伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.01.31
発言者はルディエールでなくヌレエフ
2013.01.30
「オー・カルカッタ!」へのプティの関心の程度
2013.01.29
プティはタクシーに乗らずに人が少ない道を歩いた
2013.01.28
ヌレエフの室内装飾に対する態度
2013.01.27
和解後は遠慮がちになったヌレエフ

発言者はルディエールでなくヌレエフ

『ヌレエフ』P.268-269:
常に完璧を目指すプロのダンサーたちは彼の威厳に圧倒され、専制的な権力を持つ巨人に魅せられ憧憬の思いを育んでいった。実際彼の信念には反論できなかった。
「ダンサーたちは自分自身から抜け出して、比類ないほど極端に突き進んでいくしかないのです」
モニク・ルディエールは言った。
「彼は人格というよりむしろ才能によって突き動かされていました。
Meyer-Stabley原本:
Son autorité, dès lors qu'elle s'abat sur des professionnels toujours en quête de perfection, se nourrit de leur fascination pour ce géant tyrannique et entier, mais dont le credo est irréfutable : « Les danseurs ne peuvent progresser qu'en sortant d'eux-mêmes, dans la démesure, dans l'exceptionnel ; c'est difficile dans un monde banalisé », confie-t-il. Pour la danseuse Monique Loudières, « il est plus motivé par le talent que par la personnne,
Telperion訳:
彼の権威は常に完璧を探し求めるプロたちに襲いかかるので、専制的で頑固ではあるが、反論の余地がない信条を持つこの巨人に、プロたちは魅了されるようになった。「ダンサーたちが進歩するには、自分自身から抜け出し、過剰さに、例外的なものに向かうしかありません。これは大衆化された世界では難しいことです」と彼は打ち明ける。ダンサー、モニク・ルディエールにとっては、「彼のやる気を起こすのは人柄より才能です。

パリ・オペラ座バレエの監督だったヌレエフとダンサーたちの関係。

最初の発言がヌレエフのものと分かりにくい

引用がやや長めなのは、「ダンサーたちが自分自身から抜け出して」云々という発言の前後の文脈を見せるため。この発言がヌレエフの信念なのか、それともルディエールの発言なのか、私には新倉本を読んでもはっきりしなかった。「『~』と誰それが言った。『~』」のように、会話の中に「誰それが言った」という説明文を挟み込むことは、フランス語でも英語でも、従ってその日本語訳でも多い。だから上記の発言もルディエールが言ったことに含まれる可能性は、新倉本からは否定できない。

原文では「自分自身から抜け出して」云々の後にconfie-t-il(彼は打ち明ける)と書いてあるので、ヌレエフの発言だとはっきり分かる。

原本では短所扱いの「専制的な権力を持つ」

ここで取り上げることは、「分かりにくい訳」でなく「間違った訳」と言ってさしつかえない。でも単独の記事にするには小さなことなので、ここで併記する。

「この巨人」(ce géant)を修飾する「専制的で頑固一徹な」(tyrannique et entier)と「反論の余地がない信条を持つ」(dont le credo est irréfutable)の間には「しかし」(mais)がある。このことから、Meyer-Stableyは2つの形容に逆の意味を持たせていることが分かる。「専制的で頑固一徹」はヌレエフが反発される要素、「反論できない信条を持つ」はヌレエフが心服される要素を指すのだろう。

「オー・カルカッタ!」へのプティの関心の程度

『密なる時』P.66:
ニューヨークでは、『ヘアー』(注1)が大成功を収めた後に『オー! カルカッタ!』(注2)が続いていた。クロヴィス・トルイユの有名な絵にインスピレーションを感じて生まれたこの作品を見ずしてこの街を訪ねることは、もはや私には不可能だった。作品の主題は、フランス語のタイトルからもわかるように女性的で豊満なヒップである。
プティ原本:
Après le succès de Hair, Oh ! Calcutta ! était le must de New York, impossible de visiter la cité sans voir ce spectacle provocant inspiré du fameux tableau de Clovis Trouille dans lequel le sujet central est un opulent derrière féminin, d'où le titre en français.
Telperion訳:
「ヘアー」が成功した後、「オー・カルカッタ!」がニューヨークでは必見であり、この都市を訪れてこの挑発的なショーを見ずにすませることは不可能だった。ショーの着想を与えたのはクロヴィス・トルイユの有名な絵で、その主題は女性の豊満な尻であり、そこからフランス語の題名が生まれた。

プティによるミュージカル「オー・カルカッタ!」の紹介。

熱狂しているのはプティ自身でなく当時のニューヨーク

「もはや私には」に当たる語句は原文にない。プティの文は単にニューヨークが「オー・カルカッタ!」で沸き返っている様子を説明しているだけ。

プティが当初は「オー・カルカッタ!」を見ようとしていなかったことはこの後分かる。しかしそれについて書く前に、上記引用についてもう一つ書いておく。

「オー・カルカッタ!」の着想を生んだクロヴィス・トルイユの絵

主題から題名が生まれた

d'oùは「以上のことから」。d'oùの前に書かれていることから、d'oùの後に書かれていることが結果として生じる。この場合、起因と結果は次のとおり。

起因
le sujet central est un opulent derrière féminin (中心的な主題は女性の豊満な尻である)
生まれたもの
le titre en français (フランス語の題名)

題名から主題が導き出されるのではない。

絵の題は「オー・カルカッタ!カルカッタ!」

『密なる時』出版の2006年当時は違ったかも知れないが、現在はトルイユの絵についてインターネット上でいろいろ読める。それによると、この絵の題名は「Oh! Calcutta! Culcutta!」。Calcuttaがフランス語の"Quel cul t'as"(何というお尻をしているの)に似た発音なのが題名の由来。

絵を見れば主題は一目瞭然。そして、フランス語に親しんでいる人なら、「だからカルカッタという名なのか」と納得することだろう。しかし先に題名を読んだ場合、お尻の絵だと予想できる人は多分少ない。

プティはヌレエフに言われて観劇を決めた

ここで取り上げるのは上の少し後に書かれた文。本来は別記事にするべきだが、上の時点でプティが観劇を決めていなかったことを示す文なので、同じ記事で取り上げる。

『密なる時』P.66:
ヌレエフからは電話で「必ず観て」と言われ、席を探すのには苦労したが、
プティ原本:
Noureev me téléphone, « you can't miss that** », et me voilà parti à la recherche de la place introuvable,
** « Tu ne peux pas manquer ça. »
Telperion訳:
ヌレエフが「見逃すなんて無理(英語)」と電話してきて、私は見つからない席を探し始め、

"A(人称代名詞の直接目的語) voilà B(属詞)"は「Aが今Bとなった」というような意味。新倉真由美が訳さなかった"me voilà parti"は、「私が今まさに始めた」となる。新倉真由美の書き方だと、ヌレエフの電話の前からプティは観劇する気満々だったように見えるが、プティが「オー・カルカッタ!」のチケット探しを始めたのは、ヌレエフに勧められた後だった。

プティが観劇後に危ない目にあった後で、ヌレエフに八つ当たりしたくなったと私は疑っている。ヌレエフの勧めで初めて観劇を決心したということも、「君が勧めなければあんな目に合わずにすんだ」と八つ当たりしたい理由になったかも知れない。

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2015/2/24
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プティはタクシーに乗らずに人が少ない道を歩いた

『密なる時』P.66-67:
この滑稽なフェスティバルに参加した後、私は劇場の出口で群衆に急き立てられながらタクシーを探した。劇場の前にはあまりタクシーが来なかったが、チップを弾んで一番時流に乗った話題の場所に連れて行ってもらった。
プティ原本:
Après avoir assisté à ces festivités burlesques, à la sortie le public se bousculait pour obtenir la faveur d'un des rares taxis qui se trouvaient devant le théâtre en leur promettant un bon pourboire s'ils acceptaient de les conduire dans un lieu plus civilisé.
Telperion訳:
これらのこっけいなお祭りを見物した後、出口で観客は、劇場の前にいるごく少ないタクシーのうち一台の好意を得ようと押し合いへし合いし、もっと文明の発達した場所に連れていくことに同意するならチップをはずむと約束した。

プティがヌレエフの勧めで「オー・カルカッタ!」のオフ・ブロードウェイ上演を見た後のこと。

タクシーに乗ろうとしたのは観客

この文の主語は"le public"(観客)であり、タクシーに乗るために押し合いへし合いした(se bousculait)のも、タクシーにチップを約束した(en leur promettant)のも観客。この文でプティを指す代名詞は一切使われていない。後で書くとおり、プティはタクシーに乗ることを早々にあきらめた。

劇場は文明的な場所にない

観客たちはチップを約束するとき、「もしもっと文化の発達した場所に自分たちを連れて行くことに同意するなら」(s'ils acceptaient de les conduire dans un lieu plus civilisé)と条件を付けている。"plus civilisé"は定冠詞leが付いていないので、最上級「最も文明の発達した」でなく比較級「もっと文明の発達した」。観客たちは一番時流に乗った場所に行きたいのではない、現在いる場所より流行に近い場所で充分なのだ。

プティが来ている劇場は、タクシーがなければ帰れないし、そのタクシーも少ない。交通の便の悪いところにあると分かる。よその場所に行くのを「もっと文明の発達した場所に」と表現していることも、劇場のある場所の物寂しさを表している。

ヌレエフの観劇推薦がもとでプティは危険な場所に来た

引用文のすぐ後で、段落を変えてプティの行動が書かれる。それによると、プティは徒歩でホテルに帰ろうとするが、治安の悪い場所に迷い込み、ごろつきの集団に襲われる。しかし幸運にも大事にはならずにホテルに帰れた。その後でプティはヌレエフに電話して、「かくも素晴らしい見世物を推薦してくれたことのお礼を述べた」(原文は"en le remerciant de m'avoir conseillé un si charmant spectacle")。

難を逃れた直後というタイミング、そしてプティにとっては「オー・カルカッタ!」よりその後の災難のほうが印象に残っているらしいことを考えると、プティのお礼には、「いい劇を教えてくれてありがとう」と同時に「君の勧めに従ったせいでひどい目にあった」という嫌味がこもっているように見える。

プティが劇場から徒歩で帰る途中で災難に遭ったなら、直後のプティが「ヌレエフの勧めがなければあんなへんぴな場所に行くこともなかった」と八つ当たりしたくなったとしても、心情的に分からなくもない。一方、新倉本ではプティは「一番時流に乗った話題の場所」からの帰りに災難にあったので、そこを歩いたのはまったくヌレエフのせいではない。プティのお礼の電話は文字通りの感謝の表れか、あるいはヌレエフへの筋違いな恨み言ということになる。

ヌレエフの室内装飾に対する態度

『密なる時』P.47:
でも実際、彼は死の直前まであらゆる装飾品に囲まれていた。彼が好んでいた時代物の家具、古いビロードでできた壁紙、スペイン・コルドバの皮製タペストリー、絵画や彫刻の数々、それらのすべては著名な装飾家たちが徐々に彼の周囲に整えていったものだったのだ。しかし彼がそれを楽しめる時間はごくわずかだった。ソファーの上で物憂げなパシャ(注1)のポーズをとる姿に来客たちは驚き、アラーの神にかしずくイスラム教の人々のように彼の前で跪くのだった。
プティ原本:
En réalité pour lui tout était un décor et, jusqu'à la fin de sa vie, les meubles haute époque, ceux qu'il préférait, les tentures de velours anciens, les tapisseries en cuir de Cordoue, les tableaux et les objets d'art, tout cela que de grands décorateurs organisèrent plus tard autour de lui ne l'amusait qu'un moment, le temps de prendre sur un canapé une pose de pacha alangui, à la stupeur de ses visiteurs qui se seraient agenouillés devant lui comme les musulmans devant Allah.
Telperion訳:
実際には、彼にとってすべては舞台装置であり、人生が終わるまで、好んだ古い時代の家具、古いビロードの壁掛け、コルドバの革のタペストリー、絵や美術品、どれも一流のインテリア・デザイナーたちが後に彼の周りに並べたものであるこれらの品々を彼が楽しんだのはほんの一瞬であり、ソファの上で生気のないパシャの姿勢を取る時間のことだった。アラーの前のイスラム教徒のごとく彼の前にひざまずいたであろう客たちは、そのことに仰天させられた。

パシャのポーズを取る時間

第1文は"En réalité pour lui tout était un décor"であり、その後にet(そして)を挟んで、文末までの長い文"jusqu'à (中略) Allah."が続く。第2文の主語は"les meubles haute époque, (中略) autour de lui"で、ヌレエフが所有する室内装飾品の列挙。述語と目的語は"ne l'amusait qu'un moment,"(彼を一瞬しか楽しませなかった)。

"le temps de prendre sur un canapé une pose de pacha alangui"(ソファの上で生気を失ったパシャのポーズを取る時間)は名詞句であり、文ではない。これは直前の"un moment"(一瞬)の言い換え。ヌレエフがぜいたくな品々にたちまち飽きてしまうことを、プティが想像したパシャの倦怠になぞらえている。ヌレエフが実際にパシャのポーズを取ったわけではないだろう。そもそも、はたから見ていてパシャのポーズだと分かる具体的な身体的姿勢が思い当たらない。

客たちの反応

「パシャのポーズを取る時間」に続く"à la stupeur de ses visiteurs"(彼の訪問客たちが驚いたことに)は、その前の文全体を修飾する。つまり、客たちが驚いたのは、ヌレエフが豪華な調度品に囲まれながら興味のなさそうな態度だったから。

"ses visiteurs"(彼の訪問客たち)を修飾する関係節"qui se seraient agenouillés devant lui comme les musulmans devant Allah"(アラーの前のイスラム教徒のごとく彼の前にひざまずいたであろう)の述語の時制は条件法過去。条件法が表すものは、緩和した語調、確実でないこと、事実と異なる仮定などさまざまだが、いずれにしても事実を断定するための時制ではない。この場合は、ヌレエフの崇拝者たちの熱狂ぶりを表現するためにプティが適当に想像した比喩だろうと私は思う。筆者は違うが、フォンテーンが本心を明かさないことを「オレンジ色や藤色を傷つけるのを恐れ、ピンクがお気に入りの色だと明かさない」とたとえた文が条件法現在だったのと同じことに見える。

彼にとってすべてがdécor

第1文"En réalité pour lui tout était un décor"は「実際には彼にとってすべてがdécorだった」という、décorの解釈以外はごく単純な文。バレエ関係者にとってdécorと言えば舞台装置だろうから、私はそう訳しておいた。この第1文は「どんな豪華な装飾品も彼は少しの間しか楽しめなかった」という第2文とet(そして)でつながれているので、第2文と同様の意味と思われる。だからdécorは「背景、それ自体を鑑賞するためのものではない」という意味合いで使われているというのが私の意見。

和解後は遠慮がちになったヌレエフ

『密なる時』P.81-82:
私たちは深い友情で結ばれていた上に猜疑心も共有していたので、そのことが我々に戦場に向かう馬にひらりとまたがることをためらわせていた。彼は時間の大半を和解に費やすことを好んでいたが、私は時々脱線し、その小康状態を利用して見当違いな挑発を試みようとしたりした。
プティ原本:
un profond lien d'amitié ainsi qu'une méfiance qui nous était commune le faisaient hésiter à sauter sur son cheval de bataille. La plupart du temps il préférait être conciliant, et souvent c'est moi qui déraillais et profitais de l'accalmie pour, à tort, le provoquer.
Telperion訳:
友情の深い絆、そして我々に共通した猜疑心は、彼が軍馬に飛び乗るのをためらわせた。大体において彼は妥協する調子のほうを好み、脱線して凪を利用し、不当に彼を挑発したのは、多くは私の方だ。

相手をやり込めるのが好きなヌレエフが、「ノートルダム・ド・パリ」事件での決裂を経て和解した後のプティにはそうでもなかったという説明。

軍馬に乗るのをためらったのはヌレエフだけ

第1文は大ざっぱに言うと「我々の絆と猜疑心は軍馬にとび乗るのをためらわせた」という使役文。使役文の目的語、つまりとび乗るのをためらった人物は、使役動詞 faisaientの前にある代名詞le(彼)、つまりヌレエフ1人。「我々にためらわせる」ならこのleはnousでなければならない。

衝突が先立たない妥協

新倉真由美は「時間の大半を和解に費やすことを好んでいた」と書いているが、原文のヌレエフが好んだのは" être conciliant"(妥協的である、協調性がある)。和解するにはまず相手と衝突する必要があるが、妥協や強調には相手との衝突は要らない。ヌレエフは恐らく、和解が必要になる局面を最初から避けていたのだろう。

挑発したのがプティという強調

原文最後の文は"C'est moi qui ~ (主語が欠けた文)"という形になっている。これは「文の動作を行うのは私である」と強調する構文。「挑発するのは私だ」と強調することで、対するヌレエフは挑発をためらっていたことを語っている。

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2014/9/28
第1項の説明を詳しくする
2015/2/24
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プロフィール

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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