伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.05.06
チャンスをつかんだのは仮定でなく事実
2013.08.26
イヨネスコはバレエ関係者でなく劇作家
2013.05.11
初日を踊るのは第一線で踊るより重い
2013.05.03
ダンサーだったのはヌレエフでなくケン・ラッセル
2013.03.17
ベジャールが昇進させたいのは主にエリック・ヴュ=アン

チャンスをつかんだのは仮定でなく事実

『ヌレエフ』P.89:
もし一度でもチャンスがあったら私は飛びついてつかんだでしょう。
Meyer-Stabley原本:
Si une occasion se présente, je la saisis au vol, c'est tout.
Telperion訳:
機会が生じたらすかさずつかみ取る、それだけです。

1991年6月17日のフィガロ紙のインタビューで「逃亡(亡命)する決心を前からしていたのか」という問いをヌレエフが否定し、「一人では決められなかったでしょうし、勇気もなかった」の後にこう続ける。

当時チャンスをつかんだヌレエフ

この条件文の動詞の時制は、条件節の動詞"se présente"(生じる)も、結果を述べる主文の動詞saisis(つかむ)も、直説法現在。つまり、この文は亡命当時のみならず、現在も成り立つ内容。ヌレエフが機会をとらえるのに敏感なのは当時も今も変わらないことを示している。

亡命当日、ヌレエフはソ連送還を言い渡され、クララ・サンにフランスの刑事の存在を知らされ、その刑事に政治的保護を申請した。これはヌレエフが機会をとらえた例のなかでもとりわけ劇的なもののひとつ。その出来事を思い起こしながらヌレエフの発言をたどっていくと、「亡命する決心はしていなかった。しかし機会があったから私はつかみ、亡命を果たした」という意味だと分かる。

実際のことでないような印象の新倉本

新倉真由美の文では、仮定と結果の動詞がどちらも、「(チャンスが)あったら」「飛びついてつかんだでしょう」という過去形。このため、英語での仮定法過去のように、現実には起こらなかったことを述べているような印象がある。実際にはチャンスはなかったので、ヌレエフはチャンスをつかむことができなかったと。訳文では「一度でも」が加わっているため、なおさら「チャンスは一度もなかった」という印象が強い。

日本語では、仮定文の動詞が過去形だからといって、現実と異なる仮定を表すとは決めつけられない。それにヌレエフがチャンスをつかんだのは事実から明らか。「チャンスがあったらつかんだでしょう」という文は想像でなく事実を語っていると推測するのは、不可能ではないだろう。しかし私の場合、Meyer-Stableyの文ならヌレエフの主張がすらすらと頭に入るのに、新倉真由美の文だと迷いながら読むことになった。

イヨネスコはバレエ関係者でなく劇作家

『ヌレエフ』P.292:
また「ヌレエフ後援会」の後押しで、イヨネスコ、ショヴレ、ドミンゴ等数多くの芸術家たちによる請願書がブレジネフ首相のもとに送らせた(原文ママ)。
Meyer-Stabley原本:
Une autre requête est envoyée à Leonid Brejnev à l'instigation du « Committee to assist Noureev ». Elle rassemble en France les signatures d'Eugène Ionesco, Claude Roy, Yvette Chauviré, Suzanne Flon, Pierre Boulez, Leslie Caron. Parmi les milliers d'artistes étrangers qui s'y sont associés, on relève les noms d'Edward Albee, John Gielgud, Paul Scofield, Paul Taylor, Joanne Woodward, Placide Domingo...
Telperion訳:
「ヌレエフ後援委員会」の旗振りで別の嘆願書がレオニード・ブレジネフに送られた。この嘆願書は、フランスではウジェーヌ・イヨネスコ、クロード・ロワ、イヴェット・ショヴィレ、シュザンヌ・フロン、ピエール・ブーレーズ、レスリー・キャロンの署名を集めた。そこに加わった外国の多くの芸術家のなかには、エドワード・オールビー、ジョン・ギールグッド、ポール・スコフィールド、ポール・テイラー、ジョアン・ウッドワード、プラシド・ドミンゴといった名前が挙げられる。

ヌレエフと母の再会を認めるようにというソ連政府への嘆願書の1つについて。賛同者としてずらりと並んだ有名芸術家たちの名は、訳本では大量に削られた。残念ではあるが、字数減らしの手段としては穏当だろうから、この省略自体については取り上げない。私がこの記事を書いたのは、残った名前が姓だけになった結果、最初に挙がるイヨネスコが誰のことか分かりづらくなったせい。

実は私は原文を読むまで、このイヨネスコとはヌレエフ振付「シンデレラ」の舞台装置を担当したペトリカ・イオネスコ(Petrika Ionesco)だと思っていた。一般的には劇作家のウジェーヌ・イヨネスコのほうが有名だろうが、ペトリカの名が載っている一方、ウジェーヌの名が他の場所にない本で、姓だけなのはとても紛らわしいと思う。誤植や人名間違いが多く、別の場所でイヴェット・ショヴィレ(P.145)としている名をここでショヴレと書くような本では、2つの表記がわずかとはいえ異なるから別人を指すのだろうとはと判断しにくい。3人分のファーストネームなんて大した字数ではないのだから、フルネームで書いてほしかった。

著名人たちは発起人でなく賛同者

原文を読むと、名が挙がった芸術家たちは署名という形で嘆願に参加していることが分かる。つまり、署名を呼び掛ける側ではないらしい。原文で後援委員会(le « Committee to assist Noureev »)の前にある"à l'instigation de ~"は「~にそそのかされて、の勧めで」。「委員会の勧めで」の意味はいささかあいまいだが、芸術家たちが発起人でないなら、委員会が発起人なのかも知れない。

初日を踊るのは第一線で踊るより重い

『ヌレエフ』P.255:
芸術監督であり振付家、運営者、教師でもあったルドルフが第一線で踊りたいと言い出したときだった。
Meyer-Stabley原本:
lorsque Rudolf, déjà directeur artistique, chorégraphe, administrateur et eiseignant, se met en tête de vouloir danser aussi toutes les premières.
Telperion訳:
すでに芸術監督、振付家、管理人、そして教師だったルドルフが、すべての初日も踊りたいと心に決めたときだった。

監督就任が順調に滑り出してしばらくしてから、ヌレエフとダンサーたちに最初のもめごとがおきたとき。

バレエの文脈での名詞premièreは「初日、初演」。初日に踊るということは、そのバレエ団のベスト・キャストとして認められるという特別なこと。新作の世界初演となればダンサーの経歴として認められるし、オペラ座初演はもちろん、再演ですら初日のファースト・キャストとそれ以外のキャストは重みが違う。

パリ・オペラ座のダンサーたちは、ヌレエフにダンサーとして上に立たれるのを嫌う。1980年にヌレエフを目玉ゲストに仰ぐアメリカ・ツアーに大反対してツアーをキャンセルさせたことは、SolwayやKavanagh著のヌレエフ伝記はもちろん、『パリのエトワール』にも書いてある。また、Solway著の伝記『Nureyev: His Life』ペーパーバックP.460によると、ヌレエフは就任前にこんな取り決めをしたという。

As a concession, Nureyev agreed not to dance the first nights of any full-length ballets with the Paris company.

譲歩としてヌレエフは、パリのバレエ団との全幕バレエのどれも、初日は踊らないことに同意した。(Telperion訳)

今回、ヌレエフが初日に出演するのに猛反発するのは当然。

「第一線で踊る」とは、中心的な位置で踊ることではあるが、主役の一人として踊るという程度のことも表せる。初日に踊るダンサーは役ごとに一人だけなのと比べると、他のダンサーを差し置いてのいいとこ取りという印象は薄い。

新倉真由美の文の不自然さ - ヌレエフの望みは前から明らか

ヌレエフは監督就任前に、「私はダンサーの仕事を辞める気はなく、タイツもバレエシューズも脱いでいません」(訳本P.251)と公言している。なのに「第一線で踊りたいと言い出した」と、それまでその望みを口にしたことがなかったかのように説明するのは、私には奇異に思えた。ダンサーたちもなぜそれまで黙っていたのかということになる。

初日の重さが伝わらない新倉本

「初日を踊る」だけではその重さが分からない読者のために、別な言葉を使うという選択はあるかもしれない。しかし新倉真由美あるいは文園社は、"persona non grata"(P.75)、ジェット族(P.142)、ジェラバ(P.238)など、多くの言葉に独自の説明を付けている。ここでもう一つ訳注を追加しても不都合はないだろう。もし訳注を使わないなら、「先頭に立って」くらい強い言葉にしないと、特権的な地位をヌレエフが望んだということは伝わらないと思う。

実のところ、私が新倉真由美が「初日」の重さを知った上で熟慮の末に「第一線」と訳したとは思っていない。それというのも、新倉真由美は初演という概念に無頓着な訳を繰り返しているから。いくつか挙げてみる。

  • 「三日月クラシック」にも書いたが、巻末の監督任期中パリ・オペラ座バレエの上演作品リスト(訳本P.313-315に相当)に"création à l'Opéra"という言葉が多数ある。すでによそで上演された作品をオペラ座で初上演するという意味。しかし新倉真由美の訳語は「オペラ座作成」。
  • 同じリストに多数ある"création mondiale"は、新作の世界初公開という意味。新倉真由美の訳語は「ワールドプレミア」。「ワールド・プレミア」は映画界で新作を披露する試写会を指し、"création mondiale"は本番での披露となる。「ワールドプレミア」は「オペラ座作成」よりは本来の意味に近いとはいえ、同じ概念ではないと思う。
  • 記事「振付作品数は初演作品数と再演作品数の合計」で、初演(動詞créerや名詞création)と再演(動詞reprendreや名詞reprise)の区別がついておらず、再演作品を「振付作品」とか「改訂版」とか呼んでいる。

初演の意味をこれだけ見逃しているのに初日の意味を分かっているとは、私には考えにくい。今回は慎重に「誤解を招きやすい個所」扱いにはしたが。

更新履歴

2016/5/7
諸見出し変更

ダンサーだったのはヌレエフでなくケン・ラッセル

『ヌレエフ』P.232:
しかし結局彼はこのイギリス人監督が映画“イサドラ”を製作したことと彼自身がダンサーだったのを考慮しその申し出を受けた。
Meyer-Stabley原本:
Mais il finit par dire oui, en songeant à I'Isadora déjà réalisée par l'Anglais et au fait que Russell a été danseur.
Telperion訳:
しかし、このイギリス人がもう監督していた「イサドラ」、そしてラッセルがかつてダンサーだったことを考え、ついに引き受けた。

1970年代半ばにヌレエフがケン・ラッセル監督「ヴァレンティノ」の主演要請を受けたことについて。

彼自身とは誰のことか、私には確定できず、原文を読むまで「ダンサーであるイサドラ・ダンカンの映画を撮ったラッセルをダンサーであるヌレエフが尊重したのか? それともラッセルがダンサーだったのか?」と迷い続けてしまった。原文ではダンサーだったのはラッセルだと明記してある。

原文で「彼はついに承諾した」(il finit par dire oui)の時制は直説法現在、「ラッセルがダンサーだった」(Russell a été danseur)の時制は直接法複合過去。ラッセルがダンサーだったのは、ヌレエフの承諾より前の出来事だということが、時制の違いから分かるようになっている。

ケン・ラッセルのダンサー歴

英インディペンデント紙の訃報記事より

prior to becoming a dancer with the Ny Norsk Ballet in 1950,

その後で1950年にNy Norsk Balletでダンサーになり、(Telperion訳)

英テレグラフ紙の訃報記事より

For five years he attended dance school and toured with dance troupes, before finally accepting that he was not a good dancer.

5年間ダンス学校に通い、ダンス・カンパニーとツアーし、その後でとうとう、自分が良いダンサーでないことを受け容れた。(Telperion訳)

ベジャールが昇進させたいのは主にエリック・ヴュ=アン

『ヌレエフ』P.260:
ベジャールによれば彼はバレエの責任者とオペラ座の最高顧問アンドレ・ラリックに、何度もエトワール指名について提案を行っていた。
Meyer-Stabley原本:
Selon la version Béjart, à plusieurs reprises le chorégraphe suggère à l'administrateur de la danse et au président du conseil d'administration de l'Opéra, André Larquié, la nomination du danseur comme étoile
Telperion訳:
ベジャールの説によると、この振付家はバレエの管理担当者とオペラ座理事長アンドレ・ラルキエに、このダンサーをエトワールとして任命することを何度も提案した。

ベジャールがヌレエフと激突する原因となる、エトワール任命の提案について。

「三日月クラシック」掲載部分との補完関係

ベジャールがマニュエル・ルグリのエトワール任命を提案した理由を述べた原文を新倉真由美が正確に訳していないことは、「三日月クラシック」の原文比較記事の「P.260 そのためプルミエ・ダンスールに配属された~」の項で書いた。そこで引用したのは文の後半であり、この記事で引用したのは文の前半。つまり、この記事の部分に「三日月クラシック」の引用部分をつなぐと、完全な文になる。

「三日月クラシック」のほうにある代名詞celleは、ここの引用にある女性名詞"la nomination"(任命)の言い換え。celleも"la nomination"も、述語suggèreの目的語、つまりベジャールが提案したこと。

まず書かれる提案はヴュ=アンの任命

この部分の前に、ベジャールがエリック・ヴュ=アンを自作のメインキャストに2度も抜擢したことが書いてある。したがって、"la nomination"に続く"du danseur"(このダンサーの)が指すのはヴュ=アンだと分かる。ヴュ=アンのエトワール任命提案を通りやすくするためにルグリの任命も提案したことは、「三日月クラシック」にある後半部分で書かれている。

しかし新倉真由美の文では次の理由から、最初の任命がヴュ=アンのことだと分かりにくい。

  1. ヴュ=アンを指す言葉がない。名が出たダンサーはルグリだけ。
  2. 後半部分の新倉訳「マニュエル・ルグリのエトワール指名も気まぐれで行われたのではない」から、ルグリの任命がベジャールにとって比較的軽いと読み取るのは難しい。

お気に入りのダンサーのエトワール指名を出し抜かれた」という触れ方といい、新倉真由美にとってこの事件でのヴュ=アンの存在感は軽いのではないかと疑わしくなる個所ではある。

アンドレ・ラルキエの地位は新倉真由美の想定より恐らく高い

役職の訳語を見つけるのは私の最も苦手な分野。アンドレ・ラルキエの役職はやむを得ず日本語で書いたとはいえ、これが適訳という自信はない。ただ、気づいた点を一つだけ書いておきたい。

conseilは「顧問」という意味がある言葉だが、"conseil d'administration"の意味は「取締役会」。企業でないオペラ座でこの言葉をそのまま使うわけにはいかないが、最上位の意思決定機関のようには見える。ラルキエはそのprésident(議長、代表取締役など)。

エトワール任命を執り行うオペラ座総裁(directeur de l'Opéra)との違いは分からないが、ラルキエはオペラ座の最高責任者のような地位であり、顧問より権力の中枢に近いように思える。ベジャールがエトワール任命を提案する相手として選ぶのも理にかなう。

更新履歴

2014/8/28
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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