伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2012.10.31
ヌレエフをワガノワに推薦した学校関係者の変化
2012.10.30
推し測っているのはヌレエフの容体でなく心中
2012.10.29
パリ・オペラ座との関係は監督辞任直後は冷え気味
2012.10.29
記事「スター達が着ていたアンティークからヒントを得て」の修正
2012.10.27
狂気を競ったヌレエフとエリザベット・クーパー

ヌレエフをワガノワに推薦した学校関係者の変化

『ヌレエフ』P.39:
ウーファオペラ劇場に招待されていたボリショイのダンサー、アリク・ビクチューリンは、モスクワ在住のレニングラード学校の関係者に若きタタール人のオーディションを依頼した。そして、アリク・ビクチューリンとクズミニチコフの二名がルドルフをキーロフの学校に推薦してくれた。
Meyer-Stabley原本:
Alik Biktchourine, danseur du Bolchoï et invité de l'Opéra d'Oufa, intervient auprès des officiels de l'école de Leningrad présents à Moscou pour qu'ils auditionnent à leur tour le jeune Tartare. Il s'agit de deux hommes, Batacheva et Koumichnikov, qui promettent alors de recommander Rudolf pour l'école du Kirov.
Telperion訳:
ボリショイのダンサーでウーファのオペラ座に招待されていたアリク・ビクチューリンは、モスクワに滞在しているレニングラードの学校関係者に、次は彼らが若きタタール人をオーディションするように口添えをした。関係者とはバタシェワとクミシニコフの2人で、そのときルドルフをキーロフの学校に推薦することを約束した。

ヌレエフがワガノワ・アカデミーに入学するべく奮闘していた時代のこと。

アリク・ビクチューリンが推薦?

ビクチューリンがヌレエフのオーディションを頼んだ相手は、"Il s'agit de ~"(それは~である)という構文を使って書かれているバタシェワとクミシニコフ。この2人がヌレエフを推薦する約束をしたことが、最後の関係節("qui promettent"から文末まで)で書かれている。バタシェワ(Batacheva)は当然ながらビクチューリン(Biktchourine)ではない。それに、上記のビクチューリン紹介文を読む限り、ビクチューリンはヌレエフをワガノワ・アカデミーに推薦できる立場にない(この紹介文は実は疑わしいが、それについては後述)。

モスクワ在住?

présentは単に「存在する」。実際のところ、レニングラードの学校関係者がモスクワに住んでいるとは考えにくい。この文の出来事は、モスクワでバレエのイベントが開催されたときのことなので、たまたまその時モスクワに来ていたのだろう。

Meyer-Stableyのミス - ビクチューリンの経歴

どうもビクチューリンがボリショイのダンサーだったことはないらしい。

  • 『Nureyev: The Life』(Julie Kavanagh著)ペーパーバックP.33とP.43によると、ビクチューリンはヌレエフを学校関係者に紹介したとき、ワガノワの生徒だった。そして卒業後は故郷ウーファに戻った。
  • ロシアのバレエ雑誌のバックナンバーの英語版ページによると、ビクチューリン(英語のスペルはAlik Bikchurin)は"Bashkir State Opera and Ballet Theater"のプリンシパルだった。

Meyer-Stableyのミス疑い - 推薦者の名前

2人の推薦者はワガノワの教師で、Kavanagh本や『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)に姓名が載っている。

推薦者の一人バタシェワは、名はNaimaだが、姓の表記は一定でない。Solway本ではBaltacheeva、Kavanagh本の本文ではBaltacheyeva、Kavanagh本の索引ではBaltacheva。マイナーな人名なので断言はしにくいが、バルタチェワのほうが実際の発音に近い名前かも知れない。

もう一方のクミシニコフは、Meyer-Stabley本と同じ発音の姓であり、問題ない。MeyerSolway本ではAbdurachman Kumisnikov、Kavanagh本ではAbdurahman Kumisnikovと表記されている。

2014/2/7
以前のページの消失に伴い、ビクチューリンの経歴が載ったページのリンクを変更

推し測っているのはヌレエフの容体でなく心中

『ヌレエフ』P.305:
ルドルフが今にも息絶えてしまうのか、もしくはタタール人の偉大な魂が彼を助けて希望をつなぎ、そのバイタリティが彼を蘇えらせるか判断ができなかった。
Meyer-Stabley原本:
il est incapable de dire si Rudolf est sur le point de renoncer « ou si sa grand âme tartare l'aidait véritablement à s'accrocher à l'espoir que sa vitalité lui serait finalement rendue. »
Telperion訳:
ルドルフはまさに諦めようとしているのか、「それともタタールの偉大な魂に真に助けられ、ついに生命力が戻ってくるという希望にしがみついているのか」、言えなかった。

ヌレエフが死去する1か月前に、イタリアの新聞Corriere della Seraに掲載するインタビューを取りに来たエットーレ・モー(Ettore Mo)の感想。

モーが考えた2つめの可能性

モーが「一体どちらなのだろうか」と考えたことのうち2つめは、«と»で囲まれた部分。この括弧で囲まれているのは、モーが書き上げた記事からの引用だからだろう。長いので、前半と後半に分けて考える。

前半
ou si sa grand âme tartare l'aidait véritablement à s'accrocher(それとも彼のタタールの偉大な魂が、彼がしがみつくのを本当に助けているのかどうか)
後半
à l'espoir que sa vitalité lui serait finalement rendue(彼の生命力がついに彼に戻されるという希望に)

"s'accrocher à ~"(~にしがみつく)という表現のうち、s'accrocherが前半に、à以降が後半にある。後半で述べているのは、前半でヌレエフがしがみつく対象。

後半にある"que sa vitalité lui serait finalement rendue"(彼の生命力がついに彼に戻される)は、直前にあるl'espoir(希望)の説明。

これらを再構成すると、「彼の生命力がついに彼に戻されるという希望に彼がしがみつくのを彼のタタールの偉大な魂が助けているかどうか」となる。回復するというのは、ヌレエフが持っているかも知れない希望であり、モーの考えではない。

モーが考えた1つめの可能性

"Rudolf est sur le point de renoncer"は「ルドルフがまさにあきらめようとしている」。新倉真由美は「あきらめる」を「息絶える」と同一視している。しかし私はそれが妥当とは思わない。

  1. モーが考える2つめの可能性は、「回復するという希望にしがみつく」。希望を抱きながら息絶えてしまうことは可能なので、2つの可能性は二者択一にならず、「どちらが正しいのか」と考える意味がない。
  2. 仏和辞書を見る限り、renoncerは死ぬという意味では使わないらしい。
2014/2/16
大幅に書き直し

パリ・オペラ座との関係は監督辞任直後は冷え気味

『ヌレエフ』P.294:
パリ・オペラ座バレエ団との摩擦はこれ以降徐々に緩和していった。ガルニエ宮にはパトリック・デュポンが戻り、前監督への報復や辛辣な批判もなくそのポストを引き継いだ。
Meyer-Stabley原本:
Le divorce avec l'Opéra de Paris est désormais consommé. Au Palais Garnier, Patrick Dupond revient et lui succède à la direction artistique, sans esprit de revanche, mais non sans acidité :
Telperion訳:
パリ・オペラ座との決裂はこれ以後遂行された。ガルニエ宮にはパトリック・デュポンが戻り、芸術監督の座を引き継いだ。復讐心はないが、辛辣さがないわけではない。

ヌレエフがパリ・オペラ座バレエの監督として契約を延長しないことが決まった後。

  1. consommerの意味は「消費する」「飲み食いする」「成し遂げる」などで、「緩和する」という意味は見当たらない。ちなみに、「和らげる、鎮める」に当たるフランス語はconsoler。
  2. "non sans acidité"は二重否定の表現であり、「辛辣さがないわけではない」。前の「復讐心がない」(sans esprit de revanche)と反する内容であることは、間にmais(しかし)が挟まっていることからもうかがえる。

記事「スター達が着ていたアンティークからヒントを得て」の修正

訳本『ヌレエフ』の数々の問題を列挙するとき、並べて書いている私の訳文が間違っていては、ブログの存在意義にかかわります。だから記事を投稿するときには注意しているのですが、それでも残念ながら、私自身も間違ってしまいます。自分の訳を修正する必要があると思ったときは、修正してからそのことを記事に追記していました(「抗議と遅れの因果関係」「ファリダの眼病はソ連当局の責任か」)。しかし今回「スター達が着ていたアンティークからヒントを得て」で行った修正は、説明が長くなるので、単独の記事で書くことにしました。

私の訳の問題

問題の個所を挙げます。

Meyer-Stabley原本:
les autres tenues qu'elle a fait exécuter par un ancien tailleur

私はこれを"autres A que B"(B以外のA)の構文と思い、「元テイラーに制作させた以外の衣装」と訳しました。しかし、この解釈には2つの奇妙な点があります。

  1. この衣装はシャーリー・ラッセルがデッサンしたものです。自分で考案したデザインを大ざっぱにスケッチしたのでしょう。衣服制作のプロではないシャーリー・ラッセルは、たとえ自分が考案したものでも、仕立てるのは誰かに発注したはずです。「自分がデッサンした」衣装と「元テイラーに制作させた」衣装は、同じものではないでしょうか。
  2. 辞書で"autres A que B"の例文を見ると、Bは名詞句であることが多いようです。一方、引用部分でqueに続く"elle a fait exécuter par un ancien tailleur"は、直接目的語を欠いた文です。直接目的語を欠いた文の前に来るqueは、先行詞が関係節の目的語であることを示す関係詞であることが多く、今回もそう解釈するほうが文法上の無理がありません。

該当記事の修正

論理的にも文法的にも問題がある訳を提案するわけにはいかないので、私の訳を次のように修正しました。直訳は「1920年代のアイドルの元テイラーに制作させた他の衣装をデッサンした」ですが、時間的にはデッサンのほうが制作発注より先でしょうから、訳文もその順序にしました。

修正前:
1920年代のアイドルの元テイラーに制作させた以外の衣装をデッサンした。
修正後:
他の衣装をデッサンし、1920年代のアイドルの元テイラーに制作させた。

また、"les autres tenues"を新倉真由美が「他の衣装」と訳したのは妥当なので、これに異を唱えた部分はすべて削除しました。「つまり『ヴァレンティノ』の衣装は、シャーリー・ラッセルが他人に制作させたものと自分で大まかに決めたものに二分される。」も、"autres A que B"の解釈違いがもとになっているので、削除しました。

構文解析が不十分だったために読む人を惑わせてしまったことをお詫びいたします。より突き詰めた読解を心がけていきたいです。

狂気を競ったヌレエフとエリザベット・クーパー

『ヌレエフ』P.208:
その狂気じみた仕打ちで、ピアニストは相手が自分より遥かに強いと悟ったのだった。
Meyer-Stabley原本:
Malgré son petit grain de folie, la pianiste avait trouvé un adversaire plus fort qu'elle.
Telperion訳:
自分自身が少し常軌を逸しているにもかかわらず、ピアニストは自分より強い競争相手に遭遇したのだった。

ピアニストのエリザベット・クーパーがヌレエフの八つ当たりでクローゼットに押し込まれたエピソードの締めの文。

解釈する上で明らかにするべき点

原文の直訳は、「彼/彼女の少しばかりの狂気にもかかわらず、ピアニストは自分より強い競争相手に出会ったのだった」。これを解釈する上で、いくつかの難しい点がある。

  1. 「少しばかりの狂気」があるのは、ヌレエフとクーパーのどちらか?
  2. 「~にもかかわらず」という前置詞malgréがなぜ使われているのか?
  3. 二人は何を競っての競争相手なのか?

第3点についてもう少し書く。ヌレエフがクーパーより肉体的にも社会的にも強いのは、クーパーがクローゼットに閉じ込められる前からあまりに明らか。閉じ込められて初めて相手の強さを思い知ることが、何か他にありそうな気がする。

第1点の答えがヌレエフの場合

「ヌレエフは少しばかり狂気じみているにもかかわらず」が「クーパーは自分より強い競争相手に会った」につながるには、「ヌレエフは少し狂気じみているのだから弱いはず」という前提が必要になる。しかしこの前提を満たす第3点の答え、つまり二人が何の強さを競っているのかが、私には思い浮かばない。狂気じみた人間は弱いというのは一般的なイメージではなく、肉体的には正常な人間よりはるかに強いというイメージの方が一般的なように思う。

第1点の答えがクーパーの場合

「クーパーは少しばかり狂気じみているにもかかわらず」が「クーパーは自分より強い競争相手に会った」につながるには、「クーパーは少し狂気じみているのだから強いはず」という前提が必要になる。そこで、クーパーとヌレエフが強さを競っているのは狂気の度合いだという推測が思いつく。「クーパーは少し常軌を逸しているが、ヌレエフはもっと常軌を逸していた」という解釈なら、第2点と第3点を無理なく説明できる。

この説の弱みは、ほんとうにクーパーが少し変なのかは、フランスの雑誌か何かを読まないと判定できないということ。しかし、原本の中にこの解釈と矛盾する点は見当たらない。

不都合な語句を消す新倉真由美

最初に挙げた3点を解決するために新倉真由美が取った手段は、malgréを「~のせいで」と読み替えることだった。これはmalgréの意味としてありえない。

「しかし」とか「にもかかわらず」とかいう逆接の言葉を消すのは、その言葉の前後にある語句の関係を真っ向から破壊する行為。新倉真由美は実にお気軽に「しかし」やその類語を消したり足したりするが、そのたびに文の意味が大きくねじ曲がる。短所として述べられたことが長所に化けたり、反論が賛同になったり。私自身、この記事で何度か「しかし」と書いているか、それを省略したり、「そして」や「だから」に変えたりしたら、どんなに読みにくい文になることか。だから私は新倉真由美の流儀を認めない。

更新履歴

2014/6/19
  • 第3点についての説明を前のほうに移す
  • 最後の小見出しの後を加筆
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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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