伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.12.22
2つのスイートがあるのは東側では?
2014.11.12
ステート・ルームを住居と呼ぶことの是非
2013.12.09
ダンサーが競馬騎手の体に憧れるとは
2013.09.20
ロシアの山を飛び越えたキーパーソン?
2013.07.31
ヌレエフの家とフィリッポの家の位置関係

2つのスイートがあるのは東側では?

前置き

以前、記事「ステート・ルームを住居と呼ぶことの是非」で次の文を引用したとき、「新倉訳には言いたいことがあるので、別記事に書ければそうします」と書きました。でも残念ながら「ボツ箱」カテゴリ。納得が行く記事を書けなくても、さんざん頭を絞った課題なので、書かないとすっきりしません。

取り上げる引用文

『バッキンガム』P.52:
西側の居住区域の一番奥には二間続きのスイートルームがある。
Meyer-Stabley原本:
Pour finir, deux suites en enfilade complètent les grands appartements de la façade ouest.
Telperion訳:
最後に、一連のスイート2部屋が西正面の威厳ある数々の間を補完する。

バッキンガム宮殿2階の最後の説明文。直前では東側のバルコニーの間について説明していた。そしてこの後は段落が代わり、宮殿3階の説明が始まる。

注 - 実は居住区域でない宮殿西側

最初に、宮殿2階の西正面にある、新倉本でいう「居住区域」、原文だと"les grands appartements"と呼ばれる区域について説明しておく。

新倉本P.38にある宮殿2階の見取り図を見ると、2階の西にあるのはステート・ルームと呼ばれる宮殿きっての豪華な客間の数々だと分かる。写真で見る限りでは客の応対専用で、とても「居住区域」と呼べる部屋ではない。でも、フランス語のappartementがステート・ルームを指すことは滅多になさそうなので(先ほどの記事を参照)、「居住区域」を誤訳扱いするのはやめておく。ここでは、「西側の居住区域」がステート・ルームの区域だと把握しておけば十分。

未説明のスイート2部屋が西側に入る余地はない

部屋の位置関係を見るために、新倉本の見取り図の東西部分を写したのが下の図。図のスケールは滅茶苦茶だが、部屋の名前と順番は合っている。東西南北の方角は私が追記。南北の部屋は今回取り上げないので省略した。

バッキンガム宮殿2階の東西

さて、原文を直訳すると、「最後に、連なった2つのスイートが西正面の大きなアパルトマンを補完する」といった形になる。「最後にスイートがアパルトマンを補完する」を「アパルトマンの一番奥にスイートがある」という意味だと捉えるのはおかしくない。しかし、見取り図と見比べると、2つのスイートルームが収まるべき「西側の居住区域の一番奥」が見当たらない。

  • 「~の間」「~の客間」と呼ばれる部屋のほとんどは、もう説明されている。どれも大きな一部屋であり、スイートではない。
  • 説明がない「衛兵室」と「控えの間」、そして見取り図に載っていない部屋では、「ステート・ルームを補完する」という表現に合わない。このスイートはステート・ルームに比べてあまり見劣りしない規模のはず。

東側にある未説明のスイート

それでは2つのスイートはどこにあるのか。ここで、引用文の直前で東側の中央にあるバルコニーの間を説明していたことを思い出す。そう、南北や西と違い、東は今までほとんど説明がなかった。そこで東側を見取り図で見ると、まだ説明していない部屋が2つある。「青と黄の続き部屋」と「象眼の続き部屋」。「続き部屋」、つまりスイート。それにかなり広そうなので、「西側のステート・ルームを補完する」という表現にあう。西のステートルーム、東の続き部屋が合わさることで、宮殿2階の豪華さが完全なものになると、Meyer-Stableyは言いたいのだろう。

「西側の一番奥」と「一続きのスイート」という現況との違い

「スイートは西でなく東のもの」という私の解釈には、問題点が一つある。バルコニーの間を挟んだ2つの続き部屋は、一続き(en enfilade)でないということ。「西側の奥にスイートはない」という問題を避けようとしたのに、「東側のスイートは隣接していない」という問題が出てきてしまった。だから、私の解釈のほうが妥当とは言いにくい。

本音を言えば、"en enfilade"はMeyer-Stableyのミスではないかと疑っている。でも「これは原著者の間違い」は自分の誤訳をもみ消せる過激な手段なので、気安くは使えない。今回はこの手を使えるほどの材料がそろっていない。

ステート・ルームを住居と呼ぶことの是非

バッキンガム宮殿の観光の見どころとしては衛兵交替が有名ですが、ステート・ルームもまた観光の目玉でしょう。王座の間、舞踏会の間、青の客間など、格式ある賓客を迎えるための広間の数々。インターネット上でも写真の数々を見ることができますが、その豪華さには目を奪われます。もちろん、Meyer-Stableyもステート・ルームの部屋は力を入れて説明しています。

このステート・ルーム、『バッキンガム宮殿の日常生活』でこんな呼ばれ方をしています。原文とともに並べます。2番目の新倉訳には言いたいことがありますが、ここでは本題でないので、別記事に書ければそうします。(2014/12/22: 記事「2つのスイートがあるのは東側では?」を記述)

『バッキンガム』P.49:
住居は宮殿の南側と西側を占め、
Meyer-Stabley原本:
Ces appartements (State Apartments) occupent les côtés sud et ouest du palais ;
『バッキンガム』P.52:
西側の居住区域の一番奥には二間続きのスイートルームがある。
Meyer-Stabley原本:
Pour finir, deux suites en enfilade complètent les grands appartements de la façade ouest.

どちらも宮殿2階の説明部分にあります。最初の文の「住居」、2番目の文の「西側の居住区域」、どれもステート・ルームを指すのは間違いありません。ステート・ルームは2階の西側にあります。

「住居」?「居住区域」?写真を見る限り、ステート・ルームは式や饗宴にはふさわしくても、居住どころか宿泊にすら向きません。なるほどバッキンガム宮殿は多くの人にとっての住居。でもそのなかで誰も寝泊りしない区画をわざわざ取り上げて住居と呼ぶのは、どうにも変です。

対応するフランス語appartementsは確かに住居を指す言葉

原文と見比べると、新倉真由美の「住居」や「居住区域」とかに相当するフランス語はappartementsだと分かります。『プログレッシブ仏和辞典第2版』でappartementを引くと、こうあります。

アパルトマン、マンション. (注)集合住宅内の1世帯用の住居を指し, 日本のアパートとは異なる. 建物全体はimmeubleという. ワンルームのものはstudioという.

集合住宅のうち、ある特定の住人に属する複数の部屋を指すということですね。ラルース仏語辞典の説明もだいたい同じです。

Partie d'un immeuble comportant plusieurs pièces qui forment un ensemble destiné à l'habitation.
建物の一部であり、居住を目的とした集まりとなる複数の部屋を含む部分。

フランス語の説明としては他に、フランス語wikipediaや辞書作成サイトwiktionary.orgものぞきました。でも、ステート・ルームにふさわしそうな説明はなさそうです。

いくらステート・ルームが住居でなくても、こうもappartementの意味として居住区画ばかり出てくるようでは、住居と訳すなとは言えません。たとえ原文が不適切だったとしても、それは原著者の責任。訳者は原著者の尻拭いをするのが当然だとは私は思いません。

ステート・ルームをappartementsと呼ぶ謎

そもそもMeyer-Stableyがステート・ルームをappartementsと呼ばなければ、こんなに頭を悩ませなかったでしょう。でも、ステート・ルームをappartementsと呼ぶのはMeyer-Stableyの独断ではなく、フランス語の慣例のようです。

英国王室コレクションサイトでフランス語のバッキンガム宮殿観光案内ページを読むと、"Appartements d'État (The State Rooms)"とあります。英語のRoomsに相当する仏語がAppartementsです。googleで検索すると、こういう表記は他にもたくさんあります。それらが信頼できるかは不明ですが、英国王室コレクションサイトで使われている訳語には重みを感じざるを得ません。

集合住宅でもないステート・ルームがappartementsと呼ばれるのは、英語ではああいう部屋をapartmentと呼ぶことと関係があるかも知れません。Merriam-Webster英語辞書でapartmentを引くと、集合住宅の区画の他に、ステート・ルームにふさわしい意味も載っています。

a large and impressive room or set of rooms
大きく印象的な一部屋、または部屋の集まり

英語でapartmentと呼ばれる部屋をフランス語で呼ぶとき、apartmentと同じ意味のフランス語を探すよりは、apartmentに似たスペルの単語を流用するほうが、フランス人にとっては簡便だったのかも知れません。

辞書に頼ることの限界

私にとって一番望ましかったのは、仏語のappartementには英語のapartmentと同じく、ステート・ルームに合う意味があるということでした。それなら、その訳語を選ばなかった新倉真由美の不手際ということですみますから。

あるいは、Meyer-Stableyがステート・ルームをappartementsと呼んだのが不適切だったという結末。むやみに原著者の間違いを疑うべきではありませんが、Meyer-Stableyが間違えた事例がいくつもあるのは確かで、特に動揺せずに受け止められることです。

なのにふたを開けたら、仏語辞典とフランス語の定訳に納得がいかないという、とんでもない事態になってしまいました。私は辞書の定義を最大限尊重するようにしていますが、生きている言語としてのフランス語は、辞書の枠組みにおさまらないこともやはりあるようです。

それとも「ステート・ルームが居住目的なものか」という私の考えを疑うべきなのでしょうか。今回のステート・ルームの一件では、自分の立ち位置をいろいろ考えることになり、なかなか刺激的な体験となりました。

ダンサーが競馬騎手の体に憧れるとは

一般常識に照らし合わせると訳文が奇妙に見える場合、私は原文をチェックするようにしています。今回取り上げるのは、『ヌレエフとの密なる時』訳本には数少ないそういう個所。もっとも、ヌレエフやバレエに関する予備知識と照らし合わせると奇妙に見える訳文は、この本にはいくつもありますが。

『密なる時』P.98:
常に体重に対して強迫観念を持っており、競馬騎手の体型を理想としていた彼
プティ原本:
Lui qui avait la hantise de son poids et courait derrière sa silhouette jockey
Telperion訳:
自分の体重に対する強迫観念があり、シルエットの競馬騎手の後ろを走っていた彼

何に違和感があるのか

『三日月クラシック』のミナモトさんが取り上げていなかったら、私は見逃したでしょう。ミナモトさんの突っ込みは次の通り。

男のバレエダンサーがんなもんを目指したら、病気の前に栄養失調で死ねると思います。誇張した表現なんだろうけど、気になったので一応突っ込んでおく。

言われてみれば、騎手は男の低身長が長所となる数少ない職業だというのは、私でも聞いたことがあります。騎手の体は軽さが重要ですから。一方、男性ダンサーは女性ダンサーを持ち上げるのがつきもので、筋肉を美しく付けることが重要。一般的にダンサーのほうが騎手より長身でがっしりした体だろうと想像できます。なのにダンサーが競馬騎手を理想にするとは不思議です。

原文を読んで考えたあれこれ

原文でヌレエフが追っているらしいのは"sa silhouette jockey"。直訳は「シルエットの競馬騎手」というところでしょうか。ただ、「彼の」にあたる所有代名詞saは女性名詞に付くものなので、プティにとっての主な名詞は男性名詞jockeyでなく女性名詞silhouetteであり、「競馬騎手のシルエット」というつもりなのかも知れません。フランス語は名詞にかかる形容詞が場合によって名詞の前にも後にも付きます。私の語学力では、前後どちらが他方を修飾しているのか断定できません。

jockeyは仏和辞書で引いてもやはり「競馬騎手」ですが、体重に関係する複合語があります。ラルース仏語辞書から引用します。フランスでも競馬騎手は軽いという認識なのですね。

Régime jockey
Familier. jeûne forcé ou régime alimentaire amaigrissant.
俗語。体重を減らす強制絶食または食餌療法。(Telperion訳)

おおもとのプティの文では「シルエットの競馬騎手」をどう解釈するのかが肝心ですが、残念ながら私の手に負えません。しかし、プティが体重の強迫観念に触れていることや、体重が軽い騎手を引き合いに出していることから、ヌレエフが体重を軽くしたがっていたのは間違いなさそうに思えます。ただし、プティが言う競馬騎手には「彼の」とか「シルエット」とかが付いており、一般的な競馬騎手を指してはいないのでしょう。もっと軽い理想の体重の持ち主を漠然と指す言葉として、"sa silhouette jockey"という言葉を選んだのではないかと思います。とはいえ、もっと適切な解釈があるのかも知れません。

新倉真由美の対処法

新倉真由美はプティの表現「彼のシルエットの競馬騎手の後ろを走る」から「彼のシルエットの」を省きました。このため、ヌレエフが理想としたのが本物の競馬騎手のように見えます。これが原文と最も違う点ですね。後は、前半が体重の話なのに後半がなぜか体型の話になったことでしょうか。

新倉真由美がプティの表現をそのままにせず、自分に分かりやすいだろう表現に言い換えることに、私は本来好意的ではありません(代表例は「B氏への賛辞にプティがうんざりしなくなった日」)。しかし、今回の部分はプティの表現がとにかく難解だし、新倉真由美による言い換えの程度も少ない。それに、私の推測と新倉真由美の解釈は多分あまり違いません。「もっと原文を緻密に見ればいいのに」より「これだからプティの文は怖い」という感想が先に出ます。

ロシアの山を飛び越えたキーパーソン?

『光と影』P.99にある、「ヌレエフは亡命時にフランス人の検査官に投げ飛ばされた」というくだりが、私にはどうにも無意味な動作に思えたということは、原本を買う前から「三日月クラシック」にコメントしたとおりです。その後「投げ飛ばされ」「放り投げられ」が誤訳だということは分かりました。しかし、やはりヌレエフが宙を飛んだように読める「キーパーソンは見事にロシアの山を飛び越え」の部分は、今でも訳せません。それでも構文解析はできるし、新倉真由美訳が原文から外れていることも確信できるので、今書けることを書いておくことにします。

『ヌレエフ』P.99:
瞬時にして彼にうまく抱えられたキーパーソンは見事にロシアの山を飛び越え、
Meyer-Stabley原本:
en un éclair, une « clé » bien placée fait voltiger la montagne russe.
Telperion訳:
一瞬のうちに、型によくはまった「固め」がジェットコースターをひらひらと飛び回らせた。

キーパーソン

原文は« clé »。cléの一番普通の意味は「鍵」で、他の言葉と結びついて「キー~」という意味にもなります。これ単独で「キーパーソン」という意味があるかは疑問ですが。私の『プログレッシブ仏和辞典第2版』には後のほうに「(レスリング、柔道の)ロック、固め」という意味が載っています。問題のcléは格闘場面の描写で使われているのだから、この意味だろうと私は思います。

どの仏和辞書にもあるはずという確信はないので、念のためラルース仏語辞典のcléの項から引用します。

Sports Dans divers sports de combat (judo, lutte, etc.), prise effectuée avec un bras, tendant à immobiliser l'adversaire.
スポーツ さまざまな格闘技(柔道、レスリングなど)において、片腕を用いて行い、対戦相手を動けなくすることを目的とする技。(Telperion訳)

うまく抱えられた

原文は"bien placée"で、その直訳は「うまく置かれた」。仏和辞書にある動詞placerの意味は「置く、位置づける、(地位や職に)就かせる、投資する」など。私が上に書いた「型によくはまった」は、仏和辞書から感じる「あるべき場所に置く」というようなニュアンス、そして目的語が格闘技であることを踏まえて連想した概念です。しかし、辞書から良さそうな意味を探すというより、cléに合わせて発案したのに近い言葉なので、残念ながら確信は持てません。辞書や文法よりも自分の連想を優先する訳文を何度もブログのネタにしているとあっては、なおさらです。

見事にロシアの山を飛び越え

原文は"fait voltiger la montagne russe"で、上にある「ジェットコースターをひらひらと飛び回らせた」はその直訳。使役動詞faireを使った使役文で、主語であるcléが目的語"la montagne russe"にvoltigerという動作をさせたということです。文字通りには「ロシアの山」である"la montagne russe"がジェットコースターという意味なのは、「三日月クラシック」の原文比較2でも書きました。

動詞voltigerが曲者で、私がこの文を正しく訳すのを無理そうだと思うに至った最大の原因です。仏和辞書にある意味は「飛び回る、ひらひら舞う、はためく」。ラルース仏語辞書を引いても、軽やかに動き回る様子を指すとしか読めません。ジェットコースターは詰め寄るKGBの比喩としてありえそうですが、KGBが固め技で応戦される様子がなぜvoltigerなんて言われるのでしょう。

結局どういう意味なのか

私がこの文を訳せと言われたら、「無理です、省略させてください」と音を上げると思います。しかしどうしても日本語にしなければならないなら、「巧みな固め技が相手のスピードを削いだ」といった意味にするでしょう。「ジェットコースターがひらひら飛び回る」はわけが分からない表現ですが、少なくともジェットコースターがジェットコースターらしさを失ったとは言えそうなので。

cléが「キーパーソン」と「固め技」のどちらなのかということなら、私には後者が正しいと断定まではできません。しかし原文では、voltigerという動作をするのは明白にジェットコースターであり、cléではありません。新倉真由美の訳だと、voltigerがcléの動作のような書き方です。動作主を変えるのは、解釈や表現の違いではおさまらない原文逸脱でしょう。ただし、voltigerを「飛び越える」でなく「飛び越えられる」と解釈するなら、「ジェットコースターに飛び越えられさせる→ジェットコースターを飛び越える」ということで、新倉真由美訳につながります。しかし、いくらなんでもvoltigerの辞書上の意味から離れ過ぎていて、私にはその解釈を採用できません。

ヌレエフの家とフィリッポの家の位置関係

『ヌレエフ』P.205:
一九八〇年代以降ルドルフは、この島の一方に邸宅を持ち、もう一方には劇作家エドワルド・ド・フィリッポのヴィラが建てられていた。
Meyer-Stabley原本:
À partir des années 1980, Rudolf possédera une maison sur cette île, l'un des deux rochers du golfe de Naples qui font face à Positano (sur l'autre se dresse la villa du dramaturge Eduardo De Filippo).
Telperion訳:
1980年代から、ルドルフはこの島に家を持つことになる。島はポジターノに面したナポリ湾の2つの岩礁の1つである(もう1つには劇作家エドゥアルド・デ・フィリッポの別荘がそびえていた)。

リ・ガリ諸島の家について。ヌレエフがリ・ガリのどの区域を買ったかは調べにくいし、綿密に調べるべき重要事項でもないとは思う。しかし、記事「訳本が招くヌレエフの誤解(9) - 異様な趣味」で、ヌレエフは家が建つ島全体を買ったとMeyer-Stableyが示唆している可能性に触れたため、その仮説に反する訳本の記述も取り上げておきたい。

岩礁の意味

家が建つ場所である"cette île"(この島)の後に、"l'un des deux rochers du golfe de Naples"(ナポリ湾の2つの岩礁の1つ)が続く。1つめの名詞句の後にそれを説明する別の名詞句を並べるのはよくある用法。記事「ゴーリンスキーはヌレエフの亡命地でなくエージェント」や記事「訳本が招くヌレエフの誤解(7) - 批判の的」の第1項といった例がある。だからここでの「2つの岩礁の1つ」は、前に書かれた「この島」の言い換えだと見なすのが自然と思う。つまり、岩礁とは島全体のことであり、島の一部分ではない。新倉真由美は岩礁を島の一部分だと解釈しているが、この原文での「岩礁」に「この島の」という形容が明記されていないことは指摘しておく。

ヌレエフの家とフィリッポの家の距離

劇作家フィリッポのヴィラが建つ場所であるl'autre(もう1つ)とは、言うまでもなく2つの岩礁のもう1つ。ヌレエフの岩礁が1つの島なら、フィリッポの岩礁は別の島ということになる。実際、上陸する人間がほとんどいなさそうな小島を2人で分け合うよりは、別々の島に住むほうが、俗世間から離れて羽を伸ばすのにはちょうどいいのではなかろうか。

2人の所有するのが確かに別な島だという信頼に足る出典は見つけられていないので、この記事は保留中カテゴリに入れた。ただし、英語ウィキペディアのリ・ガリの項で、ヌレエフの島はGallo Lungoとされている一方、フィリッポの島はIscaとされている。

新倉真由美が省いた部分

"du golfe de Naples qui font face à Positano"(ポジターノに面する、ナポリ湾の)は、deux rochers(2つの岩礁)を形容する部分。「ポジターノに面する」という関係詞の述語fontは三人称複数の活用形なので、直前のNaples(ナポリ)やgolfe(湾)でなく、さらに前の複数形であるrochersを指すことが分かる。もっとも、ナポリ湾にあってポジターノに面するという位置が存在しうるのか、私は疑問に思う。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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