伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2012.12.29
シャルロットとはチャップリン
2012.12.27
間違いとまでは言わないが分かりにくい個所
2012.12.25
プティの頭をよぎった感染への恐れ
2012.12.24
プティに無断で作品を踊ろうとしたヌレエフ
2012.12.23
フォンテーンを見舞わなかったプティ

シャルロットとはチャップリン

『ヌレエフ』P.264:
シャルロットやテックス・アヴリーの映画
Meyer-Stabley原本:
des films de Charlot, de ceux de Tex Avery
Telperion訳:
チャップリンの映画、テックス・アヴェリーの映画

ヌレエフ振付「シンデレラ」に導入された現代的要素の一例として、エリザベット・プラテルが挙げたもの。

Charlotは男性名で、読みはシャルロ。私が愛用している『プログレッシブ仏和辞典第2版』(2008年発行)には、Charlotはチャップリンを指すことが載っている。どの仏和辞書にも載っているはずとは言い切れないが、インターネットの発達した今、Charlotの正体を突き止めるのはそう難しくない。『ヌレエフ』の発行は2010年なのだから、その前に下に挙げることのどれかはできただろうと思う。

  • フランス語wikipediaでCharlotを検索する。するとずばりCharlotの項が出て、チャーリー・チャップリンが演じた最も有名な登場人物(おなじみの山高帽やステッキの姿)だと説明されている。Charlotはフランス語でCharlesの愛称なのが由来だそう。英語ではこの役柄を"The Tramp(放浪者)"というらしい。
  • googleでCharlotを画像検索する。するとチャップリンの写真が山ほどヒットする。
  • 原文で「シャルロの映画」とあるので、フランスのアマゾンでDVD & Blu-rayカテゴリからCharlotを検索する。するとチャップリンの映画がたくさんヒットする。

ヌレエフ版「シンデレラ」にはハリウッドに憧れるシンデレラがチャップリンを真似るシーンがあるのは、このバレエを見れば誰でも思い当たると思う。しかしあのシーンを知っている人でも、「シャルロット」という表記からそれを連想するのは難しいと思う。

『密なる時』のシャルロット

『ヌレエフとの密なる時』P.96で、1992年にコミック・オペラで上演されたプティの作品として『私たちと踊るシャルロット』が触れられる。シャルロット役はルイジ・ボニーノ、つまり男性なので、もしやと思って調べてみた。プティの公式サイトは個別ページにリンクを貼りにくいが、この振付作品リストページに"1991 - CHARLOT DANSE AVEC NOUS"の項がある。そこをクリックすると詳細が見られるが、リストページですでに音楽としてC.Chaplinが挙げられている。やはりシャルロットとはチャップリンのこと。

もっとも、『密なる時』は2006年発行で、当時はプティ公式サイトがあったかも分からない。それに、『ヌレエフ』でチャップリンの言及が分からなくなるのに比べると、影響はごく少ない。

間違いとまでは言わないが分かりにくい個所

記事「ヌレエフがプティの了解を得ずに決めたこと」でも書いたのですが、私は今まで伝記『ヌレエフ』の原文と訳文の照合記事を書くとき、訳本がおかしいと確信できるものに絞るように心がけてきました。つまり、原文と明らかに違う訳文か、原文の意味を覆すような省略(一番目立つ例は「戦前は順調に暮らしていた父」や「お騒がせスターの称号 - カラスからヌレエフへ」でしょうか)です。かなり神経質な私が伝記『ヌレエフ』のひっかかる個所をいちいち書いていくと、よほどのヌレエフもしくは翻訳のマニアでないとどうでもいいような記事を量産しかねないので、自重しながら書いてきたつもりです。しかし最近、「間違いとまでは言わないけれど、これでは原文の意味が伝わらないのでは…?」と考え込んでしまう個所についても書きたくなってきました。

そういう個所を主題にしたのは「ヌレエフがプティの了解を得ずに決めたこと」が初めてです。しかし以前の記事にも少しばかり紛れ込んでいます。

  1. 記事「ennui(困ったこと)とennemi(敵)」の「振り返って彼の言葉を伝えた」

    彼とはラコットかヌレエフか、訳本を何度見ても私にはやっぱり分かりません。原本を読めば一回でヌレエフだと分かるのに。

  2. 記事「ヌレエフとトレイシーの共演は続いていない」の「その関係は死に至るまで続いた」

    死に至るのはヌレエフとロバート・トレイシーのどちらなのか。原文では"du danseur"(ダンサーの)、つまりヌレエフとしっかり書いてあります。もっとも、読み進めるとトレイシーがヌレエフの葬儀に出席したと書いてあるので、この省略は実際には問題になりませんが。

無名の目撃者の証言がミック・ジャガーの発言に化けた「第三者の感想がミック・ジャガー本人の告白に化ける」と異なり、ちょっと舌足らずなだけだとは思います。しかし私はノンフィクションを読むときは「いつ、誰が、何を」といったことは特に気にしながら読みたくなります。そこが見るからに不明だったり、誤解を招く可能性がかなり高かったりするのは、どうも放っておけない気分です。日本語では主語と目的語をフランス語より区別しづらい、というような言語自体の性質なら仕方ないのですが、対応する訳語をちょっと追加するだけで防げることですから。

ただ、どうやってそういう誤解を招く個所を取り上げるかは、いまだに迷っています。いくら問題だとは思っても、明らかな誤訳や改変と並べるのは、やはりためらいます。厳密には原文の省略は誤訳の一種かも知れませんが、原文省略自体は邦訳出版ではありふれたことらしいので、出版界の慣習すべてを弾劾するのは私の手に余ります。いくら賛同したくない慣習だとしても。

今のところ、「分かりにくい個所」みたいなカテゴリを作ろうかと思っています。そこに書くのは『ヌレエフ』のものだけで、合計が少ない『密なる時』記事は分けなくても構わないでしょうが。タグでもいいかも知れません。まだはっきり決めたわけではないので、しばらくの間は記事の分類が不安定になるかも知れません。

プティの頭をよぎった感染への恐れ

『密なる時』P.92-93:
なんとも寂しい瞬間だった。なぜなら私たちは、この親愛の情に満ちた抱擁がおそらく最後になってしまうことを見抜いていたからだ。私は心の中で問いたださずにはいられなかった。どうしてエイズになんか感染してしまったのだ? 精液、血液、注射、それとも歯医者か? 床屋のハサミでないともいえない。いや、もしかしたら唾液かもしれない。もうそんなことはどうでもよいのだ。
プティ原本:
A ce même instant de tritesse, car nous devinions que cette fraternelle accolade était probablement la dernière, je n'ai pas pu empêcher mon esprit de se poser la question « ça s'attrape comment le sida ? ». Le sperme, le sang, les seringues, peut-être chez le dentiste, pourquoi pas avec les ciseaux du coiffeur, et la salive ? Peu importe,
Telperion訳:
この兄弟のような抱擁は恐らく最後になるだろう、そう私たちが察したための悲しみと同じこの瞬間に、私の頭脳がこう問いかけるのを私は阻むことができなかった。「いったいエイズはどのように伝染するのか」。精液、血液、歯医者か何かの注射器、ことによると理髪師のはさみ、そして唾液は?それがどうした、

プティが晩年のヌレエフと別れ際にロシア風に抱擁と口づけをかわしたとき。

問題なのはヌレエフへの感染経路ではない

プティの頭に浮かんだ疑問« ça s'attrape comment le sida ? »には、ヌレエフを指す代名詞などの語句がない。これはヌレエフ個人についてではなく、一般論としてのHIV伝染方法を問う文。

ヌレエフへの感染経路として歯医者やハサミを疑う不自然さ

考えてみれば、ただでさえエイズは知られ始めた当初、同性愛者間の性交渉でうつる病気と思われていた。しかもヌレエフは実際にそういう性交渉をひっきりなしにしていた。そのヌレエフがエイズになった理由として、注射器やハサミを本気で候補に挙げる人間は、当時どころか今も果たして存在するのだろうか。なのに新倉真由美のプティは、エイズになった理由を心の中でヌレエフに問いただしたというのだ。

ヌレエフの私生活に立ち入らないスタンスの伝記作者なら、「どういう経路でHIV陽性になったのかは分からない」という書き方をするかも知れない。しかしプティはヌレエフの性生活をタブー視せずに書いている。今さら感染経路に心当たりがないふりをするとは思えない。

プティがHIV伝染経路について考えた理由の推測

なぜプティはHIV伝染経路を考えたのか?プティとヌレエフの間の情愛や感傷などを考慮せず、「HIV陽性患者と口づけをかわす瞬間、さまざまなHIV感染経路を思い浮かべた」と考えてみると、ある想像が浮かぶのではないかと思う。その想像の補強となりそうなことを原文から拾い出してみる。

  1. その疑問が浮かんだのは、最後のあいさつになるという推測ゆえの悲しみと「この同じ瞬間」(ce même instant)だということをプティは強調している。
  2. 疑問を呈したのは"mon(私の) esprit"。espritを仏和辞書で引くと、「精神、心」と載っているが、「知性」や「才気」という訳語もある。感動や情愛よりは、知性や頭脳を司る部分らしい。
  3. 問いかけてくる自身のespritを「私は阻むことができなかった」(je n'ai pas pu empêcher)という言い方。
  4. プティはさまざまな感染経路の可能性を挙げた後、「どうでもよい」(Peu importe)と書いてから、この口づけがいかに価値あるものかを力説する。「どうでもよい」と書かねばならないのは、感染経路について考えると口づけの価値が下がるからとは考えられないだろうか。

ヌレエフと口づけを交わした瞬間に思わず「エイズは唾液からもうつるのか?」と考えてしまったプティは、非常な自己嫌悪を感じただろう。そしてしっかりヌレエフを抱きしめたのではないだろうか。大変悲痛で、大変胸を打つ告白と思う。

プティに無断で作品を踊ろうとしたヌレエフ

『密なる時』P.74:
僕はパリでデュウシュカ(マカロワ)と踊るから」
ヌレエフがこう言っていたことは、ニューヨークでヌレエフの相手役のエスメラルダを演じたマカロワから教えてもらった。彼女はパリ・オペラ座国立劇場の芸術監督に就任したヌレエフにより、ガルニエ・オペラ座に招待されていた。大変ご立派なことに、彼は私の意見などまったく聞くこともなく何もかも決定していたが、私は了承しなかった。
プティ原本:
I will dance it in Paris with you Douchka* .» C'est en ces termes que j'appris par Makarova, l'Esmeralda de Noureev à New York, qu'elle était invitée à l'Opéra Garnier par le monstre alors directeur de la danse de notre théâtre national. C'est bien beau de tout décider sans l'avis de l'auteur, mais voilà, l'auteur n'était pas d'accord.
* Je le danserai à Paris avec toi, Douchka. »
Telperion訳:
パリで君とこれを踊るから、ドゥーシュカ(英語)」。ニューヨークでヌレエフのエスメラルダだったマカロワから、彼女が当時我々の国立劇場のバレエ監督だった怪物からオペラ座のガルニエ宮に招待されていることを教わったのは、この言い方でだった。作者の意見を聞かずにすべて決定するとは大変結構なことだが、そういうわけで作者は賛成しなかった。

「ノートルダム・ド・パリ」ニューヨーク公演の稽古でぎくしゃくしているプティとヌレエフ。

プティが注目したのはヌレエフの言い方

プティの最初の叙述文は強調構文"C'est A que B"(BなのはAである)を使っている。強調されるのはA部分。

Aに当たる語句
en ces termes"(これらの言い回しで)
Bに当たる語句
j'appris par Makarova, l'Esmeralda de Noureev à New York, qu'elle était invitée à l'Opéra Garnier par le monstre alors directeur de la danse de notre théâtre national. (ニューヨークでヌレエフのエスメラルダだったマカロワから、彼女が当時我々の国立劇場のバレエ監督だった怪物からオペラ座のガルニエ宮に招待されていることを教わった)

プティは「この言い方で」を強調することで、マカロワがヌレエフに招待されたこと自体より、どういう表現でそう言ったかが問題だとほのめかしている。

作者として腹を立てたプティ

引用部分の直前でヌレエフはプティを"he can fuck himself."(『密なる時』の訳は「もう勝手にしやがれ」)と罵倒している。プティの気に障った「この言い方」とは、そのことに見えるかも知れない。

しかし、ここで引用した部分でプティは自分を2回にわたってl'auteur(作者)と呼び、「作者の意見なしに決定する」のを非難する。プティが「自分が作者だ」と強調していることを念頭におきつつヌレエフの言葉を読み返すと、問題なのはその中のitだと分かる。

ヌレエフがitと呼んだのは、稽古中のカジモド役。これをヌレエフが踊るには、もちろん作者プティの了承が必要。なのにプティはまったく打診されないまま、いきなりマカロワからパリ公演を決定事項のように聞かされた。「作者の意見を聞かずにすべて決定するとは大変結構なことだ」と嫌味も言いたくなるだろう。

プティがマカロワ招待に怒ったかのような新倉真由美の文

新倉真由美の文では、プティはカジモド役に一切言及しないし、作者の地位も強調しない。だから、プティの不興を買ったのはヌレエフがマカロワを招待したことのように受け取れる。

しかしマカロワはプティのダンサーではない。これは私の当て推量だが、マカロワがニューヨークでエスメラルダを踊ったのも、ヌレエフと同じく、スター出演で興行を確実に成功させたいメトロポリタン・オペラのジェイン・ハーマンの意向だと思う。そのマカロワを誰がどこに招待しようと、プティが怒る理由はない。

ごく少数にしか分からない訳はやはり問題

これまで私は、「この訳文は明白に原文と違う」「これでは著者の意図が分かる読者がいるわけがない」という、読者全員が誤解するような訳文を取り上げることを心がけてきた。一方、この文の場合、勘の良い人ならプティの怒りを買ったのが「ノートルダム・ド・パリ」上演を独り決めしたことだと分かるかも知れない。だから、重要なキーワードl'auteurを消したとはいえ、誤訳とまで呼ぶのはためらわれるこの個所を取り上げるのには、いささか迷いがあった。しかし、原文を読めば明快なことが訳文ではぼやけていてよく分からないというのは、やはり気になる。ましてや『密なる時』の訳者あとがきにはこう書いてあるのだから。

言うまでもなく、翻訳は原作を忠実に訳すことが絶対条件です
著者の意図を確実に伝えた上で
2014/3/6
文法説明と小見出しを追加
2014/6/22
小見出しによる分け方を少し変更

フォンテーンを見舞わなかったプティ

『密なる時』P.90:
すべてが終わってしまった今となっては、白髪になっても変わることなく美しかった偉大な女性を訪ねた時の胸の熱くなるような思い出を、私自身も大切にしておきたいと思っているよ。その時の私は君ほどの強い思いがなかったので、飛行機に飛び乗ってパナマを後にして帰国の途についた。でもマーゴとの最後の思い出は、いつも心の中で私にぴったりと寄り添っているよ。
プティ原本:
Aujourd'hui que tout est fini, je pense que j'aurais aimé garder un souvenir chaleureux de la visite que j'aurais pu faire moi aussi à la grande dame aux cheveux blancs qui était toujours si belle. J'aurais dû sauter dans un de ces avions que je n'aime pas plus que toi et revenir de Panama avec un dernier souvenir de Margot à garder tout près de moi, sur mon cœur.
Telperion訳:
すべてが終わった今日、私は考える。いつもあれほど美しかった白い髪の偉大な女性のもとに、私にもできたであろう訪問を行い、その真心こもった思い出を持ち続けたかったのに。君に劣らず好きでないこの飛行機の一機に飛び乗り、パナマから戻るべきだったのに。私の身近に胸のつまる思いですべて残り続けるはずの、マーゴの最後の思い出をたずさえて。

現実には起こらなかった動作を指す条件法

原文には、時制が条件法過去である動詞が3つも出る。

1. aurais aimé
動詞の原形はaimer(~するのが好きである)
2. aurais pu
動詞の原形はpouvoir(~できる)
3. aurais dû
動詞の原形はdevoir(~するべきである)

条件法過去が示すものとしては、次のようなものがある。

  1. 過去の事実に反する仮定
  2. 過去に関する推測
  3. 過去から見た未来の出来事

1番目の用法は特に頻度が高い。なかでもdevoirの条件法過去は、仏和辞書に「~すべきだった(のに実際にはしなかった)」という意味が載っているほどメジャー。それに他の用法はこの文脈に合うようには見えない。

プティがフォンテーンを訪問するのも、病床のフォンテーンがいるパナマから飛行機で戻るのも、思い出を大事に持ち続けるのも、現実に起こったことではない。プティはヌレエフと異なりフォンテーンを訪問しなかったことへの悔恨をこめ、現実には存在しない大事な思い出を語っている。

別の場所にもある悔恨を込めた条件法過去

ちなみに、『ヌレエフ』P.158でヌレエフがフォンテーンについて語った「私は彼女と結婚すべきだったのかもしれない」は、『密なる時』が出典。原文はこの本のヌレエフの言葉としてはまれなフランス語 « J'aurais dû l'épouser »。やはりdevoirの条件法過去が使われている。

ヌレエフとプティの飛行機嫌い

"ces avions"(これらの飛行機)は続きの関係節"que je n'aime pas plus que toi"(私は君より好きではない)の文の目的語となっている。つまり、「私(プティ)はこれらの飛行機を君(ヌレエフ)より好きではない」。

『密なる時』P.85-86で飛行機の離陸に震え上がるヌレエフが書かれているとおり、ヌレエフは(旅行しまくったくせに)飛行機恐怖症だった。そのヌレエフより好きでない、というわけでプティも飛行機は嫌いだったらしい。

更新履歴

2014/6/19
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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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