伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2015.03.16
ロイズは王室儀式中止保険を提供する
2015.03.08
見落とされたロイヤル・ミューズ統率者の存在
2015.03.05
礼儀作法の重圧ばかりを書き立てるつもりはない原著者
2015.03.02
このブログでしたいこと 第3版
2015.02.25
議会が開会式で王権に蹴散らされる新倉本

ロイズは王室儀式中止保険を提供する

『バッキンガム』P.71:
ロイド社は大きな公式セレモニーの中止に備え、定期的にコマーシャルやホテル経営者やテレビ番組に保険をかけている。戴冠式の折に安全警備にかけられた額は少なかった。
Meyer-Stabley原本:
La compagnie Lloyd's assure ainsi régulièrement commerçants, hôteliers et chaînes de télévision contre l'annulation de grands cérémonies royales. Au moment de son couronnement, la cote de la prime sur la police d'assurance était bon marché ;
Telperion訳:
だからロイズ社は定期的に、商人やホテル経営者やテレビのチャンネルを相手に、大規模な王室儀式の中止に対する保険を引き受ける。戴冠式の時点では、保険証券の保険料の相場は非常に安かった。

女王の健康状態に細心の注意が払われる様子を述べた部分から。この引用の後には次の文が続く。

言い換えればロイド社の専門家たちは女王のヴァイタリティに賭けたのだ。

ロイズは保険業を営むというのが大前提

新倉真由美の文から思い浮かぶロイド社は、ホテルやテレビ局を傘下に収め、警備を手掛ける巨大多角企業といったところだろうか。でもあいにく、Lloyd'sは保険会社と同じサービスを提供する組織だということは、ちょっと調べれば分かる。ロイズはホテル経営者などに保険をかけたり、安全警備にかける費用を決めたりする立場にない。

保険に関する文で「ロイド社」を見てロイズを思い出す人なら、新倉真由美の文にかなりの違和感を覚えるはず。王室の機構や日常が詳しく書かれた本を読もうという『バッキンガム』読者には、イギリス全般についても知識がある人が比較的多いのではないかと私は思う。

ロイズは王室儀式中止の折には保険金を支払う

保険をかけるのではなく引き受ける

最初の文の述語の動詞assurerには、保険関連の意味が2つある。ラルース仏和辞典での説明とともに紹介する。

動作主が保険契約者
意味は「~に保険をかける」
Faire garantir un bien, une personne par un contrat d'assurance ;
保険契約によって財産や人を保証させる (Telperion訳)
動作主が保険業者
意味は「~を保険で保証する」
couvrir quelqu'un, quelque chose en tant qu'assureur :
保険業者としてある人や物を保護する (Telperion訳)

この場合、ロイズは保険業者なので、assurerは2番目の意味。

ホテル経営者などはロイズの顧客

最初の文の目的語、つまりロイズが保証する相手は"commerçants, hôteliers et chaînes de télévision"(商人、ホテル経営者、およびテレビのチャンネル)。三者のうちホテル経営者は、王室儀式が中止になると大損害を被りうる立場にあるということが最も分かりやすい。商人やテレビチャンネルも同様の立場にあると考えられる。

ロイズがこれらの業者を保証するとは、王室儀式が中止になったときに保険金を支払い、儀式を当てにした加入者の損害を軽減するということ。

警備費用をけちるのでなく保険料を安くする

2番目の文もやはり保険の話をしていることが、2つの保険用語から分かる。

la police d'assurance (保険証券)
仏和辞書に載っている用語。一見すると、「保障の警察」と訳せなくもない。新倉真由美が「安全警備」と言い出したのはそのせいだろう。しかし前の文の述語assurerの関連語assuranceが使われているのだから、やはり保険用語だと疑うべきだった。
prime (掛金、保険料)
仏和辞書にもある意味で、ラルース仏和辞典では最初に載っている。

前の文とのつながりから、ここで話題にしている保険とは、戴冠式が中止になったときに支払われる保険だと推測できる。その掛金が安価だったのは、保険金を支払う事態にはならないから安い保険料でも黒字になるとロイズが見込んだから。だから「ロイズの専門家たちは女王の生命力に賭けた」と言い換えることができる。

新倉真由美は「保険証券の掛金の相場」(la cote de la prime sur la police d'assurance)を「安全警備にかけられた額」とした。「安全警備の費用が少なかった」の後に「女王のバイタリティにかけた」が続くため、ロイズは「女王はバイタリティがあるから、テロがあっても大事には至らないだろう」と考えて警備の金を惜しんだように見える。何とも無責任な警備会社扱い。

見落とされたロイヤル・ミューズ統率者の存在

『バッキンガム』P.139:
そこで働くスタッフたちは宮殿内で働く人たちとは違う格付けがあり、一般の廷臣よりはずっと上で王室の廷臣より下の階級に属している。管理するのはロイヤル・ミューズである。
Meyer-Stabley原本:
Le personnel qui y travaille a son propre ordre de préséances, différent de celui du palais ; il est placé sous les ordres de l'écuyer de la couronne, au rang bien supérieur à celui des écuyers ordinaires. Il dirige les Royal Mews.
Telperion訳:
そこで働く職員には、宮殿とは異なる独自の優先順位がある。普通の侍従よりずっと地位が高い冠侍従の指揮下にいる。彼がロイヤル・ミューズを率いる。

王室厩舎で働く人々について。

厩舎職員が一般廷臣より上という不思議さ

新倉真由美の文を読んで、私が変に思った個所は2つある。

1. 厩舎の職員が一般の廷臣より上?
廷臣に含まれる職の範囲はよく分からないが、宮殿で王族に対面しながら働く職員は当然含まれるはず。それより王家の馬や車を世話する職員のほうがずっと上とは信じがたい。
2. イギリスの廷臣はすべて王室の廷臣では?
新倉真由美によると、一般の廷臣と王室の廷臣は別もの。でも、王家に仕える廷臣はみな、王室の廷臣と呼べるのではないのか。

「王室の廷臣」とは王族に直接仕える廷臣、「一般の廷臣」とは王族とまったく会わない廷臣だとこじつけることもできるかも知れない。でも新倉真由美の文なのだから、さっさと原文を読んだほうが効率的。

厩舎職員はある一人の下につく

引用した部分のうち、最も大事なのはこの部分。新倉真由美の「王室の廷臣より下の階級に属している」に当たる。

il est placé sous les ordres de l'écuyer de la couronne,
彼は王冠の侍従の指揮下に置かれる。
  1. 主語ilは前の文の主語"Le personnel"(職員)、つまりロイヤル・ミューズの勤務員たち。これは新倉真由美の文でも同じ。
  2. "sous les ordres de ~"は「~の命令下に」。単なる下の階級でなく、同じ指揮系統における下を指す。
  3. 命令を下すのは、"sous les ordres de"に続く"l'écuyer de la couronne"(王冠の侍従)。

"l'écuyer de la couronne"は新倉真由美の「王室の廷臣」に相当する。Meyer-Stableyと新倉真由美の語句を見比べると、注意を引く点が2つある。

  1. 「王室の廷臣」は何人もいるように見えるが、"l'écuyer de la couronne"は単数形。
  2. Meyer-Stableyは「王室の」という意味では形容詞royalを多用してきた。でも"de la couronne"(王冠の)はまだこの近辺でしか見かけない。当然のようにroyalと同一視することはできない。

原文から想像できる"l'écuyer de la couronne"とは、厩舎職員の上に立つただ一人の人物。恐らく"l'écuyer de la couronne"とは、厩舎の最高統率者の職名だろう。定着した日本語訳がありそうに思えないので、私は独断で「冠侍従」と訳した。

実在するCrown Equerry

英国王室サイトにあるウィリアム王子とキャサリン妃が結婚式の日に乗る馬車の説明ページに、こんな文がある。

The Royal Mews is part of the Lord Chamberlain’s Office and is run by the Crown Equerry.
ロイヤル・ミューズは宮内長官の管轄内であり、冠侍従に管理される。(Telperion訳)

間違いなく、"the Crown Equerry"は"l'écuyer de la couronne"に相当する英語。王室サイトよりは信頼性が下とはいえ、英語wikipediaにも項がある

厩舎統率者の説明はさらに続く

"l'écuyer de la couronne,"には"au rang bien supérieur à celui des écuyers ordinaires"(普通のécuyerの地位よりずっと高い地位の)が続く。新倉真由美が「一般の廷臣よりはずっと上で」とした部分。実際は誰が誰の上にいるのだろうか。

地位が下なのは普通の侍従

新倉真由美は「l'écuyer de la couronne=王室の廷臣」という訳語にこだわったために"écuyers ordinaires"も「普通の廷臣」にした。しかしMeyer-Stabley本でécuyerとは、王族に直接仕える、侍女の男性版のような職業。新倉真由美は終始「侍従」と訳してきた。臣下一般を指す「廷臣」よりずっと範囲が狭い。ここに限って「一般の廷臣」は不自然。

地位が上なのは恐らく冠侍従

文法だけを考えるなら、「普通の侍従よりずっと高い地位の」は、厩舎で働く職員全般を指すことも多分できる。しかし、先ほど書いたように、厩舎職員の地位がそこまで上とは、私には信じられない。

しかし一般の侍従は、いくら王族に近い存在でも、一部署の責任者ではない。厩舎の職員を統括する冠侍従が侍従より上だというなら、私にも納得できる。肩書に"de la couronne"が付くのは伊達ではない。

最後の文もロイヤル・ミューズ責任者についての文

最後の文"Il dirige les Royal Mews."で、初めて王室厩舎の名、ロイヤル・ミューズが出る。文の主語il、つまりロイヤル・ミューズを率いるのは、むろん"l'écuyer de la couronne"。でも新倉真由美は責任者一人の存在を認識していないため、「管理するのはロイヤル・ミューズである」も一人についての文に見えない。スタッフたちが皆で手分けしてロイヤル・ミューズを管理しているかのよう。

他にも「王室の廷臣」の例はある

"le écuyer de la couronne"はこの近くで何回か話題になっているが、新倉真由美はもちろん「王室の廷臣」で押し通している。2つ例を挙げる。

『バッキンガム』P.139:
王室の廷臣は入り口付近に大変美しい家を持っている。
『バッキンガム』P.141:
王室の廷臣(=侍従)を除いて、宮殿で食事をする職員はほとんどいない。

問題の引用では王室の廷臣と一般の廷臣は別物扱いだったが、2番目の例では王室の廷臣を侍従の別名扱いしている。新倉真由美の見解では、一般の廷臣(普通のécuyers)は侍従(écuyers)ではないらしい。

礼儀作法の重圧ばかりを書き立てるつもりはない原著者

『バッキンガム』P.196:
もし一般人がこのように格式ばった中で生活するとしたら、恐らく窒息してしまうだろう。何も大げさに言っているのではない。
Meyer-Stabley原本:
À vivre dans un tel cérémonial, le commun des mortels aurait quelque peu l'impression d'étouffer. Il ne faut cependant rien exagérer.
Telperion訳:
このような儀礼の中で暮らすことに対して、一般人の大多数は息苦しい印象を少し持つだろう。しかし何事も誇張してはならない。

節「礼儀の問題」(原題: Questions d'étiquette)の冒頭。前の節では、エリザベス二世の戴冠式や、チャールズ皇太子のプリンス・オブ・ウェールズとしての戴冠式の厳粛な様子を描写していた。

原本が新倉本と違う個所

述べられる息苦しさの程度は弱い

最初の文の述語は、イディオム"avoir l'impression de ~"(~という印象を持つ)を使っている。de(ここではその縮約形d')に続くétouffer(窒息する、息苦しくなる)とは、王族の暮らしに対して一般人が持つ印象。「窒息する」に比べて「窒息するという印象を持つ」は差し迫った感じではない。それに原文には"quelque peu"(少し)とあるから、なおさら。

これは私の憶測だが、私はこの文を「儀式づくめで暮らすことになった一般人の反応」でなく、「儀式づくめの暮らしを外部から見る一般人の心情」だと見なしたい。もしそんな暮らしを強いられて息苦しくなるなら、「息苦しい印象を持つだろう」(aurait l'impression d'étouffer)より「息苦しくなるだろう」(étoufferait)のほうが似つかわしいと思うので。

息苦しいという印象は反論される

二番目の文のポイントは2つ。

  1. "Il ne faut ~(動詞の原形)"は「~してはならない」。
  2. cependant(しかし)が入っている。

「しかし誇張してはならない」とは前の文にブレーキをかける文。それがなぜか新倉真由美の文では、前の文をさらに強調する内容になっている。

息苦しさ一辺倒でないのは節全体にわたる

実際、上の部分の続きを読むと、Meyer-Stableyが王室を礼儀でがんじがらめと言い続ける気がないのがよく分かる。

『バッキンガム』P.196:
ヴィクトリア時代の礼儀作法については多くの誤解がある。ヴィクトリアは礼儀作法の奴隷でなく、偶然に聴こえてきたメンデルスゾーンの曲を口ずさむような、気取らない素直な女性だった。美しい虹を見せようとして、突然リトルトン夫人の部屋に入ってくることもあった。

つまり、ヴィクトリア朝は礼儀にうるさいイメージがあるが、実際には心のままに行動することもできたということ。Meyer-Stableyがここでヴィクトリア女王の逸話を持ち出したのは、現在の王室についても、「息苦しいことばかりではない、王族が人間的に振る舞う余地はたくさんある」と主張するつもりだからだろう。

実際、この後も節「礼儀の問題」は、節冒頭の流れを繰り返す。

  1. まず、王室の細かい作法を挙げる。女王の腕を取ってはいけないとか、お辞儀の仕方とか。
  2. 次に、王族の決まりにとらわれない行動を挙げる。チャールズ皇太子が庶民の家をサプライズ訪問したとか、エディンバラ公フィリップが買い物客に話しかけてうるさがられたとか。

このブログでしたいこと 第3版

この記事は、初めて読む方への案内として書いた「このブログでしたいこと 第2版」の改訂版です。第2版を書いた当時は『バッキンガム宮殿の日常生活』が対象外だったので、それについての説明を追加しました。

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議会が開会式で王権に蹴散らされる新倉本

『バッキンガム』P.127:
チャールズ一世時代から続く不思議なしきたりで、執行官が五十mほど廊下を通りドアをぱたんと閉める。王だけが兵士を伴い議場に入ることができ、五人の議員は入場を遮られ拒絶される。
Meyer-Stabley原本:
Par un étonnant rituel, l'huissier - dit le la Verge noire - parcourt cinquante mètres de couloir et se fait claquer la porte au nez, selon une tradition qui remonte à Charles Ier : seul roi à avoir osé pénétrer dans cette assemblée avec ses soldats pour y arrêter cinq députés, il essuya un refus énergique.
Telperion訳:
驚くべき儀式により、執行官(黒い棒と呼ばれる)が50メートルの廊下を通り抜け、鼻先で扉をばたんと閉められる。この伝統はチャールズ一世までさかのぼる。5人の議員を逮捕するために、兵とともにこの集会に押し入った唯一の国王であり、断固として拒否されたのだ。

イギリス議会開会式で、貴族院から女王の使者が庶民院(下院)の議員を呼びに行く儀式について。

原本が新倉本と違う個所

1. 使者は庶民院前で締め出される

執行官が廊下を通り抜けた後の行動は、新倉真由美によると「ドアをぱたんと閉める」。しかし対応する原文は"se fait claquer la porte au nez"。述語の原形である"se faire ~(動詞の原形)"は「~してもらう、~される」という受け身の使役文。つまり、執行官は自分がドアを閉めるのでなく、誰かにドアを閉められる。

YouTubeで"parliament opening"で検索すると、開会式の動画がいろいろ出てくる。そのなかにはこの場面が映っているものもある。たとえば"State Opening of Parliament by Her Majesty Queen Elizabeth, including Black Rod"。

ついでに書くと、"claquer la porte"は扉を乱暴に閉めること。動画を見ても、「来るな!」と言わんばかりの勢いで扉が閉まっている。この動作の発祥については後で書くが、ここは「ぱたんと閉まる」では意義が薄れる。

2. 庶民院に入った王はチャールズ一世だけ

チャールズ一世の名が出た後、原文では"seul roi à avoir osé pénétrer"(入り込んでのけた唯一の王)と続く。この語句には注意すべき点がいくつかある。

  1. 「入ってのけた唯一の王」とは、「数ある王たちのうち、入ってのけたのはこの王ただ一人」」というニュアンスであり、比較対象は他の王だけ。新倉真由美の「数ある人々のうち、入れるのは王一人」というニュアンスとは違う。
  2. 国王の動作を示す不定詞"avoir osé"の時制は直説法複合過去。つまりこの動作は過去行われたものであり、現在のものではない。

これらをまとめると、王が庶民院に入ったのは、過去一度の出来事だと分かる。それを行ったのがチャールズ一世で、他の王は庶民院には入らなかった。

3. チャールズ一世の目的は議員の逮捕

チャールズ一世の行動として、"avoir osé pénétrer dans cette assemblée avec ses soldats"(兵士とともにこの集会に入ってのけた)の後に、"pour y arrêter cinq députés"(そこで5人の議員をarrêterしに)と続く。pourは目的を示す前置詞で、チャールズ一世が庶民院に殴り込んだ目的を説明している。

動詞arrêterを仏和辞書を引くと、「止める」とか「阻止する」とかいう意味が最初に出る。でも王が兵士を引き連れ議場に入ってきた目的なのだから、最もふさわしそうな単語は「逮捕する」だろう。

原文だけを読むなら、「そこで5人の議員を止める」という解釈もありえるかも知れない。でも原文は目的を書いただけなのに、新倉真由美はその目的が成就したかのように書いているのは、やはり原文からの逸脱。

4. 拒絶されたのは議員でなくチャールズ一世

最後の文"il essuya un refus énergique."は「彼は断固とした拒絶にあった」。

  • 主語ilは三人称単数の男性名詞の代名詞なので、男性一人。この場合はむろんチャールズ一世。
  • 述語essuyaの時制は直説法単純過去。過去のある時点で行われたことを指す。

新倉真由美は「五人の議員が拒絶される」としているが、それなら主語は「彼」(il)でなく「彼ら」(ils)でなければならない。それに新倉真由美の言い方では、議員が拒絶されるのも儀式の一部のようだが、それなら述語の時制は直説法現在のはず。

使者の儀式は議会が王権に従属しないという象徴

Meyer-Stableyの文を読むだけでも、女王の使者が鼻先で扉を閉められることの意味は推測できる。武力をもって議会に押し入ったチャールズ一世が締め出されたことを記念しているのだろう。

英国王室サイトにある議会開会式の説明ページにも、このしきたりが書いてある。おかげでarrêterを心置きなく「逮捕する」と訳すことができる。

By tradition, the door of the House of Commons is slammed in Black Rod's face. It is then reopened to enable Black Rod to convey the Sovereign's summons to the Speaker.
伝統にのっとり、庶民院の扉はブラック・ロッドの眼前でぴしゃりと閉められる。その後扉が再び開くので、ブラック・ロッドは君主の召集を議長に伝えることができる。

This tradition is a reminder of the right of the Commons to exclude everyone but the Sovereign's messengers.
この伝統は、庶民院が君主の使者以外のいかなる者も締め出す権利を思い出させるものである。

No monarch has set foot in the Commons since Charles I entered the Commons and tried to arrest five Members of Parliament in 1642.
1642年にチャールズ一世が庶民院に入り、5名の議員を逮捕しようとして以来、庶民院に足を踏み入れた君主はいない。(Telperion訳)

"Black Rod"は庶民院への使者の職名。文字通りには「黒い棒」なので、Meyer-Stableyは"la Verge noire"と訳している。

ブラック・ロッドの儀式の由来を知った後で新倉真由美の文を読むと、笑いがこみあげてくる。庶民院に入れるのが兵士を伴う王だけだとか、議員が入場を拒否されるとか。庶民院は王の権力の前にはなすすべもないという降伏宣言か、はたまたかつて王に敗れた屈辱を忘れないための再現儀式か。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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