳は「愛し合った」)なので、恋に落ちたこと自体でなく、その結果として行われる行為のこと。実際、英和辞書で"make love"を引いても、仏和辞書で"faire l'amour"を引いても、そういう意味が載っている。他2ヵ所の訳から考えて、新倉真由美はそれを分かっていると思うが、ここでは他2ヵ所より遠まわしな言い方なのが目を引いたので、取り上げてみた。

ヌレエフが好きなさまざまな踊り

『密なる時』P.68:
ヌレエフ氏は考える。クラシックバレエであれコンテンポラリーダンスであれ、また一般大衆が好きな祖国を称賛し愛国心を高める民族舞踊であれ、自分はありとあらゆる踊りを愛しているのだと。
プティ原本:
Monsieur Noureev critique. Il aime la danse classique ou contemporaine et comme tout le monde les danses folkloriques qui exaltent les pays qui les dansent,
Telperion訳:
ヌレエフ氏は批評する。古典またはコンテンポラリーのダンスが好きで、皆と同じく、踊る国を熱狂させる民族舞踊が好きだ。

第1文のcritiqueは動詞critiquer(批評する)の直説法現在・三人称単数の活用と思われるが、名詞critique(批評家)という可能性も捨てきれない。いずれにせよ、批評について語っているのは確か。批評は自分の下した評価を他者に知らせる行為であり、「考える」と言い換えるのが適切とは思えない。また、第1文と第2文は独立しており、文法的に第2文が批評の対象だと示す要素はどこにもない。

ヌレエフが好きな踊りとしてプティが挙げたのは、古典、コンテンポラリー、民族舞踊の3つだけ。これら以外にも踊りの種類は無数にあるし、原文で「ありとあらゆる踊り」に当たる表現はない。もしかすると、一見「世界すべて」と見えなくもない"tout le monde"の訳なのかも知れないが、"tout le monde"は「すべての人」というイディオム。

"comme tout le monde"(すべての人のように)は「ヌレエフが民族舞踊を好きだ」という文を修飾している。すべての人とはもちろん一般大衆に限らない。誰もが民族舞踊を好きだというのは強い断定だが、誰でも自分の国の踊りは好きだとプティは信じているのかも知れない。

会う場所の節度はわきまえたヌレエフ

『密なる時』P.13:
それにもかかわらず、ある日の終演後、微笑をたたえた瞳と貪欲な唇をしたロシア人の若者がホテルまで巧みに後を付けてきた。
プティ原本:
Si pourtant, je me souviens bien du jeune cosaque aux yeux souriants et aux lèvres gourmandes qui après le spectacle s'était faufilé jusque dans ma loge.
Telperion訳:
しかし、公演後に私の楽屋まで紛れ込んできた、微笑んでいる目と貪欲な唇をしたコサックの若者のことはよく覚えている。

1959年にウィーンで公演中、ヌレエフとの初めての出会いについて。

ヌレエフが来たのはホテルでなく楽屋

logeを仏和辞書で引くと、バレエ業界関連では「楽屋、ボックス席」、そうでないものは「管理人室、小部屋、フリーメーソンの支部」という意味が載っている。プティは公演の客でなく主催者なのだから、ここで最も自然な意味は「楽屋」。

新倉真由美はlogeをホテル、またはホテルの一室だと思ったらしい。しかしこれはありそうにない。

  • 上に挙げたlogeの意味を見ると、特殊な用例である「フリーメーソンの支部」以外は、ホテルの部屋よりもなお小さい区画を指している。
  • ホテルの部屋はchambreと呼ばれる。フランスのホテルのWebサイトをいくつか見ると、星なしの比較的質素なホテルであっても、部屋はchambreと書かれている。

引用部分の直前に「私はホテルから劇場に徒歩で行き」と書いてはあるが、だからといって次の文もホテルのことを書いているとは限らない。

ヌレエフはストーカーではない

公演に感動した客が舞台裏に押しかけるのは、客に特別なつてがあれば、それほど珍しいことではないらしい。

  • 『ヌレエフ』原本によると、ヌレエフの公演でミック・ジャガーとマリアンヌ・フェイスフルが舞台裏に出向いた
  • Diane Solway著の伝記『Nureyev: His Life』のペーパーバックP.275によると、現役の大統領夫人だったジャクリーン・ケネディが舞台裏にフォンテーンとヌレエフに会いに行き、政治的トラブルを嫌った興行主ソル・ヒューロックに断られた。

プティの楽屋まで行ったヌレエフは舞台裏よりさらにプティに肉迫しているが、業界関係者で大胆なヌレエフなら、たやすく行く気になったろう。

一方、仕事とは切り離された場所であるホテルまで後を付けるのは、いくら感動のあまりとは言えストーカーじみている。logeの解釈は比較的小さな問題ではあるが、どうでもよくはない。

更新履歴

2014/6/20
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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